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「いいから黙って俺のブラジャーをつけやがれ」  作者: IKEDA RAO
◆ 後日譚 : 【 二年後の世界 】 ◆
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【 5 】 何言い出してんだ お前は



 “ あなたは私を抱くつもりはないのですか ”


 少女から問われたその内容はあまりにも斜め上過ぎた。真剣なサクラとは対照的に、薫はただあんぐりと口を開けるばかりだ。


「Myマスター、今なら二人っきりですし、本当のお気持ちをお聞かせ下さい。期間限定ではありますが、せっかくお手に入れられたサクラのこの身体、お使いいただくご予定は無いのですか? 樹里様ほどではありませんが、サクラも脱いだらかなりスタイルいいですよ。あ、バストはCカップですっ」


「バッバカ野郎!! 樹里(あいつ)だけかと思ったらお前まで何言ってやがんだよ!?」


「Myマスター、何度もお伝えしていますが、サクラは女ですので野郎という呼びかけはおかしいかと」


「くだらねぇことで上げ足取んなっ!! んなことどうでもいいだろうがあああっっ!!」


 荒ぶる怒号が下町の猥雑な通りを貫いてゆく。

 元々目つきの悪いその三白眼を更に釣り上げ、怒り心頭の薫はサクラの顔に向かって勢いよく指を突き出した。


「それにお前は清水のジジイんとこの雷太に惚れてんだろっ!? 他に好きな奴がいんのによくそんなバカなことを聞けるもんだな!! あぁ!?」


 しかし怒鳴られたサクラは不思議そうだ。艶めいた長髪と同じ色の黒々とした睫毛が、何度も何度も忙しく瞬きを繰り返す。


「Myマスター、サクラには理解不能です……。なぜ今の質問がバカなことなのですか? 雷太さんのことは好きですが、それとあなたをお慕いする気持ちは全く別です。比べるような次元のものではないのです」


「比べるような次元じゃねぇだと!? お前の言ってる意味が分かんねぇよ!!」


「Myマスター……」


 サクラは恥ずかしそうに薫の左手を取ると、それをそっと自分の胸の谷間に優しく押し当てる。


「ななっ、何しやがるっ!?」


「こうして直接触れあえば、Myマスターにサクラの気持ちがよりストレートに届くような気がするんです。だからどうぞこのままでお聞きください」


 薫の手をしっかりと握るサクラの両手から命を刻む拍動は伝わってこないが、華奢なその手はほんのりと温かい。 


「……サクラにとって何よりも大切な方は、Myマスター、あなたなんです。ですからもしMyマスターの本当のお心がサクラと一夜を共にしたいと願ってらっしゃるのであれば、サクラは喜んであなたにこの身を捧げます。例え、Myマスターとサクラが禁断の情を結ぶことによって樹里様がショックを受け、深く悲しまれることになるとこの人工知(あたま)能が理解していてもです」


 自分の一途な想いを伝えたサクラは、清らかで透き通った表情を浮かべて薫に微笑みかける。



「 だって、サクラの電脳(せかい)はあなたで出来ているのですから 」



 ―― まさに電脳巻尺のサクラにしかできないその独特な告白に、薫は口中で小さく唸ると言葉を詰まらせた。


 相手はアンドロイドでしかも自分の相棒だ。

 しかし頭ではそう分かっていても、実際に自分の目の前に佇んでいるのは一人の美しい少女だ。そしてその少女が「あなたは私の全てです」と言っている。


 見返りなど求めない、ただひたすらに自分を慕う無垢な気持ち。

 そんな盲目的な愛を真正面からぶつけられ、女心を理解するのが大の苦手な荒くれ男はどうしていいのかが分からない。



「真顔でバカなこと言ってんじゃねぇっ!!」



 握られている手を乱暴に振りほどくと再びサクラを怒鳴りつける。


「お前は俺の半身(はんみ)だっつってんだろうが!! 誰が自分の分身とヤるかってんだよ!!」


「あら、Myマスターってばそんな風に怒鳴られてもお顔が赤くなってますよ? カワイイですね」


「ドッ、ドアホ!! 男に可愛いなんて言うんじゃねぇよ!! お前がいきなり訳わかんねぇことをのたまいだすからだろうが!!」


「訳がわからないことではないですよ。だって全部サクラの正直な気持ちですから。この身体はすべてあなたのものです」


下衆(ゲス)なこと言うんじゃねぇ!! お前、漸次さんとこのあいつみたいになってきてっぞ!?」


「琥珀さんですか? サクラはあの人ほどエッチじゃないです」


「似たり寄ったりになってきてるっつーの!! とっ、とにかくだな! 俺はお前の操作者(マスター)だ!! お前とそれ以上やそれ以下の関係になる気は()ぇんだよ!!」


「ではMyマスターの本当のお気持ちは、樹理様に仰ったお気持ちとまったく変わらないということなのですね……」


「当たり前だっ!!」


 主から拒絶されたサクラが「わかりました」と小さく頷く。

 しかしなぜかその表情はさみしそうではない。


「良かったぁ……。サクラはあなたが一番大切ですが、樹里様も可乃子様も同じくらい大好きなんです。Myマスターがサクラの身体を使わないと仰っていた理由が、樹里様のお気持ちに配慮したためだけで、本当はサクラとの一夜をお望みなのであれば、サクラはあなたの快楽のために密かにこの身を捧げるつもりでした。ですがMyマスターにそのお気持ちがまったく無いのであれば話は別です。サクラは樹里様を傷つけなくてすみます。あぁ本当に良かったです……!」


「お、おう、分かりゃいいっての! お前は俺の相棒らしくふるまってりゃそれでいいんだよ!」


「はいっ! わかりましたご主人さまっ!!」


「あぁ!? なんだそのご主人さまってのは!?」 


「え? だって相棒らしくふるまえ、ってたった今仰ったじゃないですか。今のサクラは人型になってるんですから、“ Myマスター ” じゃなくて “ ご主人さま ” の方がしっくりくるんじゃないかなーって思ったのでそうお呼びしてみたんです!」


 気色悪いことすんな、とサクラを再び怒鳴りつけようとしたその時。



「なにやってんだい薫!!」



 聞き覚えのあるしゃがれ声が背後から投げつけられた。

 振り返って怒声のした方向を見ると、夕暮れの歩道上にひっつめ髪の小柄な女性の影が細く伸びている。


「なんだ、須藤の婆さんじゃねーか。買いモンの帰りか?」


 阿修羅のような形相で仁王立ちしているその人物は、近所に住む馴染みの老婆だった。

 片方の手に持っている袋はたくさんの食材で埋め尽くされており、はちきれんばかりに大きく膨らんでいる。


「こんばんは須藤様っ!」


 薫の隣でサクラがにこやかに挨拶をする。

 そんなサクラをジロリと一睨みした後、近所の老婦人、須藤(すどう) ヒナ()はすでに(よわい)七十を過ぎているとは思えないほどの大声で薫を叱り飛ばした。


「幸之進は彩子を大事にしてたのに息子のお前ときたら……! あんな美人の嫁さんをもらったばかりのくせにもうこんな若い(むすめ)()と浮気してんのかい!? あたしゃあ情けないよ!!」


「あぁ!? ちっ、違うっつーの! こいつはアンドロイドだ!」


「その娘っ子の名前なんてどうでもいい!! さぁっおとなしくそこに直りんさい!!」


 ヒナ代は手にしていた買い物袋を投げるように地面に置くと、そこから一本の長い根菜――、牛蒡(ゴボウ)をスラリと取り出す。そしてそれを日本刀のように構えると大きく振りかぶり、「きえええええいっ!!」という気合いと共に薫に襲いかかってきた。


「うぉっ!?」


 小柄な老婦人相手に反撃するわけにはいかない。よって、今の薫に残された道は防御一択である。


「イテッ!! なにしやがんだ須藤のババア!!」


「うるさいこのロクデナシがっ!! 極楽にいる幸之進に代わってアタシがお前のその腐った性根をこれで叩きなおしてやるから覚悟おしっ!!」


 ヒナ代の持つ武器は新鮮さを売りにしている根菜だったため、収穫した畑の土がその長い刀身にたっぷりとついている。おかげでビシバシと殴られるたびに、薫ご自慢の鶏冠(とさか)頭に泥土の欠片が容赦なくふりかかり始めた。


「人をゴボウでしばくんじゃねぇよクソババア!! すげぇ泥がついてんじゃねーか!!」


「問答無用だよっ!! 神妙にしんさい!! いい年こいた中年ならいざしらず、お前のその年で愛人を持つなんて許されると思ってんのかいっ!?」


「だからこいつは愛人じゃねぇっての!!」


「この期に及んでシラを切る気かい!? どこまで性根の腐った男なんだいお前は!!」


「ぐわっ!!」



 渾身の一撃が薫の脳天に炸裂した。見事な面一本である。

 しかしヒナ代の繰り出した斬撃に耐えられなかった新鮮な牛蒡(ゴボー・)(ソード)は、ついに中央からポキリと真っ二つに折れてしまった。折れ口の白さがなかなかに(なま)めかしい。

 


「ご主人さまっ、ここはお逃げになるべきです! 須藤様は逆上なされているのでこの場に留まっていてもお話を聞いていただけるとは思えません!」


 再び切羽詰まった状況に否応なく放り込まれた薫は顔を歪め、苛立たしげに舌打ちをする。


「チッ、どいつもこいつも……!」


「愚痴っていても始まりません! さぁご主人さまこちらへ!!」


「あっお待ち!! まだお前への成敗は終わってないよ!!」


 牛蒡剣の達人の怒りはまだ治まっていないようだ。折れて半分の長さになった泥剣を握りしめてまだ執拗に追いかけてくる。

 ヒナ代とは別のベクトルで同じく怒りの治まらない薫は逃げながらも後方に向かって悪態をついた。


「追ってくんじゃねーよゴボウババア!! 無理してお迎えが早まってもしんねーぞ!?」


「ハッ、お前の性根を叩き直すまであの世には行かないさ!! さぁその安藤(アンドウ)っていう娘っ子と今すぐ手を切るとお言い!!」


「おいババア!! 何聞き間違えてやがんだ!! こいつは安藤じゃねぇ!! アンドロイドだ!!」


「ご主人さまっ、須藤様は少々お耳が遠くなってきてらっしゃるので仕方ありません! それよりもお年を召した須藤様のお身体のためにもここは一気に突き放しましょう! この身体は走ることに特化していませんが、それでも須藤様よりは早く走れるはずです! ですからご主人さまはサクラのことには構わずに先にお逃げください! いざとなればサクラが身体を張ってでも須藤様をここに足止めいたします! さぁ、全力でお逃げください!」


「バカ野郎っお前を置いていけるかよ! んなことしてお前がしばかれたらどうすんだ!! 行くぞサクラ! 落ちねぇようにしっかりつかまってろ!!」


「きゃあっ!?」


 サクラの身体を米俵のように右肩にかつぎあげ、薫が本気で走りだす。

 くの字型にかつぎあげられたサクラは薫の肩の上で一瞬呆然としていたが、心から慕う主から庇ってもらえたことが分かると湧きあがる嬉しさでその声を弾ませた。


「はいっご主人さまっ!! 何があろうとサクラは一生どこまでもあなたについてゆきます!!」


「これっ! そこのめーどのあんたも目を覚ましんさい! 何が “ ご主人さま ” だい!! くだらないごっこ遊びなんてお止め!! その男は嫁持ちなんだよ!? そんな男に一生ついていってどうすんだい!! 最後はあんたが泣きをみるだけなんだよ!?」


 そう怒鳴っているヒナ代の声が少しずつ遠のいてゆく。

 逃走者は背後のしゃがれ声が完全に聞こえなくなるまで走り続け、自宅から少し離れた河川敷に辿り着いた所でようやく足を止めた。

 なんとかヒナ代の襲撃を回避しハァハァと肩で息を切らせている薫を、運んでもらったために息一つ乱れていないサクラが気遣う。


「大丈夫ですかご主人さま? 結構走りましたよね……」


「お、おう、そうだな……。つーかそのご主人さまは止めろや。いつも通りに呼べっての」


「了解ですMyマスター」


「お前も大丈夫か?」


「はい、なんとか……。でも振り落とされないように必死だったせいか内部の温度が高めになってしまっているようです。冷却したいので少しここで休んでもいいでしょうか?」


「あぁいいぜ。お前になんかあったら大変だからな。おら、ここに座れ」


「はい」


 河川敷に設置されてある切り株型の椅子にサクラが腰をかけると、薫はその隣の草むらに直に腰を下ろした。


「あー久々に全力で走ったな……」


「申し訳ありません。サクラを抱えて逃げてくださったせいでMyマスターに余計なご負担をおかけしてしまいました」


「気にすんな。いい運動になったぜ」


「そういえばMyマスターはここしばらくはずっとお店にこもりきりでお仕事ばかりなされてましたものね」


「そうだったか?」


「そうですよ。今日みたいに定休日の日だってせっせとブラを作られているから、お休みなんかほとんど取ってらっしゃいません。Myマスターはお仕事に打ち込みすぎです。マスター・ブラにランクアップなされてからは特にその傾向がひどくなってきていますし、もう少しご家庭を(かえり)みた方がよろしいかと。樹里様もきっと内心は寂しいと思っておられるはずですよ」


 深く掘り下げられたくない話題になってきたと感じた薫は、面白くなさそうな顔で口を尖らす。

 そしてじっと自分を見つめているサクラの視線をかわすように草むらにゴロリと寝転ぶと、真上の夕焼け空を眺めて正論を吐いた。



「……仕事溜まってんだからしゃーねぇだろ」



 薫の相棒として仕事の内情をすべて把握しているサクラはまだ何か言いたそうに口を開きかけた。だが結局、「それはそうなのですが……」としか言えずに口をつぐむ。



 少しの間会話が途切れた。

 八月下旬の生温い夕風がサクラの黒髪を時々押し上げるように大きく揺らしてゆく。

 静かな時の流れに身を委ねた二人は無言でそれぞれの胸の内にある思いを巡らしていたが、夕陽を映している川面を眺めていたサクラが不意に主を呼んだ。


「Myマスター」


「あ?」


「……樹里様といい、須藤様といい、女性が本気でお怒りになるととてもすごい気迫を出すことができるのですね……。サクラが初めて感じているこの気持ちの揺らぎ、これが人間で言う、恐怖という感情なのでしょうか?」


「ヘッ、あんなもんただのヒステリーじゃねーか。あれしき程度のことでビビッってんじゃねーよサクラ」


「またそんな強がりを仰って……。いつもは短気が服を着ていらっしゃるようなMyマスターでさえ、先ほどのお二方には手も足もお出しになれなかったくせに」


「し、仕方ねーだろ!! あいつらギャーギャー喚くだけで聞く耳もたねーんだからよ!!」


「須藤様とは本日またお会いすることはないでしょうからそちらはいいとして、もし樹里様のお怒りがまだ治まっていらっしゃらなかったらこの後困ったことになりそうですね……。どうしましょうかMyマスター? このままですと打つ手なしです」


「ぐっ……」


 自分に落ち度はないのになぜか窮地に追い込まれている若き下着職人は、険しい形相で草むらからガバッと身を起こすと、本日溜まりに溜まった鬱憤を夕日に向かって咆哮した。



「あぁメンドくせぇっ!! なんでこうなるんだ!! 一体俺が何をしたってんだよっ!?」




 ―― 哀れな正義側に救いの手は未だ差し伸べられないようだ。


 勢いよく身を起こしたせいで、鶏冠(とさか)頭に付着していた泥土が薫の目の前を通過してゆく。

 粉雪のようにパラパラと降りしきるその様は、本日の災難をまさに象徴するかのような見事な舞い散り方だった。





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★ http://www.nicovideo.jp/watch/sm21777409

【 ★「いいから黙って俺のブラジャーをつけやがれ」作品の、歌入り動画UP場所です ↑: 4分44秒 】


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