【 2 】 ちょっと待て 誰だお前は
樹里と共に昼食を取り終えた薫は、すぐに店内に戻るとブラ制作の続きに取り掛かる。
作業に没頭するあまりすでに時刻が夕方になっていることも気づかず、薫は店内で一人、一心不乱に針を動かし続けていた。
二年前に購入した愛用の作業台、“ Goldfinger -X ” の台面右上部に ≪ お客様ご来店です ≫ の文字が表示されて忙しく点滅を始めたが、作業に熱中している薫はそのシグナルにも、背後の引き戸がそっと開けられたことにもまったく気づいていない。
店内に入ってきたのは黒いメイド服をまとった一人の少女だ。
背中の中央まで伸びている長い黒髪の表面が、店内に差し込み出した夕日で紅く艶めいている。
目鼻立ちがはっきりとした少女は黙々と作業をしている薫の広い背中をしばらくの間じっと見ていたが、いつまでも薫が気付いてくれないのでとうとう「あの…」と声をかけた。
「あ?」
背後から急に声をかけられた薫は背後を振り返る。そして店内に勝手に入ってきている少女に気づくと、
「悪ィけどうちは今日定休日だぜ?」
と素っ気なく答えた。
しかし少女は裾を綺麗に切り揃えられた漆黒の髪を揺らし、「はい、定休日なのは知っています」と小さく頷く。それを聞いた薫は手にしていた針を一旦腕針刺に刺すとおもむろに椅子から立ち上がり、戸口にいた少女の側まで大股で歩み寄った。
「あんたどこから来た?」
「エ?」
いきなり住所を聞かれた少女はポカンとした顔で薫を見上げ、二度瞬きをする。
「いや、定休日だって知ってんのにそれでもわざわざ来たってことは遠くから来たんじゃねぇかなって思ってよ。もし今日しかうちに寄れないから来てみたんだったら “ 悪ィけど明日出直してきてくれ ” とは言えねぇしな」
「……お優しいんですね」
薫の気遣いを受けた少女は感心した面持ちで呟く。
しかし賛美された薫は面映ゆそうに鶏冠頭をガリガリと掻くと、
「別に優しくなんかねーよ。こっちも商売だからな。もし今日しか来店できないなら注文は請けるがどうする?」
とぶっきらぼうに尋ねた。
すると少女はまるでその言葉をかけられることを待ち望んでいたかのように、パッと大きく目を見開いた。
「欲しいですっ! あなたが作るブラ、すっごく欲しいですっ!」
「いいぜ。じゃあ今日注文してけよ。出来上がり次第送ってやっから」
「はい! お願いしますっ!」
少女はペコリと一礼をした。
薫はお辞儀をした目の前の少女を頭のてっぺんからつま先までザッと眺め、“ こいつはおそらく十八前後だな ” と年齢を推測する。
「あんた、採寸はどうする? 俺の直接採寸が嫌ならサイズを言ってくれ。そのサイズで作ってやる。もしフィットしてなければ最初の一回は追加料金なしで直してやっから安心しろ」
「いえ、ダイレクトテイクで結構です」
「なに?」
自分のような男に胸を見せるのは恥ずかしいだろうからおそらく直接採寸は選ばないだろうと決めつけていた薫は、この少女がまったくの迷いなしにその採寸方法を選んだので、怪訝そうに眉根を寄せた。
「おい、ちょっと聞くけどよ、あんた今まで他の下着職人にダイレクトテイクでブラジャーを作ってもらったことあんのか?」
「いえ、ありません」
「んだよ、やっぱねぇのかよ」
予想通りの返答に薫は大きくため息をつく。
「じゃあダイレクトテイクをよく知らねぇってことじゃねぇか」
「いえ、まだやってみたことはありませんが、ダイレクトテイクは知ってます。上半身裸になって、あなたに直接バストを測ってもらうんですよね? それでお願いします。では早速」
少女はそう言うと着ていたメイド服をその場で躊躇なく脱ぎ始めた。たちまち白い両肩が露わになる。
そんな少女の大胆な行動に驚いたのはもちろん薫だ。
「うぉっ!? こっ、こんなとこでいきなり脱ぎだす奴があるか!! 脱ぐならそこの更衣室で脱いでこいや!!」
薫に怒鳴られた少女は浴びせられた雷のような大声に怯えることもなく、不思議そうな顔で胸元のボタンを外していた手を止める。
「だって今お店の中には私とあなたしかいませんよ? この後結局あなたに裸を見せるんですし、ここで脱いでも、あのフィッティングルームで脱いでも、その後の展開に大きな差はないと思うんですが?」
その意見はもっともな部分もあるが、かといって「それもそうだな。じゃあそこで脱げよ」と言えない薫は目の前の半裸になりかけの少女に呆れたような視線を送った。
「あんた可愛い顔して大胆な奴だな……」
「あらやだっ、カワイイだなんて! お褒めいただき光栄ですっ!」
「べっ別に褒めてねーっつーの! つーかそれよりあんたブラジャーしてないのかよ!?」
よくよく見ると少女の肩にはブラ紐が見当たらない。
背中の一部も見えているがそこにブラのホックも見当たらない。
滑らかな両肩や背中は透き通るような白さで、よく磨きこまれた陶器のような美しさがあった。
「はいっ、してません」
ブラを着けていないのかと問われた少女は、褒められた喜びで両頬を染めたままでコクリと首を縦に振る。
「なんでしてねぇんだよ?」
「ブラを持っていないので」
「なに!? ブラジャーを持ってないだと!? 一枚もかよ!?」
「はいっ」
「マジかよ……」
先ほどから呆れる返答の連続に、薫は困惑した顔でまた鶏冠頭をガリガリと掻いた。
「あのよ、余計な世話かもしんねぇが、ブラジャーは着けてた方がいいと思うぜ? 今は着けてなくても形は保てているけどよ、そのまま何も着けねぇで年を取っちまったら張りが無くなった時にたぶん悲惨なことになるぜ?」
「ですからあなたのブラが欲しいんです! 作ってください!」
「……なるほどな。あぁ分かったよ。そういう事情なら特別にあんたのブラジャーは至急で作ってやる。それとこっちの都合で悪いが、今回はあんたの胸、巻き紐で測ることになっちまうが勘弁してくれな」
可愛いと言われた嬉しさでまだ頬を朱に染めていた少女は、なぜかそれを聞いた途端に厳しい眼差しを薫に向けた。
「エスカルゴが無くて計測できるんですかっ!? マスターファンデさん達にとっての電脳巻尺って、唯一無二の大切な存在だと思うんですけど!?」
「んなこと部外者のあんたに言われなくてもわかってるっつーの。仕方ねぇだろ、俺のエスカルゴは人に貸してて今手元に無ぇんだよ」
薫が今電脳巻尺を持っていないことを知った少女の声が沈む。
「そうなんですか、エスカルゴが無いんですね……」
「あぁ。でもちゃんと測ってやっから心配すんな。これでも俺はマスター・ブラだ」
「それも存じてますけど、ちなみに今までエスカルゴ無しの手巻きで測ったことってあるんですか?」
「いや、ねぇよ」
「経験が全然ないのに手巻きで本当にうまく測れます?」
電脳巻尺で測れないことをやたらと気にし、チクチクと何度も突っ込んでくる少女に、短気な薫はついにキレた。
「チッ、グチグチと細けぇ女だなあんた!! あぁわかったよ! じゃあ今回の直し料金は何回でもタダにしてやる! それなら文句ねぇだろ!?」
しかし薫のこの太っ腹な逆切れ提案を喜色満面で受け入れるどころか、少女は悔しそうにギリギリと歯噛みをし、ついにはたまりかねたように叫んだ。
「もうっ! 全然分かってないですっ!! そういうことが言いたいんじゃないんですっ!! ひどいですよMyマスター!! どうして “ サクラがいないから測れない ” って言ってくれないんですか!?」
「……あ? 何言ってんだあんた? それよりなんで俺のエスカルゴの名前知ってんだよ?」
「信じてたのに!! Myマスターならサクラがいないから測れないってちゃんと断ってくれると思ってたのに!! ここはご注文をお断りしなければいけないシーンじゃないですか!! だって手巻きで依頼を請けてしまうのであれば別にサクラはいなくてもいいってことになります!! だけどそれじゃサクラの存在意義が無くなってしまうじゃないですかぁ!!」
少女は今にも泣き出しそうな顔で脱ぎかけのメイド服をひらつかせて薫に駆け寄ると、その華奢な両手で「Myマスターのバカバカバカぁ――!!」と薫の胸を何度も叩き始める。
一方、叩かれている薫は仰天しっぱなしだ。目を皿のようにして何度も視線を上下に往復させ、憤っている少女を凝視する。
「お、おい、ちょっと待てや! お前サクラなのかっ!?」
「そうです!! あなたの相棒、サクラです!! あなたがマスターファンデにおなりになって四年、ずっとあなたと生活を共にしてきたのにそのことにも気づいてくれないなんて!! サクラは超ショックです!! 」
「つーことはこれ人造人間なのかよ!?」
「そうです! 野獣さんにこれのテストを頼まれたんです!」
「なにいいい!? テストってこれのことなのかよっ!? 何勝手なことしてやがんだあのオッサン!!」
「いえ! 今回のことでMyマスターはサクラなんか大して必要としていないことが分かって良かったです!! Myマスター、今まで長い間お世話になりましたっ! サクラはあなたにとって必要の無い娘なので今日限りでお暇をいただきますっ! さよならっ、どうかいつまでもお元気で!!」
「バッ、バカなこと言ってんじゃねぇ!!」
薫はショックで店から飛び出そうとしていた少女型アンドロイドの両肩をがっしりと掴む。そして強引に自分の側に引き寄せるとそのまま力任せにぎっちりと胸元に抱え込んだ。
「行かせるかよっ!! お前がいなくなっちまったら俺が困るじゃねぇか!! それに前にも言っただろうが!! 俺らは一心同体でお前は俺の分身だ!! お前はこの俺の大事な半身なんだっつーの!!」
「Myマスター……」
忠誠を誓う専属操作者からの熱い抱擁と、痺れるような告白を受け、それまで錯乱状態だったサクラはエネルギーが切れたかのように急におとなしくなる。そして「あぁMyマスター……ッ!」と愛おしげに呟くと、薫の胸に自分の頬を何度もすり寄せた。
甘えるサクラの長い黒髪を薫はやや乱暴気味にわしわしと撫で、
「ったくどうしてお前ら女っつーのは何かある度にキャンキャンと喚いてすぐ感情的になりやがるんだ。少しは落ち着けよ」
と苦々しげに文句をつける。
するとサクラはすかさず薫の胸から素早く顔を上げ、きっちりと反論した。
「いえ、お言葉を返すようですが、異常に気短なMyマスターにだけはそれを言われたくないです」
「ほっとけ! 出ていくなんてバカなこと言ってねぇでとりあえず座れよ。なんでそんなになっちまったのか詳しく聞かせてもらわねーとな」
向かいの椅子を顎でしゃくり、薫も作業台の椅子に大股開きでドカリと腰をかける。
「早く座れや」
「はいっ」
薫の命令に従い、サクラがストンを腰を下ろした。
「うおっ!? おまっ、どこに座ってやがんだよ!?」
「え? だってサクラはMyマスターのこの場所が一番のお気に入りなんですものっ。ここに座ってなにか不都合なことでもあるのですか?」
いつもの定位置、薫の左腿の上にちょこんとお尻をかけたサクラは、きょとんとしながらすぐ側の主を見た。着ているメイド服のスカート丈がかなり短いため、薫の脚の上で大きく捲れあがってしまっている。
「大ありだ!! そんななりの時にここに平然と座るんじゃねぇ!! こんなとこあいつに見られたらどーすんだよ!?」
―― しかし時すでに遅し。
店の奥からガシャンと大きな音がした。
作業に打ち込む薫を気遣ってお茶を持ってきた樹里が、店内の衝撃的な光景に目にして湯呑みを取り落とした音だった。




