63. そうだな 俺らは親父の複製だ
Casquette Walk 内に沈黙が訪れる。
幸之進の教えを伝え終わった漸次は、空になった湯飲みを手に立ち上がった。
「茶、まだいるか?」
「いや、もういい」
「そうか」
自分にだけ二杯目の焙じ茶を注いでソファに戻ってきた漸次は、薫のすぐ隣にドカリと腰を落として自分の前に熱い湯飲みをやや乱暴に置く。
「そういや相棒は連れてきてんのか?」
あぁ、と頷くと途端に漸次は声を弾ませ、薫に向かって大きく身を乗り出してきた。
「それ早く言えよ! 見せろよ! 他人のエスカルゴって興味あんだよ!」
「お、おい!? 気色悪ィな! あんまくっつくなよオッサン!!」
漸次との密接距離は30cmを切っている。
こんな暑苦しい風体の中年男に真横に座られてそれだけでも少々、いや、かなり不快なのに、更に間近に寄ってこられた薫は大仰に顔をしかめた。
対象相手が男ということもあり、すでに薫の接近許容範囲は完全にオーバー状態だ。
サングラスのレンズ色はかなりの不透明度なのに、その奥にある目が見えてしまうぐらいの近距離に、不快指数はすでに120%を余裕で越えている。
「おう悪い悪い! つい興奮しちまってな!」
薫に拒絶された漸次は真横に乗り出していた身を元に戻し、「早く見せろよ」とワクワクした顔で急かす。
「いいけど主電源は入れられないぜ? この区画にいる間は電源を入れるなって誓約書を書かされてんだ」
「へっ、そんな紙切れなんてクソ喰らえだ! 何かあれば俺がケツを持ってやるから心配すんな! 完落ちで寝かせちまってんのか?」
「いや。普通に切っているだけだ」
「じゃあ俺でも起こせるな! 早く貸せよ、お前の分身をよ!」
とても断れる雰囲気ではない。
渋々薫はボディバッグからサクラを取り出して手渡す。するとサクラを受け取った漸次の声がさらに弾んだ。
「うぉっ! 女じゃねぇかよ! 俺と同じだな! なんか急にお前に親近感が湧いてきたぜ!」
「あんたも女のエスカルゴなのかよっ!?」
「おいおい、なんだその驚きようは!? このゴツい顔に似合わねぇよ、なんてフザけたことを言いやがったら宇宙の彼方にまでお前さんをブッ飛ばすからな?」
漸次はわざとらしい動作で見せつけるように大きな右拳を固め、薫以上の強面の上にニヤリとした笑いを浮かべる。
「この嬢ちゃんの名前はなんつーんだ?」
「サクラだ」
「いい名前じゃねぇか。……ふぅん、今年の女の本体模様はパールピンクなのか。洒落てんな。……ん? おいルーキー。サクラのここ、どうしたんだ? 傷ついちまってるじゃねぇか」
樹里を助けようとしてその身に負ったサクラの傷。
他人から見たらそれはただの醜いへこみ傷だろう。
だが薫にとってその傷は、ただの傷ではない。サクラの勇気と、自分への忠誠心が刻まれた、誇り高き傷だった。
「ちょっとアクシデントがあって傷ついちまったんだ。近いうちに補修施設に連れて行くつもりだ」
「せっかくの別嬪さんが台無しじゃねぇかよ。これぐらいなら俺が直してやる」
「あんた直せるのか!?」
「おう。こういうメカ物をいじるのは得意なんだよ。この嬢ちゃんの傷くらい簡単に直せるぜ。武蔵も弄ってるんだ、それぐらい察してくれよ」
「そういや、武蔵はあのコウって奴のエスカルゴなのか? 」
「あぁ。子どもの頃から一緒にいたせいか、俺の息子は武蔵が大好きでよ。その深い愛に免じて武蔵の相棒の座を息子に譲ったんだ。それで息子のエスカルゴが、今の俺の相棒ってわけよ。お前と同じ女のエスカルゴさ」
「そいつ今いるのか?」
「いるんじゃねぇか? おう琥珀! どこだ!? 客に挨拶しろ!」
漸次が店の奥に向かって叫ぶと、数秒後に女の電脳巻尺がふよふよと宙を移動しながら現れた。
『 お呼びでしょうか漸次様? 』
「おう、客に挨拶しろ」
『 かしこまりました 』
本体は白地でピンク色の市松模様が描かれている。
琥珀と呼ばれたエスカルゴは薫の目の前にまで一気に近づいてくると、薫をファインダからしげしげと観察し、
『 ……ガサツそうな男ですこと。若すぎるしワタクシの好みではありませんわ 』
と小馬鹿にしたような口調で、挨拶ではなく見た目の感想を述べた。
初対面の巻尺に見下された薫は当然いきり立つ。
「なんだと!? 何様だてめぇ!」
「ははっスマンなルーキー。うちの娘は少々我侭娘でな、親の俺もしつけに困ってんだ。勘弁してやってくれ。どれ、こっちの嬢ちゃんのスイッチを入れてみるか!」
漸次の太い指でサクラのスイッチが入れられ、その回路に息吹が宿り出した。ブルーランプとレッドランプが激しく交互に点灯し、やがてブルーランプのみに落ち着く。
「ようサクラ。おはようさん!」
『 キャッ!? 』
目覚めていきなり、見ず知らずのいかつい男の顔が目前にあったのでサクラは驚いたようだ。
まるで親からはぐれた子犬のように漸次の手の中で周囲を見回す。
そして全方位視覚センサで漸次の隣にいた薫の姿を見つけると、即座にその場からの脱出を試みようとした。
しかしその抵抗も空しく、修理を行うつもりの漸次に身体をがっしりと掴まれてしまう。
「おいおい嬢ちゃん! 自分の父さんの所に行くのはまだ早いぜ? お前さんのその可愛い顔についている傷を俺が直してやってからだ」
だが自分が薫以外の男に掴まれていることを知ったウブなサクラは完璧にパニックを起こしている。
『 いやああああ!! 触らないでえええ!! Myマスター!! Myマスター!! Myマスターッ!! 』
薫の元に戻ろうと、狂ったように叫び、暴れまくって手に負えない。
そんな死に物狂いなサクラを漸次は持て余し気味だ。
「うぉっ、すげぇ力だな……。まだ何も能力補強してねぇのにこんだけの火事場の馬鹿力を出せるなんてたいしたもんだ。おいルーキーよ。悪いが完落ち頼む。弄ってる時にサクラに動かれたら別の怪我をさせちまうからな」
薫は頷くと緊急停止用の単語を口にした。
「さっさと寝ろや」
『 きゃんっ!? 』
サクラはすぐに静かになった。
しかし漸次はおとなしくなったサクラを手に、
「お前、そのワード……」
と絶句する。
そして空いた片手でサングラスを勢い良く外すと、感無量の面持ちで自分の目頭を強く押さえた。
「……そうか……、お前もそれを完落ち単語にしやがってるのか……」
「ど、どうしたんだよオッサン!? まさか泣いてんのか あんた!?」
泣くのを必死に堪えているような漸次の様子が薫には腑に落ちない。
漸次はそれには答えず、代わりに起動用の単語をポツリと言う。
「起こす時は “ 起床 ” ……だろ? 違うか……?」
「あ、あぁ。なんで分かったんだ?」
「分かるに決まってるだろ。それは幸之進が決めた単語じゃねぇか。俺もお前と同じヤツにしてるんだぜ? ……へっ、だが笑っちまうよなルーキー……。俺らは何から何まであいつに影響を受けまくりじゃねぇか。俺らはあいつの複製じゃねぇってんだよ。なぁ?」
漸次がそんな憎まれ口を利く。だがその表情は感慨深げだ。
「……だがよ、俺の中だけじゃない。お前の中でもあいつは今も生きているってことなんだよな。ははっ、やっぱすげぇよあいつは。大した男だ」
数度強く瞬きをし、気持ちを切り替えた漸次は元通りにサングラスをかけ直した。
「よし、ちょっと待ってろ。この硬殻のへこみを直すだけならすぐに終わるからよ」
作業台で漸次がサクラの本体を弄りだす。
するとその背をじっと見つめているのは琥珀だ。何も言わず見ているが、琥珀のレッドランプは激しく点滅している。これはエスカルゴの激怒のサインだ。
『 ……ちょっとそこのアンタ 』
琥珀は自分の主にずっと向けていたファインダの角度を急に90度右に動かし、かなり高慢な口調で薫を呼んだ。そして「あ? なんだよ?」と答えた薫に向かって女王のように命令する。
『 アンタ、私を抱きなさい 』
「ハァッ!?」
電脳巻尺からいきなり自分を抱けと言われた薫はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
そこへすかさず琥珀のヒステリーが炸裂だ。
『 “ ハァ? ” じゃないわよっ! 何グズグズしてんの!? 早くその手で私をぎゅーっと掴みなさいってば!! 』
「な、なんでだよ?」
『 あちらを見てご覧なさい! 漸次様が私以外の女のエスカルゴにあんなに触ってるのよ!? 許せない! もう嫉妬でAIがおかしくなりそうよ! だからアンタが私のこの猛った本体の火照りを鎮めなさい! あの巻尺の飼い主であるアンタにはその義務があるわ! ほらっ、早く私を抱きなさいってば! 』
「済まんなルーキー」
サクラの修理の手は休めず、漸次も頼む。
「うちの娘、マジで淫乱なんだよ。悪いがその手で一度グッと握ってやってくれ。ほっとくといつまでもギャーギャー喚くからうるさくて敵わん。この嬢ちゃんの修理に集中できねぇよ」
「お、おう」
薫は自分の右手の中に飛び込んできた琥珀を戸惑いながらも掴んだ。
『 さぁ早く! ぎゅーっと思いっきりよ! 思いっきり私を掴みなさい! 』
「こ、こうか?」
言われた通り、手の中のピンクの市松模様を目一杯の力を込めて力強く握りしめてみる。
『 あぁんっ…!! 』
琥珀がおかしな声を上げた。
「わ、悪い!! 強く握りすぎたか!?」
『 ……ち、違うわ…… 』
慌てて力を緩めた薫の手の中で琥珀はハァハァと荒い音声を吐いている。
『コ、コウ様の上質で滑らかな手の中でのとろけるようなひと時、漸次様のワイルドでがっしりした手の中での痺れるようなひと時、どちらもうっとりするぐらいのエクスタシーを感じるけど、今アンタに強く握られた時、不覚にも知覚センサが震えたわ……! この私をここまで感じさせるなんて、アンタなかなかやるじゃない……!』
「……お前、頭 大丈夫か?」
思わずそう突っ込んでしまった薫に対し、琥珀はさらに快楽を要求した。
『 さぁもっとよ! もっと激しく私を握りなさい! 特別にアンタは 【 私の抱かれたい男 】、暫定第三位にしてあげるから! 』
「……さっさと寝ろや琥珀」
後方から低く響いてきたその声にサクラは 『 いやあんっ! 』 と叫ぶと薫の手の中でおとなしくなった。
相棒を完落ちさせた漸次は「貸せ」と言うと薫から琥珀を受け取り、腰につけている小型の収納ポーチの中にしまい込んだ。そしてサクラを修理している手を休めないままで「早くこうすれば良かったな。スマン」と苦笑を浮かべる。
「スゲェな、あんたの巻尺……」
「目の中に入れても痛くない可愛い娘なんだけどよ、ちょっとエロすぎんだよなぁ。娘の成長は親としては嬉しいんだけどよ、流石にここまで過剰にフェロモンを出してこられると複雑な気分だぜ。…………よし、これでOKだ。内部もざっと見たが異常はなさそうだ」
「助かったよ。礼を言っとく」
「気にすんな。早く起こしてやれよ。お前の可愛い娘をよ」
「あぁ」
返してもらったサクラを手に、薫は「起床」と言う言葉を発した。




