62. 分かったよ親父 あんたの教えは必ず守る
肺腑をえぐるようなその問いに、漸次は炯炯たる眼で薫を見た。
だが、濃いサングラスが二人の間を阻んでいるせいで薫には漸次の変化が分からない。
「今まで俺は下町開発計画の反対運動に親父が頭を張って活動していたからその絡みで殺されたんだと思ってた。違うのか!?」
戻ってこない返事を引き出すため、執拗に問う。
しかし漸次は無表情に一度首を振っただけだった。
「……さぁな。俺もよく知らん」
「嘘つけ!! しらばっくれんじゃねぇよ!!」
激昂した薫はソファから立ち上がった。
怒りに身を任せた怒鳴り声はさらにその音量を増してゆく。
「あんた警察だったんだろ!? 言えよ!! 教えろよ!! 俺の親父が殺されたんだぞ!?」
「俺ももうとっくに一線を離れた人間だ。今の詳しい捜査状況は分からん」
「じゃあ当時はどうだったんだよ!? 犯人の目星はついてねぇのかよ!?」
「……まず茶を持って来る。お前も少し落ち着け」
それだけを言うと漸次は黙って店の奥へと行き、中で焙じ茶を淹れてくると、二つある湯のみの一つを薫の前に置いた。
「飲め」
しかしまだ冷静になりきれていない薫はそれに手をつけようとはしない。
そんな薫に、いいから一口飲めよ、と促すように漸次はわざと大きな音を立てて茶を啜った。
そして吐き捨てるように、と表現するにはやや力の無い声で「犯人の目星はついている」と答える。
「マジか!? ならなんで捕まえねぇんだよ!?」
「逃げてんだよ。今もな」
苛立ちがまた悪癖を呼び寄せた。薫は舌打ちをして声を荒げる。
「チッ、親父が殺されてから何年経ってると思ってんだよ!! こんな狭い島国で今も見つけられねぇなんておかしいだろ!?」
「 “ 今この時代じゃない ” 、といったらどうだ……?」
冷ややかなその言葉に薫は息を飲んだ。
「なに……?」
「犯人の目星はおおよそだがついている。だがそいつは過去に逃げたんだ。次元転移装置を使ってな」
「!!」
驚きで声が出ない。
「驚いたか? そうよ、お前が会いたがっている六万坂の嬢ちゃんの企業が所持しているその装置を使って今も逃げ続けてやがんだ。その腐れ野郎はな」
「マジかよ……!」
「どの時代に転送たのか未だに掴めていないらしい。犯罪追跡者が頑張ってはいるようなんだがな」
漸次は再び湯飲みを手に取ったが、今度は大きな音を立てて茶を啜らなかった。
言葉をスムーズに伝えるため、ただ口中を湿らせるためだけに、一口分の焙じ茶を飲む。
「俺はもう今の職業に転職しちまったから常に新しい情報を入手することは厳しいが、もし幸之進を殺った犯人に関して確定した情報を掴んだらお前にも必ず教える。約束する。だから今はこれ以上何も聞かないでくれ。堪えろ」
「…………」
「……茶、冷めるぞ。飲んでくれ」
二度目の強い勧めに、喉は渇いていなかったが、父を殺した犯人の情報が分かったら教えるとの漸次の約束を信じ、薫はとりあえず湯飲みを手に取った。
ゴクリと喉を鳴らして焙じ茶を飲む。
飲んでみてカラカラに喉が渇いていたことを初めて知った。
独特の香味が漂うその熱い茶をむさぼるようにもう一口啜った時、漸次は至極真面目な顔で隣にいる薫を呼ぶ。
「おい、ニワトリ頭の新米職人よ」
「だっ、誰がニワトリ頭だ!!」
荒ぶる薫に漸次は言う。
「お前、あの清水の爺さんから下着職人としての心構え的な助言を受けたか?」
「あ、あぁ。あるぜ? エスカルゴは機械じゃねぇ、人間と同じ、自分の分身だって言われたよ」
「俺もそれは言われたことがある。それも確かに真実だよな。なら俺からもお前の脳天にズガンと響くような言葉を一つくれてやるよ。これはお前の親父が生前よく俺に言ってた台詞だ。それをお前にも教えておくぜ」
「親父が……?」
「おう。いいか、俺らの仕事は女あっての商売だ。だがな、決して客に媚びちゃいけねぇ。そんなのは手を抜いて適当な粗悪品を廉価でバラ撒いている三流の下着職人どもに放り投げとけ。奴らが適当に作った安モンのブラジャーに飛びつく客も数多くいるだろう。安易に流れがちなこのご時勢、むしろそっちが主流なのかもしれん。だがな、そういう客は結局誰でもいいんだよ。なにかのきっかけがありゃあ、薄情にも粗製乱造している他の職人に簡単に流れていっちまうもんだ」
「…………」
不思議だった。
今自分に下着職人としての心構えを話しているのは初めて出会ったばかりの人間なのに、なぜか薫は実の父から直接言われているような感覚を覚え、その野太い声に耳を傾ける。
「客を大切にするという事と客に媚びるという事は、一見似ているようだが非なるものだ。だから決して手を抜くな。自分の作品に誇りを持て。たとえ大多数の客が振り向いてくれなくても、自分の作品こそが最高なんだと胸を張れるような魂の入った商品をずっと作り続けろ。そうすりゃあ、いつか分かる奴には必ず分かる。あなたの作品でなきゃ駄目だ、あなたの作品だからいいんだ、という客が必ず現れる。そんな客たちを大切にするんだ」
サングラスの奥からかすかに見えるその目を幼い子どものように澄みきらせ、漸次は幸之進の最後の教えを伝えきる。
「そうすりゃ、それが俺らとその客たちとの断ち切れない絆になる。それが出来てこそ一人前の最高の下着職人さ。お前の親父さんはそう言ってたぜ」
「…………」
最高のマスター・ファンデになる心構えを漸次から聞かされた薫は、足元のエンジニアブーツに視線を落とした。
亡き父の最後の教え。
鉄の掟と共に必ず守っていこうと心に決める。
最高のマスター・ファンデになるために。
── いいか息子一号 自分のやりたい道を進めよ
気のせいだとは分かっていた。
だが自分のすぐ背後に、仁王立ちで腕組みをし、豆絞りの手拭いを頭に巻いてニッと笑っている幸之進の姿が振り返ればそこにあるような気がした。
今は決して手の届かない遥か遠い場所から、やりたい道を進もうとしている自分を見守るために。