59. お前がコウか 【 前編 】
── あいつが言っていた通り、まるでカプセルみたいな街だな
蕪利区画の中に無事に侵入できた薫は街並みを見てそんな感想を持った。
今のこの通りを多少歩くだけで全ての用事が一度にこなせそうだ。
様々な機関や施設、店舗が全くと言っていいほどの同じ間隔で繰り返されている。
しかも街の中のあちこちに監視用のカメラが設置されていて、二十四時間休むことなく少し上の位置からこの区画内を冷静に観察し続けていた。
通りに面した全ての建物の壁には電光警戒警報が途切れることなく張り巡らされている。
今はその黒のボード上は青緑の文字で 【 ⇒ Notparticular | 異常なし | 】 が延々と静かに流れ続けているが、一度何か異常事態が起ればここには即座に緊急警報が走り、鼓膜をつんざくようなアラート音が区画内に鳴り響くのだろう。
判で押したようなこの街の風景と、監視カメラの多さ、そして異様な警戒ぶりに、今吸っている
この空気までもが区画内の統制管理局で人工的に管理されていそうな錯覚がしてきて、薫は不快気に眉を顰めた。
自分が暮らす下町区画に今もどことなく漂う、アナログで猥雑な空気など、ここには欠片も落ちていそうに無い。
── ここだな
Casquette Walk の場所は事前にFSSのサイトで調べていたので、それほど時間がかからずにたどり着くことができた。
蕪利区画内の機密漏洩を防ぐため、通過を許可された一般訪問者の携帯やレコーダーなどの録音・記録機能のある機器は封鎖門で一時的に没収される。エリアから出る時まで返却はされない。
希望をすれば使用可能な別の携帯を貸し出してもらえるが、通話先や会話の内容は全て統制管理局に搾取されてしまう。
Casquette Walk内でこれからコウに行う頼み事が法に抵触する内容であることを認識している薫は、当然の如く携帯のレンタル申請は行わなかった。
データ保持機能を持っているサクラも危うく没収されるところだったが、“ 電脳巻尺は下着職人が常時所持していなければならないものだ ” という長次郎の口添えで、必要時以外は電源をOFFにしておくこと、蕪利区画内の情報を一切記録や録音をしないという誓約書に署名させられた上で区画内への持込を許可されている。
背中に斜め掛けしている革のボディバッグに入れているサクラの電源が一時OFF状態になっていることを確認してから薫はあらためて Casquette Walk を見上げた。
この店もいかにも高級そうな佇まいである。
ただし、長次郎の方が「和の高級店」だとすればこちらは洋風寄りだ。店外も店内もモノトーンで統一されている。
入店を試みようとした時、入り口に 【 close 】 の表示があることに気付いた。
この店も水曜が定休日なのか、と思い裏口を探そうとした薫の前で扉が音も無く開いた。
しかし雷太のように 『 いらっしゃいませ 』 と自分を丁寧に出迎えるエスカルゴの声は無い。
『 お前、外の看板が見えないのかよ!? 』
代わりに無遠慮な声が投げつけられる。
その声の方角に目をやり、店の奥から自分を見ている唐草模様のエスカルゴの存在を確認した薫は目を疑った。
今ほんの数メートル先にいるエスカルゴが、亡き父が持っていた物と瓜二つだったのだ。
「お前武蔵かっ!?」
驚愕した声で指をさすと、宙に浮く唐草模様のエスカルゴは何も言わずにレンジファインダから赤い光を薫に向けて発射する。
目の最奥部にまでじわじわと滲みこんでくるような光線を突然右目に当てられ、片側の視界を一時的に遮断された薫は「うぉっ!?」と叫ぶと素早く後ろに下がった。
「なっ何しやがんだてめぇ!?」
『 ……虹彩照合終了、データの一致無し、か……。つーことは俺とお前は初対面ってことだ。
なのになんでお前は俺を見た瞬間に俺の名前を言った? なんで俺の名を知ってる?』
片手を目に当てて薫は叫んだ。
「やっぱ武蔵か! お前のその唐草の本体、忘れるわけがねぇ! お前は俺の親父のエスカルゴじゃねぇか!!」
『 お前の親父? 』
「そうだ! 廻堂 幸之進だ! お前は俺の親父が死んだ時に形見分けで親父の友人に貰われていったんだよ! 覚えてねぇのかよ!?」
武蔵の本体についているレッドランプが激しく点滅し始める。
『 カイドウ コウノシン……? お前が言ってる事、全然分かんねぇぞ? いいか、俺の初代マスターはこの店で万能工匠をしている漸次さんで、今はコウのエスカルゴだ。お前こんな真昼間っから定休日の店に乗り込んできて寝ぼけてんのか? 大体お前は何モンだ? 名前を名乗れよ 』
「廻堂 薫。俺もマスター・ファンデだ」
目から手を外してそう名乗ると、『 あぁん!? お前がマスター・ファンデ!? ははっ、それはありえねぇだろ! 』と武蔵が爆笑する。
「なんだとゴラァ!!」
『 俺のデータにはお前の名前はねぇぞ? つーことは今年受かったばかりの新米職人か?」
「あぁそうだ!!」
『 へぇ……。で、その資格を取ったばかりのヒヨッ子がここに何の用だよ? 』
自分の目的を思い出した薫は怒りを抑えて尋ねた。
「……コウって奴に会わせてくれ」
しかし武蔵は即答で拒否をした。
『 駄目だ。コウは今ちょいと大怪我中でな。絶対安静中なんだよ 』
「頼む。そいつとどうしても話がしたい。どこの病院にいるんだ? 場所を教えてくれ」
後がない薫は必死に食い下がる。
『 駄目だっていうのが分かんねぇのかよ。大体お前、うちのコウに何の用なんだ? 』
「そいつの顧客に六万坂 樹里って女がいるはずだ」
『 六万坂? 』
武蔵は少し考えるような素振りを見せた。そして自分の体内に持つ顧客データの照合を始め、そのデータを見つけ出したようだ。
『 あぁ、分かった分かった! あの取り済ました美人なネーチャンな! なんだよ、お前あのネーチャンと知り合いか? 』
「そうだ」
『 ふーん。でもあのネーチャン取り済ましてはいやがったが、肝心の胸の方はなかなかいいモンを持ってるよな!? 俺の記憶じゃサイズはD! 乳椀の色は#ffefd5! 乳頭の色は#ffb6c1だ! 大きさ、色、形、弾力、申し分ねぇ! 男がふるいつきたくなる、っていうのはああいう乳だろうな! お前もあのネーチャンを知ってるならそう思うだろ? 』
「てってめぇ!! やらしい言い方すんじゃねぇよ!!」
樹里の胸の様子を事細かに言われた薫の頭に血が上る。薫のその激怒ぶりに武蔵はランプを先ほどよりも激しく点滅させ、不快感を露にした。
『 なんでお前がムキになるんだよ!? あのネーチャンはお前の女だとでもいうのか? ハハッ、いくらなんでもまさかそれはねぇよな! それじゃ美女と野獣を地で行く展開になっちまうぜ! 』
「ほっとけや! おい、じゃあお前でもいい! そいつがこの蕪利のどこに住んでいるのか教えてくれ! お前がデータを持っているから知っているはずだ!」
『 何……? お前、それ正気で言ってんのか? 』
それまで空中で斜に構えて薫を見ていた武蔵が、初めて本体を真っ直ぐに向ける。
自身にやましい所がある薫はグッと目を伏せ、苦渋の表情で頷いた。
「……あぁ、自分でもとんでもねぇことを言ってるのは分かってるよ。客の情報を俺に横流ししろって言ってるんだからな」
『 ヘッ、じゃあ俺が言う訳ねぇってことも分かってるってことだな 』
「分かってるが教えてほしいんだ!! 頼む!!」
これしか樹里の行方を掴む方法が無い薫は叫ぶ。
その薫の必死さに武蔵は嘲るような音声を止め、樹里の顧客情報を知りたがる理由を真面目に問い直してきた。
『 なぜあのネーチャンに会いたがる? 俺には六万坂の嬢ちゃんと、その辺の馬の骨みたいなお前に接点があるようにはとても思えねぇんだがな 』
「……さっきも言ったろ。俺はあいつの知り合いだ」
『 お前知り合いなら連絡先とか聞いてないのかよ? 普通は知ってるはずだ 』
「あいつはここに連れ去られちまったんだよ!! 連絡の取りようがねぇんだ!!」
そう薫が叫んだ時、店の奥の空気がかすかに揺れた。
「……お客様ですか武蔵?」
店内にゆらりと出てきた長身の青年に武蔵が驚く。
「お前寝てないで大丈夫なのかよ!? まだ完全修復終わってねぇだろ!?」
「でも店から怒鳴り声が聞こえたので……」
整った顔立ちの紅い髪の青年は視線を横にずらして薫を見た。
こいつがコウだな、という確信はあったが、シスル色のYシャツにライトグレーのスラックス姿の細身の男に薫はあえて尋ねる。
「あんたがコウか?」
「はい。そうですが……」
甘いマスクでコウが穏やかに笑う。しかしその顔色はあまり良くない。
その物腰と言い、体格といい、口調といい、随分と軟弱そうな優男だと薫は思った。
「僕に何か用でしょうか?」
『 おいコウ。六万坂グループの樹里っていうネーチャンを覚えてるか? こいつ、そのネーチャンの家の住所を教えてくれって喚いてるんだよ。しかも教えればこっちが顧客情報漏洩で罰則を喰らう事が分かっていて頼んできている大馬鹿野郎だ 』
武蔵のその報告に、コウは薫を興味深そうに見る。
「分かっておられるのに尚それを僕らに頼むという事は、何か相当な事情がおありのようですね……。よろしければお話を聞かせていただけないでしょうか?」
『 コウ、いいからお前は寝とけって! 土手っ腹の傷、まだ完全に塞がってねぇんだろ!? この大馬鹿野郎は俺がちゃっちゃと追っ払っておくからよ! 』
武蔵はそう言い終わるや否や、体内から弾き出した巻尺を薫の左手にぎっちりと絡みつかせる。
「痛っ!」
左の指骨がぎしぎしと鳴り、思いがけないほどの強い痛みが走った。
児童保護局の局員を威嚇するために作業台を殴って割れたアクリルケースで傷めた古傷が、内部から薫を痛めつける。
『 おいおいっ、この程度でもう泣き声上げてんのかよ!? まだ俺様は半分程度しか力を入れてねぇってのに情けねーなぁ! お前ガタイはいいくせにただの見掛け倒しなのかよ!?」
薫の左手の古傷がまだ完治しきっていないことを知らない武蔵が、痛みで顔を歪めた薫を面白おかしくそう揶揄する。
「はっ、離せやゴラァァッ!!」
痛みを堪え、薫は武蔵に殴りかかった。だが武蔵は殴りつけてきた薫の右拳を空中であっさりとかわすとさらに薫の左手を締め上げる。
「ぐうっっ!」
左手にさらにキツい痛みが走る。
しかし薫に与えているその痛み全てが純粋に自分の力によるものだと錯覚している武蔵は、満足そうに自慢を始めた。
『 ヘッ、ただの巻尺風情になんでこんな力があるんだって顔してんなぁおい? 教えてやるよ。俺はな、漸次さんにメチャクチャ能力補強されてんだ。だからお前らに支給されてるエスカルゴとこの俺様はすでに別次元の巻尺だと思ってくれていいぜ? 』
「ぐうううっ……! チ、チクショウ……!!」
左の拳に食い込んだ巻尺は今にもミリミリと音を立てて薫の手の骨を砕きそうだ。
しかし薫の両目の光は決して死んでいない。
燃え滾るような熱の視線で数メートル先の武蔵を睨みつける。
『 おいお前、腕っ節には相当自信ありそうな顔してやがるが止めときな。史上最強エスカルゴなこの俺様には敵わないって。それにそこにいるコウも今は手負いだけどよ、それでもお前みたいなただのガキには間違っても負けねぇぜ? いいか、今攻撃を左手に絞っているのはこの俺様の温情だ。筋肉のつき具合からいって、お前右利きだろ? 大事な商売道具の右手をぶっ壊されたくなかったらこのままおとなしく帰れ。分かったな? 』
無情にも白い巻尺はまだ締め上げる事を止めない。
「ぐくっ……!!」
痛めた古傷が悲鳴を上げ続けている。手の甲の内部を奔る強烈な痛みで、五つの指先の感覚はすでに無いも同然だ。
だが薫は諦めない。
左手の中で狂ったように暴れる激痛を奥歯を食いしばって堪え、少し離れた場所で困ったような顔をしているコウに顔を向けて必死に頼む。
「なぁ頼む! あんたに迷惑はかけない! あんたから聞いたとは絶対に言わねぇよ! だから頼む!! あいつの居場所を教えてくれ!!」
『 おーおー、ここまでされてもまだ諦めねぇのかよ? ドえらい気合が入ってんなヒヨッ子!! 』
武蔵は面白そうに口笛のような高い音を体内から出すと、唐突にぎっちりと絡み付けていた巻尺を薫の左手首から解いた。流れる血量が足りなくて土気色になってきていた薫の手に瞬く間に血流が戻ってゆく。
『 なぁお前、そんなにあのネーチャンの居場所が知りたいのかよ? 』
「あぁ! 教えてくれ!! 頼む!!」
すると武蔵は手首を締め付ける拷問よりもさらに過酷な、薫が絶対に飲むことのできない要求を突きつけてきた。
『 じゃあよ、ここに土下座して俺らに “ どうか教えて下さい お大臣様 ” って頼んでみろよ。そうすりゃ俺らも気が変わってあのネーチャンの居場所を教えてやるかもしれないぜ? 』




