51. 見てやってくれ これが俺の尊敬する男だ 【 前編 】
その突然の告白に樹里は目を見開く。
「事故ではないのならお父さんはどうして……?」
父の本当の死因を聞かれ、手にしていた携帯がほんのわずかだけミシリという音を立てた。
その吊り上がった目の中に憎悪の光が見え隠れする中、薫は本当の死因を吐き捨てる。
「殺されたんだよ。腹を円抉銃でぶち抜かれてな」
「円抉銃!?」
樹里が叫ぶ。
「それって罪人の死刑執行時に使う処刑用の銃じゃない! なぜ!?」
「……俺がガキの頃、この下町区画一帯の店や家を全部更地にして何かをぶっ立てる計画があったみたいでな、親父や近所の住民でその反対運動をしてたんだ。親父はその運動のリーダー的な位置にいたからな、おそらくその絡みで殺されたんだと思う」
「そ、そんな……犯人は!?」
薫の目の中で更に憎しみの炎が青白く燃え上がった。
「未だに見つからねぇ。臭いものには蓋でこのままおそらく時効になっちまうだろうよ。でも親父が円抉銃なんていう一般の人間が持てないような凶器で殺されたことによって当時のマスコミがその事を大きく騒ぎ立ててな、結局その騒ぎで開発計画も白紙になったんだ。つまり親父の死で俺らの生きていく場所は守られたってことだ」
話すうちに憎しみの感情が身体の表面を厚く覆い始めていくのが分かった。冷静になろうと薫は大きく息を吐く。
「人気の少ねぇ路地裏で親父は見つかった。腹をぶち抜かれての失血死だ。親父は一人で死んでいったが、その時持っていた携帯で俺らに最後のメッセージを遺していった。その動画から俺に向けてのメッセージだけを抜き出してこの中に移してある。いつでも見られるようにな」
「……それを、私に見せてくれるの?」
薫は固い表情で頷く。
「これでしかもうお前に俺の親父を見せてやることはできない。ただ、腹を撃たれて意識が飛びそうになる一歩手前で必死に遺した映像だ。女のお前が見るには少し惨いかもしれん」
「見せてほしい。薫のお父さんを見てみたい」
樹里は即答した。
「それに私も両親の事故現場に立ち会ってる。惨い経験なら私もすでに体験済みだよ」
「そうか……。じゃあ見ろよ。もっとこっちに寄れ」
薫は樹里とお互いの肩を密着させるような体勢を取ると、携帯のディスプレイを傾ける。
そしてムービーフォルダから幸之進の遺したデータを選び、かけていたロックを解除した。
最初は画面は暗く、ノイズだけが響き、しばらく画面がゆらゆらとしていたが、やがてそこに灰色がかった茶髪を豆絞りの手拭いで巻いた、三十代くらいの大柄な男の顔が映る。
「薫にそっくりだ」
驚いた樹里が思わずそう口にすると、「親父だからな」と薫が答えた。
薫の父、廻堂 幸之進は袋小路の石壁にもたれかかり、脂汗を浮かべて苦しげな表情も見せながらも、それを堪えて何とか笑おうとしている。
「……本妻一号、息子一号、娘一号。いいか、これからお前ら一人ひとりに俺からの最後の言葉を言うぞ。心して聞きやがれ。いいな? まずは本妻一号からだ」
ここで画面が一時的に止まる。
「俺のところだけ抜き出して保存してる」
と薫が再度説明した直後、再び動画が動き出す。
先ほどまでは見えていなかった血が、今は幸之進の左端の口元から細く垂れていた。幸之進が妻や娘にメッセージを遺している途中で血を吐いたせいだ。
幸之進は口中にたまった血反吐をゴクリと無理やりに飲み込むと、今度は薫に向けてメッセージを伝え始める。
「……さ、最後は息子一号か……。…………薫、今までずっと息子一号と呼び続けて悪かったな。なんかお前らを名前で呼ぶのが妙にこっ恥ずかしくてよ、なんともいえねぇむず痒い気持ちになっちまうんだ。俺のこの気持ち、お前もデカくなったらきっと分かると思うぜ」
幸之進は痛みを堪えながらもヘヘ、と照れ臭そうに笑う。
「あとは俺がいつもお前に言ってきた鉄の掟を忘れんなよ? 念のためにもう一度言っておいてやる。い、いいか、男は土下座すんな。一度口にした約束は必ず守れ。自分のやりたい道を進め。そして誰にも負けねぇと胸を張って言える時以外は自慢すんな。必ず守れ。必ずだ」
必ずだ、と言う台詞に力が入りすぎたせいで、幸之進の口元から流れて続けている赤い血の筋がさらに太くなる。
幸之進は二度異様な咳き込み方をした後、腹部の痛みを紛らわすために下唇を噛み締め、必死に続きを話す。
「そ、それとこれは掟じゃなくて父親としての俺からのアドバイスだけどよ……、お前は見かけも気質も笑っちまうくらい俺にそっくりだ。だから嫁は年上を選べ。彩子と一緒になって分かったが、俺らみたいな古臭せぇ感覚の男は姉さん女房を貰った方がたぶんうまく行くぜ」
そう告げ、幸之進はニッと笑顔を見せたが、急にその表情を鬼気迫るほどの真剣なものに変える。
「……薫。彩子と可乃子のことを頼む。まだガキのお前にこんなデカイことを頼むのは親父として情けねぇが、これはお前にしか頼めねぇ。俺はお前たちの場所しか守ってやれなかった。不甲斐ねぇ駄目親父で本当に悪い」
幸之進はここで静かに目を閉じた。
そしてしばらく荒い息を吐いていたが、目を閉じたままで薫に最後の指示を語り出す。
「言っておきたいことはもうねぇかな……。あぁそうだ、可乃子のことだな。なぁ薫……、覚えてっか? あいつは生まれた時はサルみたいなクシャクシャの顔をしてたけどよ、親の俺には分かる。あいつはデカくなったら間違いなく彩子以上の別嬪さんになるぞ。だからデカくなった可乃子にろくでもねぇクソ男が寄り付かねぇように、お前が可乃子を守れ。それでもクソ男が寄ってきやがったら俺の代わりにお前がそいつをブッ飛ばせ。お、俺が、許可す…る…」
無理をして長く喋りすぎた幸之進の口元からゼェゼェと荒い息が絶え間なく漏れ始める。
円く抉られた腹部の傷跡が刺すように痛むのか、時折「ぐっ」という苦悶の声が、口の端から流れ出る血と一緒に地面へと落ちていく。
必死にその痛みを堪え、幸之進は再び目を開けると上空に広がる茜色の夕焼けを眺めた。
「ハハ……、さっきまであんなに真っ赤だった空から色が消えやがったか……。すげぇな。灰色だ。灰色しか色がねぇ。血を出しすぎってっからかな」
出血の量があまりにも多すぎて視神経に影響が出始めていた。
幸之進はドクドクと鮮血が溢れ出る傷ついた自分の腹部に手を当て、うつろな目で本来は鮮麗な色の夕焼け空を見続ける。
「これじゃもう仕事もできそうにねぇな……。色が分からねぇんじゃブラジャーも作れねぇよ」
悔しそうに幸之進が愚痴る。
そして自分の目に映る色の無い世界に興味を無くしてしまったのか、再び目を閉じた。
「あぁチクショウ……、せめてもうちょいだけ生きたかったぜ……」
決して叶うことのないその哀しき願いを呟いた時、幸之進の右の目尻から一筋の涙が細く零れた。
自分が泣いていることに気付いていない幸之進は、その命果てる間際、最後の力を振り絞って言う。
「……彩子、薫、可乃子。一度しか言わねぇからよく聞けよ」
幸之進は静かに目を開けた。
そして穏やかに笑いながら、最後の、本当に最後となった言葉を告げた。
「俺の家族でありがとな」