49. いいか 俺に口答えは許さねぇ
12月5日水曜日。
ボアンジュは定休日だ。
50%OFFセールも終わり、価格が元に戻った今月の売上がどう変わるのか、これからが正念場だ。
今日は朝から空の低い位置にくすんだ色をした雲が立ち込めている。
外の空気も本格的に寒さを増してきていた。
居間の窓からそんな空模様を眺め、気がくさくさしている薫に樹里が話しかける。
「薫、可乃子の傘が玄関にあったんだけど、可乃子は他の傘を持っていったのかな?」
「いや、あいつが使うのはそれしか無いから、なら持っていってないと思うぜ」
「では可乃子が帰宅する頃に私が迎えにいくよ」
薫は時計に目をやる。時刻は午後二時だ。
「今日、雨降るのか?」
「うん、さっきTVで言ってた」
薫は自分も今日の天気を確認しようとTVをつける。
するとちょうどつけたチャンネルが心霊番組を放送していたため、TV画面に恐ろしい形相の心霊写真が大写しになった。
「きゃああああ!!」
恐怖映像を見た樹里が絶叫する。
その甲高い絶叫砲をすぐ横で喰らった薫は顔をしかめた。
「いきなり叫ぶんじゃねーよ! お前の叫び声の方に驚いたじゃねぇか!」
「早く消して!」
薫は再びTVの画面を見た。
女とおぼしき霊の恨みがましい顔が、列車の座椅子の隙間からヌゥッと飛び出してきているかなり不気味な心霊写真だ。
「そういやお前ホラーとか苦手だって言ってたよな……。怖いのかよ、これが?」
「そ、そう! 怖いから早く消して!!」
「ったく何が怖いんだよ、こんなもん」
TVではこの心霊写真を見た出演者の恐れおののく声が聞こえてくる。液晶上にボタンを表示させ、それを操作すると唐突に出演者たちの声が消えた。
「おら消したぞ」
ホッとしてこちらに向き直った樹里がまた絶叫する。
TVには先ほどとはまた別の心霊写真が映っていたからだ。
薫はニヤニヤしながら「あ、悪ィ悪ィ。消すつもりが消音押しただけだった」とうそぶく。
「わざとしてるでしょ薫!?」
「さぁな。お、こっちの女の霊の方がさっきのよりすげぇ引きつった顔してんぜ? 見てみろよ」
「嫌っ! 怖いって言ってるじゃないか! 薫のバカ!!」
「おま、人に向かってバカとはなんだよ!?」
「バカだからバカなんだ!!」
そう叫ぶと樹里はバタバタと別の部屋に逃げて行ってしまった。
樹里をからかってスッキリした薫はその後ろ姿を満足げに見送る。
そしてチャンネルを変えて天気予報の番組を探し始めたが、もう外に激しい雨音がし出していることに気付き、TVを消した。
その直後、窓の外に稲光が走りドオンという腹に響くような雷鳴が響く。
お、雷か、と思った薫が窓に目を向けた時、居間を飛び出していった樹里が物凄い勢いで駆け戻り、薫の身体にしがみく。
「なんだよ急に抱きついてきやがって。今お前、俺をバカ呼ばわりして怒って出て行ったばっかじゃねぇか」
しかし樹里は何も言わずに薫に抱きついて震えている。その様子に、薫はある予想が閃いた。
「……お前もしかして雷も怖いのか?」
樹里がコクコクと二度頷く。
その時また稲光が落ちたので樹里は口中で小さく叫ぶとますます強く薫に抱きつく。
「お前苦手なもん多すぎだろ」
呆れ果てたように言うと、樹里はカァッと顔を赤らめて言い返した。
「薫だって茄子が嫌いなくせに!」
「お前また俺に口答えしやがったな……!? 俺に口答えは許さねぇって何度も言ってんだろうがっ!!」
薫は舌打ちをすると「おら来いや!」と樹里の身体を横抱きに抱え上げ、そのまま玄関先の軒下にまで出る。
「薫! なぜ外へ!? こんなところにいたらっ」
そこへ三度目の落雷。
樹里はきゃあっと叫ぶと薫にしがみついた。
薫は脅える樹里を抱き上げたままでニヤニヤと笑う。
「すげぇ雨だな。見てみろよ。はっきり雷の形が見えるぜ? 映画みてぇだな」
「かっ、薫! 私を怖がらせるためにやってるでしょ!?」
「当たり前じゃん」
薫はこれ以上ないくらいの意地悪げな笑みで口の片端を上げた。
「どうだ? もっと雷の近くにいってみるか?」
「い、嫌だ!! 下ろして!!」
「駄目だ。下ろしたらお前家ん中に逃げ込んじまうだろうが」
樹里を抱きかかえ、そのまま次の落雷を待ったがなかなか雷鳴は轟かない。
手持ち無沙汰になり、周囲を見回していた薫は家の軒先を移動中だったある物を見つけ、そのすぐ側に樹里の身体を近づけた。
「おい、これ見てみろよ」
薫の首元にしがみついていた樹里がその物体を見る。
「蜘蛛!?」
「おう、アシダカグモだな。うちで雨宿りしていくつもりなんだろうよ。結構デカイじゃん。こっちに来ねぇかな」
「やっ止めて薫! 私は蜘蛛も苦手なの!!」
「んなこと知ってるっつーの。前に家の中に出た時にお前騒ぎまくってたじゃねぇか。あの時お前があまりにビビるからさすがに可乃子も引いてたぞ」
樹里をがっちりと抱え、薫はさらに蜘蛛に近づく。そしてわざと樹里の素足を蜘蛛のいる方角に向けた。
「お、お前の脚に乗りそうだぜ? いいぞこっちに来い」
「いやああああああ!!」
薫にしっかりとしがみつき、身を縮めるだけ縮めた樹里が叫ぶ。そこへ、
『 どうかなさったのですか Myマスター? 樹里様の叫び声が聞こえたのですが…… 』
急に外へと出た薫を追ってサクラも玄関先に出てきた。
「サクラお願い! 薫を止めて! 私の足にその蜘蛛を乗せようとしているの!」
樹里がサクラに必死にすがる。
そのあまりの脅えぶりに、サクラは樹里を庇って自分の主に苦言を呈した。
『 Myマスター、以前にも申しましたが、マスター・ファンデたるもの、いつ如何なる時でも女性には優しくすべきです。樹里様を苛めてはなりません 』
「こいつが俺に口答えすっから悪いんだっつーの! いい所にきたな、おいサクラ! お前手伝え! こいつの脚にそこの蜘蛛を乗せろや!」
そのとんでもない命令に、樹里が身体を震わせる。
「や、やめてサクラ!! お願い!!」
「俺はこいつを抱えてるから手が使えねぇんだ! やれサクラ!」
自分の操作者と自分の名付け親、その両方からの真逆の要望に、サクラはブルーランプとレッドランプを何度も交互に点滅させる。この反応は煩悶している状態だ。
『 サクラはどうすればいいのでしょうか……。お二人のご命令を同時にきくのは無理です 』
「いいからやれサクラ!」
「やめてサクラ!」
『 …… 』
どうしていのか判断できないサクラは空中で停滞し続けるばかりだ。ついに短気な薫がサクラを怒鳴りつける。
「おいサクラ! お前の主は俺だぞ!? お前のレゾデ何とかはどうした!?」
── それはまさに勝負を決めたとどめの台詞だった。
ついにサクラから『 かしこまりました Myマスター 』という音声が出てくる。
「そんな!? どうしてサクラ!?」
勝ち誇った顔で薫に捕まえられている樹里に向かって、サクラは謝罪の意味をこめて本体を大きく前傾させた。
『 申し訳ございません樹里様……。マスター・ファンデと電脳巻尺は表裏一体の関係。つまりMyマスターのご意志はサクラの意志にもなるのです 』
「おっしゃあ! よく言ったサクラ!!」
今の薫は好きな子を苛めて喜ぶ悪ガキの表情だ。楽しくて楽しくてたまらない、といわんばかりの顔になっている。
「よしサクラ! 早くそこの蜘蛛をこいつの脚に乗せろ!」
『 かしこまりました Myマスター。樹里様の脚にこの蜘蛛を乗せます 』
サクラは体内からスルスルと二本の巻尺を出し、蜘蛛を潰してしまわないよう、その先端をうまく使って器用に挟む。
「いやあああああああ!!!!」
もうまもなく自分の脚に蜘蛛が投下される事実から逃れようと、両足をバタつかせ、樹里が必死に抵抗する。
しかし逃げたくても薫にガッシリと抱え込まれているので逃げられない。
そんな大騒ぎを玄関前でしていると、
「何してるのお兄ちゃんたち……?」
折り畳み傘を使って学校から帰ってきた可乃子が薫と樹里を不思議そうに見上げている。
早すぎる妹の帰宅に驚いたのは薫だ。
「可乃子!? お前なんでもう帰ってきてるんだ!? まだ学校が終わる時間じゃねぇだろ!?」
「今日は午後から天気が大荒れになるみたいだから授業が一時間短縮になって集団下校になったの。それよりお兄ちゃんたち、お家の前で何騒いでるの?」
心強い援軍が来たと思った樹里が今度は可乃子に必死に頼む。
「可乃子! 薫を叱ってほしい!」
「お兄ちゃんが何かしたの?」
「うん! 私はホラーが嫌いなのにわざと心霊番組を見せたり、雷が怖いのにこうして無理やり外に連れ出したり、今なんてそこにいる蜘蛛を私の脚に乗せようとしているの!!」
それを聞いた可乃子は薫を心底軽蔑したような目で見つめ、呟く。
「お兄ちゃんのドS」
妹にそんな蔑みの言葉を投げられた薫は目を剥いた。
「ド、ドSだとッ!? おい可乃子! お前どこでそんな言葉覚えたんだ!? まさかあの番組じゃねぇだろうな!?」
「しーらないっ」
可乃子はツンとそっぽを向くと、先に家の中に入っていってしまう。
「待てや可乃子!! お前また俺に隠れてモテる悪女がどうとかっていう下らねぇ番組を観てんじゃねぇだろうな!? あぁ!?」
怒り心頭の薫が樹里を抱えたままで家の中に駆け込んでいく。
玄関先の軒下にポツンと取り残されたのはサクラだ。
サクラは己のランプを点滅させ、どうすればいいのかをまた思考する。
「可乃子! お前あのエロ番組はもう見ねぇって約束しただろうが! あぁ!?」
「別にあの番組はエッチな番組じゃないもん! 男の人を手玉に取るやり方を教えてくれる番組なだけだもん!」
「だからそういうのがお前にはまだ早いって言ってんだろうが!!」
「いいの! 可乃子の今後の人生にすっごく役立ちそうなんだから! 何事も勉強だよ!」
「ふざけんな!! 今から色気づいてクソみたいな男が寄ってきたらどうすんだ!!」
「いい加減にしてよお兄ちゃん!! いつもそうやってすぐヘンな心配ばっかりして!! お兄ちゃんは心配性すぎ!!」
「うるせぇ!! お前におかしな男が寄ってきたら俺がブッ飛ばすからな!?」
家の中で薫と可乃子が言い合いをする声が聞こえ出してきたので、サクラはつかんでいた蜘蛛をそっと元の窓枠部分に戻した。そしてすごい速さで逃げていく蜘蛛を見送った後、急いで薫の後を追う。
家の中に入ると、たった今いたぶられた仕返しも兼ねて樹里も薫を責め始めていた。
「薫! 可乃子の言うとおり君は過保護すぎだよ! それに君に可乃子を叱る権利なんかないでしょ! 君だってグロテスクなDVDをたくさん持ってるくせに!」
「うっせーな! お前は口を出すんじゃねぇ!!」
三者入り乱れてのこの言い合い合戦を何とかして止めようと、遅れてこの場に合流したサクラは一番の元凶となっている人物を再び諌める。
『 Myマスター……、サクラは何度も申し上げてきておりますが、マスター・ファンデたるもの、常に博愛の心を持ってすべての女性に接しなければなりません。どうしてお分かりになっていただけないのですか? 』
「チッ、どいつもこいつも……!」
以前と同じように、またしても廻堂家の女性陣全員から反旗を翻された薫が忌々しげに舌打ちをする。
「どうしてお前らは俺に口答えばかりしやがるんだああっ!!」
キレた薫が怒鳴り散らす声が通りの外にまで響いてゆく。
五ヶ月前、薫と可乃子二人っきりの生活をしていた頃とは違い、今ではこの騒がしくも賑やかな光景がいつもの廻堂家の日常となりつつあった。




