48. お前も相当な物好きだな
── 11月27日。
霜月も間もなく終わる。
長次郎の助言を受けて行った、【 ボアンジュオープン記念・商品ALL50%OFF 】セールも今日を入れて残り三日だ。
“ 半額 ” という値段の魔力は薫が思っていた以上に強い影響力をもたらし、特に価格にシビアな主婦層に絶大な効力を発揮していた。
長次郎の手回しでFSSのお得掲示板に広告も掲載されたため、店舗には40代以上の女性が時折顔を覗かせていくようになっている。
しかもネット注文の方は更に大きな結果を出していた。
職人にバストを見せずに自分の申告サイズのみで製作依頼ができるため、10代、20代の女性からの注文も数多く入っている。
そしてボアンジュのサイト内で、薫の専属型式として樹里を紹介し、起用したのも受注に多大な影響を及ぼしていた。
“ 今年FSSの試験に合格したばかりの新米職人にすでに専属のモデルがいる ” という噂が閲覧ユーザーの口コミで広がり、サイトのアクセス数が飛躍的に上昇したためだ。
通常、マスター・ファンデがモデルと専属契約するのは、修練を積み、一段上のマスター・ブラのランクに上がってからだ。新米職人がモデルと専属契約するなど今までに前例が無い。
その前例を、薫が覆したのだ。
しかもそれに加え、樹里の顔立ちやプロポーションが他の本職モデルと比べても決して引けを取るレベルではなかったため、ネット上に掲載した樹里が身につけているブラは他の商品よりも明らかに多く注文が入っている。
── しかしすべてはこのセールが終った後だ。
後は今回のキャンペーンで掴まえたこの顧客たちを今後どこまでリピーターとして自分の手の中に取り込むことができるのか、そこが薫とボアンジュの、この先の展望を占う分かれ目だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……薫、起きてる?」
可乃子の部屋。
主電灯を消した薄暗い室内で自分を呼ぶ樹里の声がする。
背を向けて寝ていた薫は寝返りを打ち、面倒くさそうな声でその呼びかけに応えた。
「なんだよ」
「あのね、そっ、そっちに行ってもいいかな……?」
今にも消え入りそうな、ためらいがちなその声に、
「いいぜ。来いよ」
薫はあっさりと答えた。
それは長次郎の店に助言を求めに行った帰り、“ お前を嫁にする気はない ” と言ってから、樹里がどことなく元気がないのを知っていたからだ。
可乃子を起こさないよう、樹里が音を殺して布団を抜け出した気配がする。
布団の端をめくってやるとすぐに樹里が布団に潜り込んできた。
「冷てっ!」
樹里の足先が自分の向こう脛に触れ、その冷たさに思わず叫ぶ。
「お前の足、なんでこんなに冷たいんだよ!?」
「女は手足が冷えやすいんだから仕方ないよ。薫の布団の中はあったかいね」
「お前こんな冷え切ってんのにいつもよく眠れんな……。明日毛布を一枚増やしてやるよ。おら、手も中に入れろよ。風邪引くぞ」
「うん」
樹里は布団の中にすっぽりと入ると、薫の広い胸に遠慮がちに自分の額を押し当てた。
向き合った二人はそのまましばらくの間、ただ黙って布団の中の暖かい空気に身を委ねていたが、やがて薫がボソリと口を開く。
「……で、何が言いたい?」
樹里は思いつめたような表情でコクリと喉を鳴らすと、かすれた声で尋ねる。
「薫、私は本当にここにいていいのだろうか……?」
「いていいって言ってんだろ。出ていく時期はお前が決めろ」
「で、でも、このままこの家で暮らしていれば、結局私は薫に背負ってもらっているようなものだから……」
「大げさに考えるな。かかってるのはお前に食わせる飯代くらいだろ。それぐらいならまだ何とかなってるから心配すんな。それにお前は俺が店にいる間、可乃子の面倒を見てくれてるじゃねぇか。あいつも一人で寂しくねぇみたいだし、助かってる。俺はそれで充分だ」
それを聞いた樹里は薫の布団の中でそっと目を伏せた。
長い睫が樹里の切ない気持ちに合わせ、小さく震えている。
「私は薫にとって妥協の関係なんだね……。そう考えるとすごく寂しくなる」
「…………」
「……ふふっ贅沢なことを言ってるな、私は……。以前はこうして君の側にいられるだけで幸せだと思っていたのに自分の厚かましさが嫌になるよ。済まない、忘れてほしい。おやすみ」
「待てよ」
布団から出て行こうとした樹里を薫が押さえ込む。
「……お前まだ身体全然冷てぇだろうが。もうちょいあったまってから戻れよ。来い」
もう一度布団の中に引き込み、自分の足先を樹里の足先につけて体熱を分けてやる。
「しかしマジですげー冷てぇな……。お前の家、豪邸なんだろ? 隙間風なんて入ってこねぇだろうし、一晩中あったかいんじゃねぇか?」
「……家の中が暖かいかなんて考えたこともなかったよ。それにこうしている方が何倍もあったかいと感じる。人肌でこんな風に暖めてもらうなんて子どもの頃にお母様にしてもらった以来だ。すごくあったかいよ薫。もうちょっとだけ、くっついてもいいかな……?」
「あぁ」
樹里はそっと薫に身を寄せ、この束の間の幸せを噛み締めるかのように、「本当にあったかい」と呟いた。
薫は無言で樹里の背中に手を回し、自分の側に更に引き寄せてその冷えた身体を抱え込んでやる。お互いの心臓の鼓動をはっきりと感じられるぐらいにまで。
静かで穏やかな室内でお互いの体温が交じり合う。
そして初めはとても冷たかった樹里の身体が自分とほぼ同じ体温にまで温まった頃、薫はここまで必死に抑えこんできた言葉をとうとう口にした。
「…………お前、待てるか?」
「え?」
薫の胸に頬を押し当てていた樹里が弾かれたように顔を上げる。
「可乃子が成人するか、この店が間違いなくやっていけるようになるまで待てるか?」
樹里はすぐに頷いた。
そのあまりに早い返答に、薫は険しい顔で素早く身を離すとその細い右肩をグイと掴む。
「おいよく考えろ! 一、二年で解決するレベルの話じゃねぇんだぞ!?」
しかし樹里の瞳を真正面から覗き込み、真剣な声でそう繰り返しても返答は変わらなかった。
「うん、待てる。ずっと待てるよ薫」
決して揺らがないその答えに、肩を掴んでいた薫の手の力が一気に抜ける。
「……物好きだなお前。俺なんかのどこがいいんだよ」
呆れた声でそう呟く薫に、樹里が華のような笑顔で微笑みかけた。
「そう言われてもすぐには挙げられないよ。なにしろ好きな点があまりに多すぎて」
「アホか。やっぱりお前は変わり者だよ」
枕に肘をついてそんな本音を漏らすと、樹里がクスクスと笑いながら言い返してくる。
「元乱暴者の薫に言われたくないな」
「う、うるせぇ! おい、前から思ってたがお前はいちいち口答えが多すぎるぞ!? いいか、女はな、男の三歩後ろを文句を言わねぇで黙ってついてくるもんだ! 覚えとけっつーの!」
「フフッ、薫は貞淑な妻がお望みなんだね。ならそうなれるようにこれから精一杯努力させてもらうよ」
そう言うと、樹里が今度は一切のためらいなく嬉しそうに薫に抱きつく。
薫もまたその腕で樹里を抱擁し直し、「おう、せいぜい頑張れや」と答えた。
── 次の日の早朝、トイレに行きたくなりいつもより早く目が覚めてしまった可乃子は、布団から出ようとして、その動きを止める。
そして右横で爆睡している薫をしばらくじぃぃっと眺め続けた。
「あーあ、お兄ちゃんたち とうとう一緒の布団で寝るようになっちゃったよ……。可乃子、そろそろ一人で寝なくちゃダメかなぁ……」
少し寂しそうな顔で可乃子はそう呟くと、トイレに行きたかったことを思い出して慌てて廊下へと飛び出していった。




