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46.  分かってる でも俺はどっちも手放したくねぇんだ 【 後編 】


 

「全商品50%引けだと!?」


「そうだ」


「んなことしたらその月は儲けなんて無くなっちまうじゃねぇか!」


「案ずるな」


 焦る薫に最大の援護が差し伸べられる。


「お前の資格認可証(ライセンス)の維持料を本年分は差っ引かないよう、(わし)からFSSにうまく話を通しておいてやる。それで採算割れはなんとか避けられるだろう。後は薄利多売の精神でお前が客を魅入らせるような作品を作ってやれば、価格が元に戻ってもまた注文は舞い込むだろうさ」


「マ、マジか!? 助かる!」


「せいぜい店の宣伝にも力を入れることだな。だが薫、儂が手を差し伸べるのはここまでだぞ? これでも先の見通しが立たない場合は潔くあの店を畳んで大手の店に勤めるんだな」


「あの店は手離さねぇって言ってんだろ。何があってもな」


「ではもし経営が立ち行かなくなったらどうする?」


「そん時はバイトを掛け持ちして朝から夜中まで働いてやるよ」


 その返答に、長次郎は長々と深い吐息をつく。


「……愚かな奴だ。苦労して手に入れた我らの資格をドブに捨て、不安定な日銭を稼いで生きていくというのか。お前がマスター・ファンデの試験を受けることを知った儂が、わざわざお前の面接グループに顧問として入って骨を折ってやったというのに」


「チッ、やっぱりそうだったのか。あんたがあの場にいるのはおかしいと思ってたよ」


「お前が面接で試験官に悪印象を持たれることは分かっておったからな。あのような無粋な口調や態度では面接では大きなマイナスになる。いくら筆記や実技が出来ようと、不合格になる可能性は大きい。だから儂がお前の後ろ盾となってやったんだ」


 あの時、面接室で自分にかけられた後ろ盾(フォロー)を思い出した薫は、鷹のような鋭い視線で長次郎を睨むとギリリと奥歯を噛み締める。



「親父の名前まで出してかよ!?」



「そうだ。だがお前も感じただろう? お前が幸之進の息子と分かってからの奴らの態度。面白いくらいに豹変していたではないか」


 長次郎はあの場にいた五人の試験官たちをそう嘲弄し、自分の片頬をポリポリと掻く。


「そして仕上げはお前の持ち込んだあの桃源郷だ」


「何言ってやがんだ!! あんたがあれが親父の作品だなんて言い出しやがるから不正をしていると疑われたんだぞ!?」


「この愚か者が。やはり何も分かっておらんのだな……」


 掻いていた頬から手を外し、長次郎は呆れ顔でため息をついた。


「儂が言い出したからとはいえ、あいつらはお前の作品を幸之進の物と思い込んだ。そこが重要だったんだ」


「あぁ!? 意味が分かんねーよ!」


「考えてもみろ薫。いくら儂がこれは幸之進の作品だ、と言ったからとて、お前のあの作品の出来が稚拙すぎれば、奴らだってあの時お前が不正をしているなんて思わなかったろうさ」


 老齢で落ち窪んではいるが、薫に負けず劣らずの鋭い眼光が新米職人を真っ向から射抜く。

 真贋を見分ける眼力を持つこの人間国宝は、その研ぎ澄まされた剃刀のような眼差しで薫を見据え、力強く断言した。



「例え一瞬でも、奴らの目にはお前の作品が万能工匠(ばんのうこうしょう)の物に見えたんだ」



 ようやく長次郎の真意が理解できた薫は言葉を無くす。


「そして奴らは自分たちの眼の曇りを認めおった。だがあらためてお前の作品を己の審美眼で見ても、やはり今年の受験者の中で一番のレベルだと言いおったな。薫、あの時儂は確信をしてたぞ。お前の合格をな」


「爺さん、あんたそこまで俺のことを……」


「爺さんじゃないわ。長次郎さんと言わんか。だがな薫。もう一度言う。幸之進の遺した店に固執するな」


「だからそれは出来ねぇって言ってんだろ」


「……さすがは幸之進の息子だな。一度言い出したら梃子(てこ)でも動かない所も生き写しのようにそっくりだ。お前を見ているとまるで昔に戻ったような気さえしてくるわ」


 薫の父を弟子にしていた過去の頃を思い返したのか、長次郎はほんの一時だけ懐かしそうな眼差しをした。そして薫に重々しい声で問う。



「薫、お前、FSSで統計を取った各区画(エリア)の年代別クモの巣グラフを見たことはあるか?」



 長次郎の言いたいことが瞬時に分かった薫は「あぁ、あるぜ」と言うと視線を逸らす。

 以前にFSSのサイト内で見た、下町区画(シタマチエリア)に住む女性の年代別割合を表したレーダーチャートが頭の中にくっきりと浮かんだ。 


「なら儂の言いたいことが分かるはずだ。昔とは違い、今は下町区画に20代以下の若い女子(おなご)は極端に少なくなっておる。若い女子が少ないということは、主軸である乳当ての購買客もいないということだ。残酷なことを言うようだが、あの店に固執すればお前は遅かれ早かれ下着職人の肩書きを捨て、日雇い暮らしのような生き方を選択することになるだろう。薫、お前はそれで本当に後悔はしないのか?」



 長次郎に投げかけられた自分が背負う覚悟の度合い。

 薫の両眼に飢えた孤狼のような強い決意の光がギラリと滲む。

 


「……あぁ上等だよ。何があってもあの店と可乃子を失うわけにはいかねぇんだ。そのためならどんなに汚ねぇドブ水だって飲んでやるよ」


 そう決然と宣言した薫に、長次郎は小さく頭を振ると皺だらけの顔を曇らせる。


「ではここからは老い先短いこの老人のたわ言として聞いてくれ。……薫、お前のその心意気は立派だ。だがどう足掻いてもお前のその手で守れるものが一つだけしかないと分かった時、必ずどちらかは手放さねばならん。それはお前にとって辛い決断かもしれんが、そうせねば結果的にどちらも失ってしまうことになる。その判断を誤ることだけはしないようにな」


「……あぁ、分かった。じゃあ維持料の件はよろしく頼むぜ爺さん」


「だから爺さんと呼ぶなと言うておるだろう。それと次に来る時は菓子折りの一つぐらい持って来い。礼儀が無さ過ぎるぞ」


「手土産はちゃんと持ってきてんぜ。ほらよ」


 薫は迷彩柄のカーゴパンツのサイドポケットに入れていたホログラフィー・カードを長次郎に向けて放った。投げられたカードを受け取り、すぐに起動させて中に露光されていた回折像を目の前の空間に再生した長次郎は、


「おぉこれは……!!」


 と絶句する。


「あんた昔、親父によくこのエロシリーズを買わせてたろ。親父が嫌がってたぜ」


 長次郎が手にしたカードから、一人の和風美人が大きなサイズで浮かび上がっていた。

 その和風美人はだらしなく舌を出し、焦点の定まっていない陶酔しきった表情で、大きな軟体動物と一糸纏わぬ姿で悶えるように絡み合っている。

 軟体動物が持つ幾つもの赤黒い足先が、上気した顔の女性の脚の付け根から身体の中に深々と差し込まれているという、今にも双方の荒い息遣いまで聞こえてきそうな卑猥な絵だ。


「おぉなんという見事な春画だ……! 創作意欲がムクムクと湧いてくるわい!」


 この淫らなホログラフィーを間近で見た長次郎が歓喜の声を上げる。


「そんなに見たいならてめぇで買えばいいのによ」


 つい出てしまった薫の独り言に、長次郎は目を剥いて怒鳴った。


「このうつけ者!! 国宝級の万能工匠(ばんのうこうしょう)に認定されたこの儂がこのような淫らな春画を買うわけにはいかんだろうが! 我等の仕事は印象が先行する商売! 客を幻滅させるわけにはいかん!」


「でもよ、なんだかんだ言って結局はその古くせぇエロ絵が見てぇんだろ? しかしどこがいいんだよそんなモン」


「フン、この(いにしえ)の耽美さが分からぬとはお前もまだまだ子供だな」


『 Myマスター。速やかにその絵をおしまいになってください。店外70メートル先にイシノマキ様のお姿を感知いたしました。あと25秒後に店内に到達する見込みです 』


 雷太のこの警告に長次郎が慌てふためく。


「ほ、本当か!? 急いで隠さねば! 薫、客が来たようだからお前はもう帰れ!」


「あぁ分かってる。ありがとな爺さん」


 片手を上げて店を出ていきかけた薫に、長次郎が最後の助言を怒鳴る。


「薫! 何があろうと我等の資格は決して捨てるな! まだ駆け出しのお前を図に乗らせたくないから言わなかったが、お前には幸之進譲りの稀有(けう)な才能がある! 努力は誰にでもできるが、才能はそうはいかん! いいか、あの店にこだわるな! 我らの仕事に矜持(きょうじ)を持ち、下着職人として生きていけ! よいな!?」


「…………」


 薫は無言で長次郎の店を出る。

 店の外に出ると、ちょうど店内に入ろうとしていた女性とすれ違った。


 すべての指にごてごてと目立った宝石をはめ、でっぷりと太った豆タンク体型の女だ。例え国宝に認定された腕を持つ職人でも、その顧客となる容姿は一流とは限らないらしい。

 豆タンクは胡乱な横目で薫をジロリと見た後、のっしのっしといった足取りで店内に突入していく。



『 これはこれはイシノマキ様。ご来店いただきありがとうございます。ようこそ、乳当て工房へ 』



 店内から聞こえてくる雷太の声を背後に、薫は店を出て大通りを歩き出した。

 その直後、顔に冷たい雨粒が当たり、空を見上げると雨雲がこの辺り一帯を覆っているのが目に入る。



「……上等だよ。絶対に守ってやる」


 

 薫は自らに言い聞かせるように空に向かって同じ決意を呟いた。

 だが不気味な色をしているその雨雲が、たった今長次郎に予言された自分の暗い未来を確実なものにするために現れたような気がし、駆け出しの下着職人の心に焦りの感情が生まれ始めていた。





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★ http://www.nicovideo.jp/watch/sm21777409

【 ★「いいから黙って俺のブラジャーをつけやがれ」作品の、歌入り動画UP場所です ↑: 4分44秒 】


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