37. 頼む これが夢なら覚めてくれ 【 後編 】
9月8日、土曜日。
輝かしい第一歩としてこの日無事に再オープンを果たしたボアンジュだが、今は近所の老婆たちの襲来に遭い、特別養老施設と化しつつあった。
目の前にわらわらと集っている老婆たちを見ていると、顔から血の気が下がってくるのを感じる。
自分や可乃子のため、今はあまり必要としていないブラをこうしてわざわざ作りに来てくれている老婆たちの優しい心遣いはむろん薫にも分かっている。ありがたいとは思う。
しかし職人デビューをして最初の顧客が二桁を越す老婆たちのブラ作りとは誰が予想できただろうか。
もし依頼を請けるとすれば、作るブラは「シニアブラ」になるだろう。
身体を締め付けるなどもってのほか。
ワイヤーや形状記憶素材などは一切使わず、ひたすらに「チョー楽」を追求したブラがこの方たちには必要だ。
そしてこの年齢の女性であれば乳房の下垂がより顕著に現れてくるご年齢でもあるため、カップの採寸は困難を極めることが予想される。あまりにも著しく下垂され、採寸が難しい老婦人には、FSSより支給済みの特別アイテムが必要だろう。
「早くしとくれよ薫。あたしゃこれから銀行にいかなきゃいけんしねぇ」
── 決断の時、来る。
石のように固まって動かない薫に、ついに老婆の中の一人がしびれを切らしだした。
ここは清濁併せ呑む心境で老婆たちの萎びた双丘を次々に採寸するか、感謝の意は伝えつつもここは全員速やかにお引取りを願うか。どちらがDeadEndコースなのかは分からないが、とにかく進むルートは選ばなければならない。
その時、家の中に上がりこんでいた老婆の一人が興奮した様子で戻ってきた。
「ちょいとみんな聞いとくれ! 薫に嫁さんが出来とるよ!!」
興奮した老婆がその手を掴んで引っ張ってきたのは樹里だった。
たちまちのうちに店内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。
「須藤さん、その子が嫁さんってことかい!?」
「あらこの娘さん見たことあるよ。最近ちょくちょくこの家に出入りしていた娘さんだ。薫の彼女かと思ってたが嫁さんなんかい」
「ずいぶんと綺麗な娘っ子じゃないか。やるもんだねぇ薫ちゃんも。昔は喧嘩ばかりしていたどうしようもない不良だったのにねぇ」
「で、いつ籍を入れたんだね薫。オバちゃんたちに報告もなしとは水臭いじゃないか」
一通り樹里の品定めを終えた老婆たちは今度は薫にひょこひょこと詰め寄ってくる。
「こ、こいつは俺の嫁じゃねぇ! おい! お前また余計なこと言いやがったのか!?」
樹里は慌てて首を振る。
「わ、私は何も……。この方たちがいきなり台所に入ってきて……」
「なんだ、嫁さんじゃないのかね。じゃあこの娘はなんなんだい薫?」
「な、なんなんだって言われてもだな……」
樹里との関係を言いよどむ薫に、「なんだい、はっきりしない男だね」とあっさり見切りをつけた老婆たちは額を突き合わせ、この二人の関係についてそれぞれの憶測を述べ始める。
「だから彼女ってことだろうよ」
「でも薫が嫁さんじゃないって言ってるんだよ?」
「もしかして“ めーど ” ってやつじゃないのかね。ほれ、むかーし若いモンの間で大流行したことあったろ」
「なんか聞いたことあるね。それって何をするんさ?」
「ひらひらの服を着て “ おかえり ” とか “ いってらっしゃい ” とか言うんじゃなかったかね」
「それじゃ嫁さんと変わりないじゃないか。嫁さんとめーどの何が違うんさ」
わいわいがやがやと店内にダミ声が溢れかえる。
「い、いいからさっさと並べババァ共! あぁ分かったよ! あんたらのブラジャー、この俺が作ってやろうじゃねぇか!」
もはや野となれ山となれ、破れかぶれの心境に到達した薫はこの老婆たちのシニアブラを作る決意を固める。
すると薫のすぐ側で事の成り行きを冷静に観察していたサクラが、
『 おめでとうございますMyマスター! 今日一日で二桁の顧客をゲットですね! 早速顧客データの記録を開始させていただきますっ 』
とブルーのランプを忙しく点滅させて嬉しそうに賛辞を贈ってくれたのだった。