34. うるせぇな 過保護で何が悪い
「わぁ~ピンク色でカワイイ~! いいなぁお兄ちゃん、可乃子もこれ欲しい!!」
夕食後、居間での団欒中に可乃子にも届いたサクラを見せる。
可乃子はこのエスカルゴがとても気に入ったようだ。手の中にしっかりと抱え、目をキラキラさせている。
「バカ、そいつはオモチャじゃねーんだぞ」
「だって本当にカワイイんだもん! でもこの子電源入っているのに何も言わないね。エスカルゴって喋る事ができるんでしょ?」
「こいつうるせぇから消音にしてんだ」
「ええっ!? かわいそうなことしないでよ! じゃあ今サクラは一生懸命喋ってるんじゃないの!? 早くそれ解除してあげてお兄ちゃん!」
「だってよ、喋らせるとロクな事言わねぇんだよそいつ」
「いいから!! お兄ちゃんだって口にガムテープ張られて喋られなくされたら嫌でしょ!?」
「わ、分かったからそんなに怒るなっつーの。解除すりゃいいんだろ、ほらよ」
薫は渋々とサクラの消音機能を解除した。
すると待ちかねていたようにサクラが可乃子の手の中から浮き上がり、薫の目の前までスゥッと移動してくると流暢に喋り始める。
『 ごきげんようMyマスター。顧客名簿のロックを解除しました。いつでも入力可能です。さぁ入力を… 』
「お前はそれしか言うことがねーのか!!」
しつこいサクラに苛ついた薫のこめかみにビキビキと青い血管が浮き上がる。
「さっさと寝ろや!!」
薫が完落ちの単語を怒鳴ったのでサクラの動きが即座に止まる。
それと連動して停滞浮遊機能も停止したため、床へと落下し始めたところを薫が右手でうまくキャッチした。
「あ! お兄ちゃんサクラに何したの!?」
「もう夜だからな、こいつを寝かせてやっただけだ。それより可乃子、お前早く風呂に入れ。後がつかえてるんだからよ」
「えぇ~! 可乃子もうちょっとここにいたーい!」
「いいからさっさと入れって。お前が入った後がこいつで、俺が最後なんだぞ?」
可乃子と樹里に対し入浴の件に関して今まで我慢していた不満を、薫はここぞとばかりに吐き出しはじめた。
「いつも中で何やってんのかは知らねぇが、お前らはやたらと風呂が長いからよ、おかげで俺が入る頃はいつも時間も遅ぇし、湯も冷め気味だし、いい迷惑してんだからな? だからグダグダ言わないで早く入れって」
「だって……」
「だってもヘチマもねぇ。早くしろ」
「だって昨日、お兄ちゃんと樹里ちゃん、一緒にお風呂入ってたよねー?」
── 居間の空気が一気に凍りついた。
「ナ、何イッテンダ、オ前!?」
今はサクラではなく薫が片言になっている。しかも片頬もピクピクと痙攣中だ。
そんな動揺中の兄に向かって妹は弾けるような笑顔を見せる。
「えっとね、昨日十一頃に目が覚めちゃったの。でもいつもなら樹里ちゃんが隣にいる時間なのにいなかったから家の中を探したら、お風呂場の中からお兄ちゃんたちの声が聞こえたよ? 可乃子、二人の邪魔しちゃいけないと思ったからすぐお部屋に戻ったけど、お兄ちゃんなんか偉そうだったよねー。樹里ちゃんに 『 おい、まだ流せ 』 とか命令してさ」
そして可乃子は次に樹里を見る。
「うちに来たばかりの頃の樹里ちゃんって、『 そうだぞ 』とか、『 あぁ済まない 』とか、ちょっと女の子らしくない喋り方だなーって思ってたけど、最近の樹里ちゃんってすごくイイ感じだよね! 昨日お醤油をこぼしちゃった時も、『 ごめんなさい 』ってすぐに言ってたし、きっとうちのお兄ちゃんとそーいう関係になったから、自然と口調も女の子らしくなってきたんだね!」
「か、可乃子……」
自分よりも十も年下の小学生にここまで言われてしまった樹里は頬を染めて恥ずかしそうに俯く。
「お兄ちゃんたちさ、今日も可乃子が寝てから一緒にお風呂入るんでしょっ? だから後なんかつかえてないんだから、可乃子はもうちょっとここにいるねー!」
手にしていた湯のみが若干震えていることに気付き、薫はそれを静かにテーブルに置いた。
「……俺、ブラジャーの試作品作ってくるわ」
ソファーから立ち上がり半分解脱しかけた無表情でそう告げると、「頑張ってねお兄ちゃん! 後で樹里ちゃんにまた背中を流してもらいなよ!」と可乃子の声援が見事な止めを刺してくる。もうこのままいつ昇天してもおかしくない精神状態だ。
居間を出て、フラフラと廊下を歩き、薫は片付けの終わった店舗へと入る。
照明をつけ、作業台に座り、デザインファイルと生地を取り出した。
その時ブラのパッドも一緒に出したが、手が震えていて取り落としてしまう。
動揺が止まらない。
ここはひとまずブラの製作に没頭し、一刻も早く平静を取り戻して無我の境地へとたどり着かねばならなかった。
しかし様子のおかしかった薫を追って樹里も店舗の中に入ってくる。
「薫……」
「あ? なんだよ」
「困ったことになったね。まさか可乃子に見られていたなんて思わなかったよ」
「……可乃子は何してる? 風呂に行ったのか?」
「いや、“ モテる悪女の作り方 ” という番組を楽しそうに観ているよ」
「またあの番組か!! あいつ今なら俺が文句を言えねぇと思ってんな!?」
作業台を拳で叩いたせいで二枚のブラパッドが楽しそうに空を舞う。
床に落ちてしまった一枚を樹里が身をかがめて拾い、薫に渡した。
「なぜそんなに怒るのだろう? あのTV番組を観るぐらいで薫がなぜそんなに怒るのか私には分からないのだが……」
「可乃子にはああいう男と女の下世話な番組を見せたくねぇんだよ。なんつーかよ、そういうのに早めに興味を持ってほしくねぇっつーか……」
「でたな過保護兄」
「う、うるせぇ!!」
「それより薫。君に一つ聞いておきたいことがある」
樹里は作業台に座っている薫のすぐ側に寄り添った。
「さっきはなぜ私に No,0 のことを頑なに教えてくれなかったのだろう?」
「あの意味を聞けばまたお前が婚姻届けがどうとか始まりそうだからだろうが!! それに俺にとっての最優先は可乃子だ!! これだけは何があっても変わらねぇからな!?」
「うん、それは分かっているよ。何度も言ってるじゃないか」
樹里は苛ついている薫を落ち着かせるようにその肩に手を置くと、左右にゆっくりとさする。そしてさりげなく話題を変えた。
「お店のオープンまであともう間もなくだね。この緊張感、マスターファンデの試験前日の時を思い出すよ」
「……おい、また妊娠したとか騒ぐなよ?」
「大丈夫だよ。だってそれは薫と結婚してからの心配でいいと昨日分かったからね。でもあの日は薫に本当に迷惑をかけてしまった。君の寿命も十年分私が縮めさせてしまったみたいだしね」
産婦人科での妊娠騒動を思い出した樹里は、クスクスと楽しそうに笑う。
一方の薫は渋い表情で顔を背けた。
昨夜の風呂場でのあんなバカバカしい嘘をここまで純粋に信じている姿を目の当たりにすると、嘘をついたことがマズかったことのように思えてきてしまう。
かといって樹里に真実を言ってしまえばまた自分への態度がぎこちなくなってしまう可能性があることを考えると、
「ったくあの時は赤っ恥をかかせやがって」
と当てこすりのように文句を言うしか今の薫にできることはないのだった。