33. どうして女って奴はこうも口が軽いんだ
薫と樹里が見守る中、やがて電飾ランプは青の点灯に落ち着いた。
メイン回路が起動し、停滞浮遊機能でふわりと宙に浮き上がった電脳巻尺がお決まりの第一声を喋る。
『 ハジメマシテ マイ マスター。コレカラ ヨロシクオネガイシマス 』
「……あ? なんだこいつ、おかしな喋り方だな。親父のエスカルゴはもっと普通に喋れていたぞ?」
すかさず仕様書に手を伸ばした樹里がまた該当ページを探し出す。
「初期はその片言の喋り方がデフォルトになっているみたいだよ。流暢に喋らせたければモードを変更すればいいとここに書いてある」
「そうだろ? おかしいと思ったぜ」
「だから薫もこの仕様書を読めばいいのに……」
「面倒くせぇって言ってんだろ。で、そのモードを変えるにはどうすればいいんだ?」
やれやれと肩を竦め、樹里はモードの変更方法を教える。すると片言だった電脳巻尺は途端にほぼ人間に近い喋り方をするようになった。
『 ごきげんようMyマスター。顧客名簿のロックを解除いたしました。いつでも入力可能です。さぁ入力をどうぞ 』
サクラの音声を聞いた薫の表情がげんなりとしたものに変わる。
「やっぱ音声も女かよ。うぜぇ……」
「そうかな? 女の子らしい声でとても可愛いと思うけど。フフッ、可乃子に私、そしてサクラ。この家で君以外はすべて女性だね。女の花園に男が一人。最高の環境じゃないのかな薫?」
「うっせーな! からかうなっつってんだろ!」
『 Myマスター。顧客名簿のロックを解除いたしました。いつでも入力可能です。さぁ入力をどうぞ 』
「てめぇもうるせぇよ! 二度も言うな! まだ顧客は一人もいねぇんだよ!」
『 了解ですMYマスター。これからのご活躍を期待しております 』
「励ましてくれたよ薫。良かったね」
「だからお前も黙ってろや!」
『 Myマスター、こちらの女性はお客様ではないのですか? 』
サクラが樹里に透明体を向ける。
「お客ではないよ。私の名前は樹里。これから薫の仕事をサポートしようと思っているんだ。ちなみにサクラと名づけたのは私だよ」
『 ジュリ様ですね。我が名を付けていただき心より感謝いたします 』
AI機能を搭載しているサクラは、たった今得たその情報に対して自身の中にあらかじめ持たされている膨大な言語から最適と思われる表現を瞬時に選び出す。
そして樹里に礼を述べた後は自分の主に向き直り、次の指示を仰いだ。
『 Myマスター。ジュリ様はあなたのお仕事のサポートをなさる方とのこと。ならばこの方はNo,0で登録してもよろしいのでしょうか? 』
「あぁ!? だっ駄目だ駄目だ!! んな登録はするんじゃねぇ!!」
『 かしこまりました、Myマスター 』
サクラは空中で本体をわずかに傾け、一礼のような仕草をする。
「薫、No.0ってなんのこと?」
「お前には関係ねーよ!!」
なぜか薫は慌てている。
「教えてくれてもいいじゃないか。私もこれからサクラと共に君の仕事をサポートしていくんだから、マスター・ファンデの情報については一通り知っておきたい」
「だっだからそれは仕事には関係ねぇ部分だっつってんだろ!! お前が知らなくてもいいんだよ!!」
「そう……」
樹里は薫から正答を引き出すのを諦めると、すぐ側でふよふよと浮いているサクラに身体を向ける。
「サクラ、No.0とはなんなのだろう?」
『 はい、ジュリ様。No,0とは “ 常に最優先 ” 。つまりマスターにとって一番大切なお方、すなわち奥様のお名前が入るナンバーなのです 』
「あってめっ、何勝手に喋ってんだよ!? 黙れやゴラァ!! 完落ちさせっぞ!?」
『 大変失礼いたしましたMyマスター。では次回からは早めにサクラにご命令をください。なぜなら私たちエスカルゴはマスターのご命令には絶対服従のプログラムが組み込まれておりますので 』
「全然その機能が働いてねぇだろうが!! 俺は黙れって言ってんだよ!!」
『 了解ですMyマスター。ではご命令に従い、サクラの機能を一時停止させていただきます 』
サクラは作業台の上まで空中移動するとゆっくりとそこに着地し、やがて静かになる。
沈黙するサクラを手にした薫は舌打ちをし、「こいつ勝手に省電力機能に入りやがった」と忌々しげに吐き捨てた。
「セーブモードって?」
と樹里が問う。
「人間でいえば昼寝みたいなもんだ。ったく、とっつきづらいエスカルゴが来ちまったな……」
「私は以前とても口達者なエスカルゴを見たことがあるんだけど、薫はお喋りなエスカルゴの方が良かったのだろうか?」
「あ? エスカルゴなんて基本、俺らが命令したり聞いたことしか反応しねぇはずだぞ?」
「前に話をしなかったかな? コウというマスターブラの彼が持っていたエスカルゴが本当にとてもよく喋る巻尺だったよ。サクラの本体はピンクだけど、その子は確かシルバーで、本体の片隅に小さな唐草模様のマークがあったのを覚えている」
「へぇ、俺の親父のエスカルゴも唐草模様だったぜ? 親父のは片側全部が一面の唐草模様だったけどな」
「名前も同じだし、デザインの一部も似ているなんてすごい偶然だね……。その子が貰われていった武蔵という可能性はないのかな?」
「んな訳ねぇだろ。そのコウって奴は二十代前半ぐらいだってお前言ってたじゃねぇか。親父の形見分けは十一年前だ。その頃ならそいつだってまだ職人にもなれねぇガキじゃねぇか」
「あ、そうか。じゃあやっぱりただの偶然だったのかな」
「喋り好きってことは女なのか、そいつ?」
「いや、たぶん性別は男性だと思う。でもお喋りなだけじゃなくてすごく口が悪いんだ。私はそのエスカルゴに 『 おいおい、やけに偉ぶって取り済ましたネーチャンだな! 』 って言われたよ。今思えばあの口の悪さは薫といい勝負かも」
「補佐物がそんな口を利くのかよ!? よく客が怒んねぇな……」
樹里が受けたというその暴言を聞いた薫は、にわかには信じ難いと言いたげな表情だ。
「その分マスター・ブラの彼がとても腰の低い人でね。しかも腕もいいから女性客に大人気らしいし」
「ふーん……。そいつもお前と同じエリアにいる奴なのか」
「そうだよ。“ Casquette Walk ” というお店で彼のお父さんと二人で働いているんだ。私はお会いしたことはないけど、彼のお父さんは万能工匠だと言っていた」
「へぇ……。うちの親父と一緒だな」
「薫だってきっとなれるよ」
「んなことは分かんねぇよ」
「でも君は暗記が苦手だと言っていながら短期間でFSSの問題集をほぼ記憶できたし、私にプレゼントしてくれたあの薄紅色のブラも本当にとても素敵だった。薫はもっと自分の腕や能力を自慢してもいいと思う」
「アホか。絶対に誰にも負けることはねぇと自信を持って言える時しか男は自慢しちゃいけねぇもんなんだよ。覚えとけ」
頑なに守っている亡き父の教えの一つを薫は口にし、
「しかし親父の頃と違って今はこいつらのAIもそれなりのモンを積んでるんだな。起動後にいきなりここまで自我を出してくるとは思わなかったぜ。親父のエスカルゴなんて一通りの挨拶くらいしか言えなかったぞ」
と、幾分見直したような表情でサクラを眺めた。
「サクラも早く自分の顧客データを充実させたいようだったし、これから頑張らなければいけないね、薫」
「おう。よし午後の一仕事始めるぞ」
「うん、行こう」
昼の休憩を取り終えた薫と樹里は湯飲みを台所に下げ、二人並んで店舗の片付けへと戻っていった。