30. お前どんだけ箱入りなんだよ 【 後編 】
「おい、あっちに行けって……! お前の場所は向こうだろうがっ」
「嫌だ! 断固として拒否する! あんなホラーを観たせいで怖くて眠れないじゃないか! 薫が悪いんだぞ!」
「可乃子が目を覚ましたらどうすんだよっ」
「別に問題ないと思うが? 一時的に私の寝ている位置が変わっているだけだし」
「アホかっ、それが問題大有りなんだっつーのっ!」
眠っている可乃子のすぐ隣で声をひそめての言い合いはすでに三十分以上続いている。実に不毛な時間だ。
怖いから今日は部屋のカーテンを開けていてほしいという樹里の頼みを素直に聞き入れてやり、いつものように川の字になって寝ようとした途端だ。樹里が自分の布団の中に勝手に潜り込んできたせいで薫の眠れない夜が始まった。
何度出てけと言っても自分の布団の中から出て行こうとしない樹里との言い争いは、いまだに明るい展望が見えてきていない。よって薫の必死の排除工作はできるだけの小声モードでまだ続く。
「おい、言っとくけどな、お前の親もああいうことを飽きもせずにがっつりとヤッたからこそ、お前が出来たんだぞ!?」
「う、嘘だ! 私のお父様とお母様はあんなグロテスクなことなどしない!」
「してるんだっつーの! バカじゃねーのお前?」
「バカと言うな!」
「いいから早く自分の布団に戻れよっ。これじゃいつまでたっても寝れねーだろ!?」
「嫌だ! 怖いから今日はここで一緒に寝る!」
ますます深く自分の布団に潜り込んでくる樹里に、薫はハァと深いため息をついた。
そして枕に片肘をつき、そこに頭を乗せた位置から、「いいぜ。じゃここで寝ろ」と許可を出す。
だが顔を輝かせた樹里に、即座にこう宣告した。
「ただし、ここで寝るならお前の言うあのグロテスクな行為をするぞ?」
それを聞いた樹里の顔から急激に血の気が引いた。
「か、薫もあれができる、の……?」
「男はみんな出来るっつーの。で、どうすんだ?」
開け放したカーテンから蒼い月明かりが部屋に差し込んでいるせいで、元々目つきの悪い薫の顔に迫力のある影が落ちている。
そんな薫を見た樹里は身を固くし、青ざめた顔でコクリと唾を飲みこんだ。
脅えている樹里を見た薫はわざとニヤリと口元を大きく歪ませ、更に不安感を煽ろうと、邪悪な笑みを見せる。
「なぁ……、お前、あれを観たのはたかだか20分ぐらいだよなぁ? じゃあせいぜい高速ピストンぐらいまでしか観てないんじゃねーか? あれは全部で57分ある超大作だ。あいつらは後半、もっとえげつない事をしてるんだぜ?」
後半戦に入ると主演女優を悦ばせるために男優の人数も三倍に増えていくのだが、さすがにその辺りは言わないでおく。
「か、薫はその後半のえげつないという部分もできるの……!?」
「おうバッチリだ。何度あれを観てきたと思ってんだよ。お前の身体を使って最後まで完璧にトレースしてやる。お前もすげー気持ちよくなれると思うぜ?」
「嘘だ! あの女性はすごく痛がってた!」
「バーカ。痛がってねぇよ。あれは気持ちいいって顔だ」
樹里の箱入り娘度のハイレベルさに本気で呆れた薫は、樹里の額に軽くデコピンを決める。
おでこを指で弾かれた樹里は「いたっ」と言うとそこに手を当て、信じられない、といった表情で呟いた。
「き、気持ちいい……? あんなに辛そうな声を上げてたのに……?」
「おうそうだ。あの女、初っ端からメチャクチャ感じまくってたじゃねーか」
薫は頭を乗せていた片肘を外してガバッと上半身を起こすと、横になっている樹里に素早く覆いかぶさり、逃げられないようにその両脇に肘をついた。
「おらどうする? でももうこれで逃げられねーなお前」
「あ……」
そして固まっている樹里に、上方から顔一面に張り付かせた捻くれた笑みを見せ、止めといわんばかりに最後の脅しをかける。
「ならよ、実際にあれをやって本当に痛ぇのかどうか、お前が自分で判断してみろよ? ま、判断がつく前に失神しちまってるかもしれねぇけどな……」
ゾンビが迫るかのような遅さでわざとゆっくり樹里の頬にじわじわと片手を伸ばすと、ついに樹里が布団から転がるように飛び出した。
「きょっ、今日は自分の所で寝ることにするっ」
「……さっさとそうしろ、アホ」
ようやく樹里を自分の布団から追い出すことに成功した薫は大きな欠伸をする。
そしていつもは片側一つしか点けていない部屋の常夜灯を二つに増やしてやってから樹里に背を向けて布団の中に入り直したのだった。