2. 俺はブラジャーで生きていく
「己が熱く打ち込める事を生業にし、その報酬で生きていく」
── それはおそらく誰もが望む理想の生き方だろう。
だがこの世で生きる多くの人々はその理想叶わぬまま、夢に思い描いていた理想とは違った職に就き、与えられた日々を懸命に生きていく。
しかし薫は幼き頃から抱いていた理想の職業で生きていくことを選ぼうとしていた。
今、彼の手には一枚のブラが握られている。
ベースの色はホワイト。純白だ。
女性下着の請負人、【 マスター・ファンデ 】 として生きていこうと決意した後の記念すべき最初の一枚をその色に選んだのは、一から、何も無いまっさらな状態から創める、そんな固い決意を込めたためだ。
そしてその気合は作品にも如実に現れている。
レースもステッチもすべて淡い色でかがっているために若干分かりづらいが、細部にいたるまでかなり凝った刺繍が手元の会心作には施されていた。
これなら、と薫は思った。
これならきっと妹の可乃子を養っていける。
薫は冷めた目で自分の作品を眺める。
だがそうしてわざと斜に構えても、内心から湧き起こる満足感は止められそうにない。
これを作り上げたのがまだ若干18歳の自分だということが、薫の優越感を増していく。
夕方に夢の中で会ったからなのか、ここでふと、父の背中を思い出した。
幼い頃からブラを作る仕事に就こうと思っていた薫にとって一番心が安らぐ時間は、作業台にどっかりと座り、ブラの製作に黙々と打ち込む父の広い背中を眺めている時だった。
七歳の頃、マスター・ファンデになると宣言した直後に不慮の事故で父親が亡くなり、残された母子三人で暮らしてきた廻堂家の生活が激変したのはつい四ヶ月前のことだ。
まさか母親までが、自分たちの前から、いや、この世界上から消えてしまうとは思いもしなかった。
残されたのは後わずかで高校を卒業する予定の自分と、当時小学三年生の可乃子。頼るべき近しい親戚もいなかった。
だが大事な妹と離れて生きていくのだけはなんとしても避けたかった薫は、「可乃子を施設に」という児童保護局の執拗なまでの提案を蹴り、高校卒業後に働く事を決める。
選んだ職業は女性下着請負人。
男のくせに、と馬鹿にされるのが嫌で人前では決してその腕前を披露することはなかったが、父の裁縫風景や母のデザイン風景を見て育ってきたせいで、そこそこの腕前だとは自負している。
それに幼い頃は本気で父親の跡を継ぐつもりだったから、父が亡くなった後もブラの製作は人に知られぬよう、隠れて行ってきていた。
だから技術的な面での心配は恐らくない。マスター・ファンデになるための “ 女性下着縫製協会 ”、通称、FSSの試験も、実技の方なら一発で通る自信はある。
しかし睨みつければ大抵の人間が恐れるぐらいの凶暴な強面で、しかも愛想というものがまったく無い自分が、よりにもよって接客業、しかも顧客はほぼ女限定、といった仕事環境で果たしてやっていけるのか、薫の不安はつきなかった。
不安はもう一つある。
女体という、神がこの世に与えたもうた神秘の生命体と、最終合体にまでこぎつけた経験は、薫も学生時代に何度かある。
だがそれはあくまでも性欲に溺れた故の行動であって、もし自分の顧客として実際に生のバストを目にすることになった時、一切の動揺や手の震え無しに採寸が出来るのか、そして頭の中はエロい妄想でスパークしないのかなど、メンタル面に関しての自信が未だに持てていない。
「クソッタレが!」
己に喝を入れ、のしかかる不安を振り払うように手にしていた純白のブラを強く握りしめる。
不安でもやるしかない。
高校卒業したての自分がまだ小学生の幼い妹を抱えて食っていける程度の定期的な収入の確保を考えると、解決策としてはやはり定職に就くしかない。
しかし日々喧嘩に明け暮れ、三流高校をお情けで卒業させてもらった自分を雇ってもらえそうな所などそうそうありはしないというのも揺るぎない事実だ。
よってそれらの無情な現実の前に結局行き着いた先の答えは一つ。
『 父さん、オレ、いちりゅーのブラジャーマンになるぜ! 』
幼い頃に薫が亡き父親に宣言したその誓い。
それは十一年の時を経て、現実味を帯び始めようとしていた。