12. 自慢はしねぇ、俺はそう決めている
「ほら食えよ」
勉強を一時止め、昼休憩だ。
ほかほかと湯気を上げた茄子とキノコのパスタが樹里の前にドンと置かれる。
薫がこの料理を作るのをずっと横で見ていた樹里は感心した眼差しを製作者に向ける。
「君は手際がいいな。あっという間にこれを作ってしまった」
「こんなの適当に切ってただ炒めただけじゃねーか」
「いやいやすごいよ。動きにまったく無駄がなかった」
「いいから早く食え。冷めるぞ」
二度促された樹里は用意したフォークを手にする。
「いただきます」と一口食べた後すぐに「美味しい」と感想を漏らした。
「辛すぎなかったか?」
「いや、全然だ。タバスコがすごく効いている」
しばらく黙って食べ続けていた二人だったか、薫の食べるスピードが遅いので「どうした、具合が悪いのか?」と尋ねた。すると薫は仏頂面で、「俺、これ嫌いなんだよ」とパスタの中をある具をフォークで指す。
「君は茄子が嫌いなのか」
「あぁ」
「不思議な男だな。ではなぜ茄子を入れる?」
「余ってたんだからしょうがねぇだろ。さっさと使わないとしなびちまうじゃねーか」
「では買わなければよいのでは?」
「そういうわけにもいかねーんだよ。可乃子は成長期なんだぞ? 俺が苦手だからってあいつに食わせないわけにはいかねぇんだ」
「君は本当に妹思いな兄だな」
フォークを操る手を止め、樹里が薫を見つめる。
「当たり前だろうが。あいつにはもう俺しか家族がいないんだ。俺があいつを守ってやらないでどうすんだよ」
「羨ましいな可乃子が。私も君みたいな兄がほしかったよ」
樹里がポツリと本音を漏らす。
「お前、兄弟いないのか?」
「あぁ。お父様もお母様もいなくなって私は一人だよ」
「親戚はいるんだろ?」
「……いるさ。欲にまみれた金の亡者のような者たちばかりだがな」
沈黙が再び居間を包み、共に食べ終えるまで食卓から一切の会話が消えた。
自分の発言のせいで場の空気が重くなったことに気付いた樹里が慌てて顔を上げる。
「か、薫。今夜の夕飯は私に作らせてもらえないだろうか?」
「バッ、バカやろう! 今朝の惨事をもう忘れたのか!? お前に作らせると何をやらかすか分かんねぇよ! いい、俺がやる!」
「今度はもっと慎重に作るよ。君に私の作った物を食べてもらって美味しい、って言われてみたいんだ」
「ぐ……」
樹里のストレートな愛情表現に顔が勝手に赤面してくる。
「お願いだ。私は君の役に立ちたいんだよ」
「かっ、勝手にしやがれ!」
「ありがとう薫。君の事を想いながら精一杯作らせていただくよ」
「おっ俺は勉強してくるからな! 後片付けしとけ!」
「あぁ分かった。解答を終えた用紙はどんどん私に回して欲しい」
「お、おう」
パスタ皿を食卓に置いたままで立ち上がり、薫はドスドスと足音荒く居間から出て行った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時刻が午後三時を過ぎた頃、いつもよりも早く小学校から帰ってきた可乃子が薫の部屋に駆け込んでくる。
「ただいまお兄ちゃん!」
「おう、今日は早いじゃねーか」
「走って帰ってきたもん! ねぇ樹里ちゃんは!?」
「台所にいねぇか? 夕飯作るって言ってたぞ」
「いないよ! 探したもん! まさかお兄ちゃんが追い出しちゃったわけじゃないよね!?」
「落ち着けよ。なんでお前はあいつにそんなに肩入れするんだ?」
「だって樹里ちゃんもお父さんとお母さんがいないんだもん! でも可乃子にはまだお兄ちゃんがいるけど、樹里ちゃんはもう一人ぼっちなんだよ!? それにマスター・ファンデになるって決めたお兄ちゃんと違って、樹里ちゃんはこれからやりたい事もまだ何も見つかっていないのに追い出しちゃったらかわいそうじゃないっ!」
なぜ可乃子が必死になって樹里を引きとめようとするのか、ほぼ予想していた通りの答えに薫は青息をついた。
「安心しろ。あいつには俺の試験の手伝いをさせることにした。だから少なくとも一ヶ月はここにいる」
「ホントッ!?」
「あぁ」
「良かった~! お兄ちゃん、意外と話せるところがあるんだねっ。もしかしてお兄ちゃん、樹里ちゃんのこと気に入っちゃった?」
「だっ誰があんなブスを気に入るかよ! あいつに利用価値があるから置いておくだけだ!」
「どんな理由でもいいよ樹里ちゃんが家にいるならね! 昨日三人でお茶碗洗ってる時ね、可乃子すごく楽しかったんだ!」
「あぁ、私も楽しかったよ可乃子」
いつの間に来たのか、部屋の戸口には樹里が立っている。
「お帰り可乃子」
「あっ樹里ちゃんただいま! よかったっ、ちゃんといてくれたんだね!」
「あぁ。これからしばらくご厄介になるよ」
「うん! じゃあ可乃子、手を洗って宿題してくるね!」
部屋に取り残された薫は今の自分の発言を樹里に聞かれたのかどうかが気になって仕方が無い。
「お前、今の俺らの話、全部聞いてたのかよ?」
「いや、途中からだよ」
「さ、さっきのあれはその、そこまで思ってるわけじゃねーからな、気にすんじゃねーぞ?」
「私に利用価値があるから置くことにした、というくだりだろうか?」
樹里が小さく笑う。
「いいや、気になどしてはいないよ。逆に君にこの身を利用してもらえるなんてこの上ない喜びだと思っている。だからなんでも言いつけてくれ。君のためならどんなことでも私はするよ」
ストレート過ぎるその言葉に、無器用な薫は聞こえないふりでぶっきらぼうな対応をすることしかできない。
「お、おら! こっちも終ったぞ! さっさと採点しろや!」
「もうこんなに解いたのか? 早いな。だがただ適当に書くだけでは駄目だよ薫。ちゃんと参考書を紐解いたりして調べなければ」
「お前がうまく説明すりゃいいだろ!? そのための家庭教師じゃねぇか!」
「なるほど。君は私の注釈に全幅の信頼を寄せてくれているわけか。ではすぐに採点しよう。その後一冊目の復習をし、こちらの解説だな。私が採点している間、君は少し休憩を取るといい」
「いや、そんな時間はねぇよ。実技の方もやらねぇと」
薫のその返答に、樹里は「そうか実技もあるのか」と呟く。
「実技試験とはどんなことを行うのだろう?」
「試験日に自分で作ったブラジャーを一点持ち込んで、後は試験官の前でやれと言われたステッチを縫って見せるらしいな」
「君なら実技は問題ないんじゃないのか?」
「さぁな」
自信はあるがわざとはぐらかす。
“ いいか、息子一号。男が自慢をしていい時は、それが絶対に誰にも負けねぇという確固たる自信がある時だけにしとけ ”
亡き父が生前によく言っていた、鉄の教えを忠実に守っているせいだ。
「大丈夫だよ薫なら。あのブラのデッサンはなかなか魅力的だったからな。君の作ったブラを見てみたいな。よければ実技試験に出すブラを見せてくれないか?」
「まだ提出作品は出来てねぇよ」
「そうか。残念だな。出来たら見せてくれるかな?」
「か、考えといてやる」
そう返事はしたものの、あのデッサンを見られただけでも照れくさいのに、実際の作品を見せるなどもってのほかだ。完成しても絶対こいつには見せねぇぞ、と薫は固く心に決める。
しかし薫のブラを見せてもらえると信じた樹里は嬉しそうに笑った。
「そういえば君は男性のマスターが作ったブラを見たいと言っていたな。よければ今持ってこようか?」
「マ、マジでか!?」
「あぁ、薫のためになるのなら喜んでお見せするよ」
樹里がブラを取りに部屋を出て行く。
負ける気はしなかったが、半人前とはいえマスター・ブラを名乗れている男ならそれなりのレベルの作品に違いない。
気が急くあまりつい貧乏ゆすりが出る中、薫は逸る鼓動を抑え、ブラの到着を待った。