公開テスト用小説・ケータイ虫
これは公開テスト用の小説です。作品は未完成で、いまのところ完結する予定はありません。以前に瀬戸内寂聴さんも書いたと言われるケータイ小説を、大して読んだこともないのに見よう見まねで書き始めたのですが、やはり性に合わずに途中でやめたものです(汗)
『ケータイ虫〜ポケットの彼氏〜』
私のケータイはコミュニケーションツールではない。
アドレスを教える相手もいないから、いつもケータイを空に掲げて青空を写し取っていた。
なのに何故、君が写り込んでしまったのだろう。
“君”は青空を背景に、私に向かって微笑んでいた。
写真を撮影したとき、もちろん周りに人などいなかった。
「幽霊」そんな単語しか私の頭には思い浮かばなかった。
怖さを感じる前に、ブルースカイの綺麗な瞳に心を奪われた。
空の青さはいつも私の心を溶かすから、一人きりで空と向き合っているときが私のオアシスだった。
ケータイのカメラ機能を使って気に入った風景を撮るのが私の習慣であった。人は決して撮らない。プライバシーの問題もあるから。写真撮影のときは画面から目を離したことはなく、風景とは違う別の物が写りこんだ場合、絶対に気が付くはずである。
それなのに……。
私はケータイの画面に見入る。
画像にははっきりと見知らぬ男が写っていた。
空の色を写し取ったようなスカイブルーの瞳。
陽光を浴びてキラキラと輝く銀色の髪。
私のケータイを覗き込むようにして彼は唇の端をきゅっとあげて微笑んでいる。年の頃は私より3つぐらい上、19〜20歳ぐらいに見えた。
「誰だろう」
と、悩むのもおかしい気がした。
彼が生きているのか死んでいるのかさえ、そもそもわからない。
瞳や髪の色、透明感あふれる肌の白さから判断すると外国人のようにも思えた。しかし、鼻筋は整っているものの顔の堀が深いわけでもなく、二重のすっきりとした目元は日本人に近い感じである。
「ハーフ……? もしかして、妖精とか!?」
と、乙女チックな妄想をする自分自身に反吐が出た。
妖精なんてこの世に存在するわけがない。
私は常に現実主義派として生きてきた。
それはない、妖精はない。
「やっぱり、ユウレイ……?」
幽霊も現実的ではないように思ったが妖精よりは信憑性があった。
私は改めてケータイの画面を見た。爽やかな笑顔を見せる彼は怨念とは無縁のように思える。それに幽霊がこんなにも、はっきりくっきりと写るだろうか。しかも、私が狙ったベストな空を隠すほど画面のど真ん中に納まって……。
心霊写真といって他人に見せても絶対に信用してもらえない自信があった。
神秘的な容姿であるのに、どこか生身の人間であることを彼は思わせる。
「アルビノ!」
否、アルビノであれば髪は白髪であるはずである。
彼の風になびくサラサラな髪は紛れもなく銀色だ。
現実的な私の頭がどうしても彼を実在する人物だと思おうとしている。逢えるかも知れない、という淡い期待を消したくはなかった。それは同時に「逢いたい」との気持ちを目覚めさせた。
私はケータイの画面を変えた。
指が勝手に彼の画像をケータイの待ち受け画面に設定しようとしていたからだ。心霊写真かもしれない画像を待ち受けにしている女なんて、どう考えても不気味である。私が男だったら近寄りたくはない。
もしかしたら男欠乏症なのかと思う。彼氏いない歴なんぞ、生まれたときから日々更新中である。美形という条件に反応して恋する状態、彼への想いはそんなものなのかもしれない。
樫の木を背に座っていると南西の方角から、やわらかな日差しが伸ばした足元へと降りてくる。静かで暖かな空気に触れていると教室へは戻りたくない気持ちになる。授業の鐘の音はほんの少し前に耳にしたが聞こえない振りをしてケータイに集中をした。
お気に入りの欄からウェブサイトにアクセスし画面を読み込む。ピンク色の背景に甘く切ない文章が並ぶ。
ケータイ小説 『苺練乳』
今一番はまっているケータイ小説である。
小さい頃から病弱で消極的だった苺が、片想いの相手でもある幼なじみの葉月に励まされながら前向きに生きていくという純愛ストーリー。
物語はちょうど体調を崩して倒れた苺が担当医に余命を宣告されるところまで更新されている。
いままで100つぐらい読んだケータイ小説の中でベスト3に入るほど泣ける話だ。最新話は毎週水曜日と土曜日に更新される。本日は水曜日であり早速、物語が更新されていないかチェックしたがまだな模様で、少しガッカリしながらも復習のためにも前回の更新分を読み返した。
苺は余命を宣告されたあと何も知らない葉月の前で、わざと明るく振舞い笑顔を見せる。いままで自分を励ましてくれた葉月の言葉を守るために。何事にも消極的で泣き虫だった自分を変えるために。
「苺ってどうしてこう、いじらしくて可愛いんだろう……」
私だったら自分がもう少しで死ぬかも知れない状況の中で好きな人のために笑えない。きっと悲観的になって自分の部屋に閉じこもって、好きな人にも誰にも逢わないようにする。
苺のような一途な可愛らしさとは私はあまりにもかけ離れていた。
可愛い、なんて言葉を私に向かって云う人はいない。
私学の制服であるヒラヒラチェックのスカートでさえ、女子には可愛いと人気があるが、下から風が吹いて落ち着かないし、プリーツの折り目に余計なシワができないよう注意しなければならないし、できることなら履かないで済むほうが嬉しかった。
伸ばした足を折り曲げて私は地面に胡座をかく。
なにかとこうして座るほうが落ち着いた。
やはり私に女の子らしさは似合わない。
そもそも苺という名前がまず私には不釣合いだ。本名である美羽という名前でさえ名前負けしているのではないかと不安になる。
やはり小説の中の世界なんて夢物語、現実にはありえるわけがないと冷めた心の私が呟く。
わかっているからこそはまるのだ。
ミラクルなど起こりえない現実世界の中で、夢くらいは見ていたいから。
「い〜〜〜〜ち〜〜〜〜ごぉ〜〜〜〜〜」
命の期限が近いと知りつつ葉月の前で健気に笑う苺のシーンを読み返して、私はまたしても泣いた。
やっぱり泣ける、何度読んでも泣ける。
と、そのとき。
ふと、私の手の中からケータイが消えた。
というより空へと浮き上がっていったと表現してもいい。
目の前に折り重なって出てきた影に嫌な予感が脳裏を過ぎった。
「鵜飼美羽、だったか。授業さぼって何、遊んでんだ」
恐る恐る顔をあげると私のケータイを手に仁王立ちする体育教師の小杉がいた。ガタイばかりがデカイ中年の堅物オヤジである。首からタオルをぶら提げた紺色のジャージ姿でこちらに睨みを利かせていた。生徒の髪の色が少し明るかったり、制服を着崩しているだけで目敏く見つけてうるさく注意をしてきたり、真面目すぎて融通がきかないのが厄介な点だった。
サイアク。
聞こえないように口の中で呟くと私は胡座を正し、いい子の振りをした。
「えっと、軽く具合が悪くて新鮮な外の空気を吸いたいな……と、思って」
「具合が悪いなら保健室で休めばいいだろう」
「保健室のにおいがダメで、余計に気分が悪くなっちゃうんです」
私は即座に話を飲み込めない教師にちょっぴり憤慨しながら答えた。一発で事情を飲み込んでもらいたい。
具合が悪いというのは、もちろん嘘だけど。
「休むのに携帯はいらんだろう、担任の先生にはきちんと事情を話しているのか?」
「う……」
嘘はこれ以上は吐きづらく私は返答に困る。
逡巡しているうちに小杉は私のケータイを掲げて言い放った。
「携帯はしばらく預かっておく」
「そっ、そんな〜困りますっ、私ケータイないと死にますっ!」
嫌な予感は見事に的中した。
頭が固いだけではなく思考回路までもが古臭い。
私は急いで立ち上がりケータイを奪回しようと手を伸ばした。
が、あえなく小杉にかわされる。
「なにを云っているんだ。とにかく、さっさと授業へ戻りなさい」
そう云うなり小杉は私のケータイを人質に身をひるがえし歩いていく。
伸ばした右手はケータイの代わりに無気力な敗北感を掴み取った。
教師という権力に立ち向かうには私はあまりにも貧弱すぎた。体力面から云ってもガタイの大きな体育教師に身長160cmの女の子が敵うはずがない。汗臭い親父の手に捕われた愛しの銀色ボディのケータイをただ呆然と見送るしかできなかった。
「あ〜〜〜〜もう、サイアク」
今度は口に出して呟いた。
不満を口にした途端に泣きたい気持ちになり目頭がじんわりと温かくなる。だが、泣いてもケータイは戻ってこないと理性が訴えかけてきて溜まった涙は急速に乾いていく。
いつもそうだ、どんなときでも理性が勝る。
頭は既に教室へ戻るかどうかで迷っていた。
冷たい静寂が支配する息が詰まりそうな空間に足を踏み入れたくはない。教師の声とノートの上を這うペンの音しか聞こえない教室の中にいると、ときどき気が狂いそうになる。それらの音はノイズとなって私の耳の中へ侵入し蝿のように飛び回る。入り口から奥へと入られたら最後、耳へ指を突っ込んでみても音は取り出せず私を延々と苦しめた。別の音といえば、たまに鼻息の荒い男子の息遣いをするスーフーという音が聞こえるだけだ。でも、鼻息でさえ私にとってはノイズから気を逸らさせてくれる救いとなることもあった。
四角に囲まれた密閉容器のような教室は窮屈で、酸素濃度も薄く長時間いられるような場所ではない。もう一度あの中へ入るにはサウナに入るような覚悟がいった。
私は高校の入学前後の記憶を思い起こす。
入るべき学校を間違えた。
将来どんな分野の仕事につきたいか明確な希望などなかったから学校なんて自分の偏差値に合わせて適当に選んで入っただけだった。
はっきりと云ってクラスはおろか学校に友達はいない。
いじめられているわけでも他の人から疎外されているわけでもなかった。気が合わない人と無理して付き合う必要はないと、他人との一定の距離を常に置くようにしていたら孤立した状態になった。孤立した状態は『苦』ではない、人と話しを合わせたり始終、作り笑顔をしなければならないことのほうがよっぽどの『苦』である。
クラスメイトの中にはいい子だなぁ、と思う人もいる。が、所詮はいい人どまり、心をさらけだしてまで話をしたいとは思わなかった。
友達はいないと暇というだけでいなくても困るものではない。暇な時間はケータイをいじっていればいくらでも潰せる……。
……のだが、その肝心のケータイは体育教師である小杉の手中に落ちた。
なんだか手元が寂しく落ち着かなかった。
私のマイケータイは入学祝いに買ってもらったスライド式のケータイで、銀色の艶めくカラーがクールな当時の最新機種だ。少し年月が経って新しい機種が続々とでてはいるが手にすっかりと馴染んだケータイは、何物にも代えがたい愛着があり手放すことなど念頭にも出ないほどである。デコレーションなどはしておらず購入時の姿形をそのまま残している。飾りといえば申しわけ程度にスワロフスキーの赤いクロス型パーツのストラップが一つ。機能性を重視するならストラップは一つでいい。
奪われたケータイのことを考えると教室に戻らざるを得なかった。
どのみちケータイは放課後までは返してもらえないだろう。
放課後まで学校の周りでぶらぶら散歩しているわけにもいかない。
酸素不足にならないよう息を充分に吸い込むと私は覚悟を決めた。
音を出さないように注意したつもりでも戸を開けた瞬間、クラスメイトたちの視線が一気に集まった。みんな興味のない素振りですぐに視線をノートへと戻すが、たとえ一瞬でも人の注目を浴びると体が無意識に硬直してしまう。保健室へ行っていたことにして私はやけに恐縮をしながら自分の席へと納まった。
自分の席が窓側だったらいいのに……と、思う。
晴れた日も、雨の日も関係なくずっと空を眺めていられる自信がある。私の席からは人の頭を三つ分ぐらい見ないと空までたどり着けない。ケータイのカメラではなく心の目で写し取って記憶をすべて空の色で埋め尽くしたい。そうすれば未来の私が高校生時代の思い出を想起したとき、薄暗く陰気とした閉塞感を感じずに解放された清々しい気持ちに浸れる。
写真のことを思い出すと同時にケータイ写真に写り込んだ男の子のことが頭に浮かんだ。
ケータイを持っていかれた今、彼の姿を確認できる術はない。しかし、彼の顔はすでに授業の内容よりも暗記しきっていた。目を瞑れば彼の爽やかな笑顔が即座に蘇える。悪戯な少年のような瞳がまっすぐに私のほうへと向かってきていた。空の色と同じ彼のスカイブルーの瞳の中に私が写っているような気がして、なんだか恥ずかしくて顔を背けたくなる。目と目が合うということは彼も私を見ていたはずで、彼は私を知っているということになる。
彼に私の顔が知られているという可能性に思い当たり夢を見ている場合ではないことに気付いた。
恥ずかしいどころの話ではない、穴があったら落ちてそのまま永眠したい。
もしかしたらアホ面を晒していたのかも知れない。
それで彼は笑っていたのかも知れない。
淡い恋心は一瞬して失恋に変わる。
彼が実在する人間であろうが、幽霊であろうが私には関係はなかった。妄想の中だけに存在する恋愛対象でいてくれさえすれば良かったのに、私のことを知っているとなると話は変わる。
私の中だけに相手は存在していてくれればいい、相手の中に私はいらない。
現実が私の中で大きくなって熱がこもった私の心をどんどんと冷やしていく。
現実に支配されたとき私は小さく溜め息を吐いた。
彼の中にいる私を消去するには、私の中の彼を消去するしか方法はない。
どうやったって相手の頭の中をいじることはできないのだから。
ケータイを取り戻したら彼の画像を消去しようと私は決めた。
私は急いで帰り支度をすると職員室のほうへと走った。緊急のとき人に声をかけられて邪魔をされないのが友達がいない利点だと思う。中学生のときには毎日のように親友の真由に声をかけられていた。友人との付き合いを煩わしいとは思ったことはないが、なくても案外寂しくはなく寧ろ楽だった。
「私のケータイ」
今、私の頭の中にあるのはケータイの奪回についてのことだけだ。
走って職員室の扉の前まで来るとほんの少し息を整えて、私は静かに扉を開けた。すぐに体育教師の小杉の姿を目で探す、が目立つはずのジャージ姿の巨体は見つからない。2〜3人、机に向かう教師の姿はあったが小杉の机は空だった。
まだ教室か体育館にいるのだろうか……。
念のため職員室の奥まで進んで小杉の机の上を私のケータイは見当たらなかった。まず教室を覗いてから体育館へ行ってみようと私は思った。
早くと急かす心の声には逆らえない。
学校にいる限り息苦しさは続いていた。
やはり私は、ケータイがないと死んでしまう―――。
小杉の教室は……2年D組!
そう思い出し私は職員室をでて教室へと逆戻りをした。走りだしてすぐに目の前に女子の一群がいたのでスピードを落さずそのまま避けようとしたとき、私は顔面から誰かの胸へとぶちあたり弾き飛ばされた。危ないと思ったときにはもう遅かった、「危」までしか実際には云えていない。「ない」が云い終わる頃には女子の一群の横に尻餅をついていた。
あまり高くはない鼻を見事に潰した。私の顔が相手の胸へと当たるくらいだから、ぶつかった相手は長身の男性であることは予測できた。しかしそれが剣道部の池波夏樹であり、顔をあげたとき私の体が勝手に硬直してしまったのは想定外の出来事だった。
ぶつけた鼻の頭に手を置いたまま私は池波くんを凝視した。
緩く癖のかかった黒髪に切れ長の目、剣道で鍛え上げられた肩幅の広い引き締まった体。見間違うわけもなく池波夏樹その人である。
傍らにいる女の子たちの好意的な視線が派手に尻餅をついた私ではなく、池波くんへと集まる。池波くんが女の子に好かれる顔立ちをしているのは承知の事実だった。
「ごめん、大丈夫だった?」
特に慌てた様子もなく池波くんは私に向かって手を差し伸べた。
しかし、親切心で伸ばされた手を他の女子たちの前で安易に握り返してはいけないことなど私にだってわかる。
私は自力で立ち上がり素早く体勢を整えた。
「私のほうこそ、ごめんなさい」
池波くんはあまり感情を表へ出すほうではない。
陽気なタイプとは正反対のクールなタイプだ。
大丈夫だと知ると何も云わずに私の横をすれ違っていった。
鼻の痛みが引いてくると同時に、最悪な事態がふたたび襲ってきたことを知った。
池波くんに顔を知られてはならなかった。
彼の中で私が息づいてはいけない。
写真に写った彼のように池波くんの存在を私の中から消さなければならなくなる。
大丈夫だよね?
私はそう自分を励ましてみた。
大丈夫、私の顔が覚えられるほどの出来事ではない。一瞬のうちにきっと私の顔なんて忘れてしまうはず……。そう、ぶつかっただけで顔を覚えてもらえると思うなんて自意識過剰すぎる。彼の無表情の顔からは何一つ、驚きの感情、嫌悪の有無さえ読み取れなかったが私のことなど気にするはずがない。もしかしたら意識は近くにいた女子の一人に向いていたかもしれないし、一緒にいた男子との会話の続きを思い浮べていたのかもしれないし、放課後の剣道の稽古についてかもしれない。私のほうを見ていたけれど、私に手を差し伸べていたけれど……。
そこまで考えてすごく自分が嫌になりかけた。
少しだけ憧れていた、かっこいいなと思って目の保養にしていた池波くんとぶつかって体が触れただけで舞い上がりすぎだ。
もっと現実と向き合わなければ頭が腐ってしまう。
「ケータイ……」
私のケータイを取り戻さなければならない。
今はケータイ小説『苺練乳』のつづきが読みたいのに。
私は走り出しながら憤りを体育教師の小杉にぶつけた。そもそもケータイを取りあげた小杉が悪い、と自分が授業をさぼっていたことを棚に上げて思う。小杉が私のケータイを取り上げなければ、即行へ自宅へ帰って部屋でのんびりケータイ小説を読んでいるはずだった。私のケータイを持っているであろう小杉を探して校内を走り回ることもなければ、池波くんに正面からぶつかることもなかったのだ。
今時の高校生が常にケータイ電話を所持していることは世の中の常識である。
ケータイの中には個人情報がたっぷりと入っているのだ。
と、小杉への怒りをぶちまけながら私は2年D組みの教室を覗き込み、小杉がいないと知って今度は体育館のほうへと走った。
部活動はまだ始まっていないのか体育館には人気がなく水を打ったように静まり返っていた。音のない体育館はなんだか物悲しく心に開いた空洞を疼かせる。たくさんの人が入ることを想定して作られているからなんだろう、誰もいないとひとりぼっちが浮き彫りとなる。
小杉はやっぱりここにもいないようだった。
探しても見つからないんなら職員室で大人しく待っているべきだった。そう思い引き返そうとしたとき、誰かの足音を耳の裏で感じた。
振り向いたとき私の体は張り付けになった。
体育館を覗いたときには誰もいないと思っていたのに、壇上の上、そこに男の子が立って壁に飾られている国旗を見あげていた。彼がふと振り返って私のほうを見て、にっこりと笑う。
その顔を私は知っていた。
真っ先に目に入る銀色の髪、細められた目の奥にはスカイブルーの綺麗な瞳がビー玉のように輝いていた。
意外と長身で足が長いんだ、などと写真では確認できなかった部分を見て思う。
「な、なんで……」
冷静に容姿を観察しつつも頭は混乱して、ありふれた言葉しか出てこなかった。こんな日本人離れした特徴のある顔を見間違うわけは絶対にない。どう見ても写真の中の彼だった。
制服姿ではない私服の白いニットの半袖シャツとジーンズ姿だったので、うちの学校の生徒ではないことはわかった。しかし、生徒でないとわかっただけで状況はなにも変わりはしない。
ばっちりと目が合ったその彼の唇が動く。
「美羽!」
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
なんか混乱した。
混乱は極度に達した。
私の名を呼んだ。彼が私の名前を知ることなど、どう考えてもありえないことなのに。
「美羽ってば、声が大きいよ。人がきたら気まずい思いをするのは美羽のほうだと思うんだけど」
美形なストーカー、それも私を付け狙うような奇特なタイプの。
私は彼をそう位置づけた。
怪訝な顔で彼をみつめていると私の叫び声を聞きつけた生徒数名が恐る恐る体育館を覗きにきた。
「ど、どうしたのものすごい声だして……」
「あそこっ! あそこに変態ストーカーがいて」
と、私は壇上のほうを指差した。
しかし云った後、私のほうが駆けつけてきた女子生徒に怪訝な顔を向けられた。
ふと壇上のほうを見ると先程までいた彼の姿が見えなくなっていた。きっと教卓の裏に隠れているのだろうと思い、私は走って壇上にあがり教卓の裏に回りこんだ。
「ちょっと! あれ……」
いない。
さらに右左と確認してみたが彼は忽然と姿を消していた。
彼の云ったとおり私は気まずい思いをした。
駆けつけてきた数名の生徒たちが今度は不審な顔をして私を見ている。
愛想笑いを浮かべて一応、誤魔化しに入る。
「おかしいな……ストーカーの奴ってば逃げ足が速いんだから」
おまえにストーカーする奴なんていないよ、と相手の顔が云っているような気がしたが、みんなはなにも云わずに退散していく。ふたたび体育館に静けさが訪れた頃、私は再度あたりを見渡した。一瞬にして隠れられる場所なんて教卓の裏しかないのだが、あの長い脚なら瞬間的な移動も可能かもしれないと、カーテンをめくってみたり壇上の裏手を探してみたり消えた彼を追いかけた。
「どこに行ったんだよ、あいつ……」
私の名前を知っている理由を話させるまでは逃がさない。
じゃないと気分がすっきりとしない。
「あ〜〜〜〜〜〜もう〜〜〜〜〜!!」
「美羽、こっちだよ」
と、後ろから長い腕が伸びてきて首に巻きついた。
不意打ちの攻撃に私はまたしても悲鳴をあげそうになった、
「いったい今までどこにいたの!? ってか、なんで私の名前を知っているの!?」