女王からの手紙
表玄関がバタバタしていることはシュアにも分かっていた。
誰か客が来て、他の職員が施設長を呼びに行った。
たぶん身分が高い人だ。警備兵とかとも空気が違うから。
起きるにはまだ一時間は早い。一緒に寝ている仲間たちに動きはない。じっと耳を澄ましていることにしたようだ。
しばらくやり取りがあった後、一人の足音がこちらに近づいてきた。やがて自分たちの部屋に止まる。ドアが開く。
「シュア、ちょっときて」
施設長の声が聞こえた。顔を上げたときには去っていた。目覚めていることは知られているようだ。
良い話か悪い話か。声色から判断できない。他の雑魚寝の子供たちは静観することにしたようだ。
しかたなく起き上がる。
里親が見つかった感じではない。なにか通報されたか。濡れ衣みたいなことはたまにあると聞く。
そんなことを思いながら二段ベッドを降り、近くにあった靴を履いて来客室へ。
背後の子供たちが動きだす気配を感じながら。
応接室のソファには筋肉質の女がいる。狂人が活けた花みたいな、勢いを感じさせる真っ赤な長い髪の女だ。
前髪だけぱっつり切ってある。おそらく邪魔だからという理由なのだろうが、そこを起点に見ると、コートと相まって意外に上品な感じに見えなくもない。一瞬だけだが。
足を開き、真ん中で手の指を組んで根が生えたみたいにソファに腰を下ろしている。
部屋に入ったシュアを一目見て、再び正面の施設長へと戻る。
シュアは施設長の隣へ招かれる。
浮浪者から町民、金持ち。船乗りや兵士、商売人、魔術師。それから神人と呼ばれる異国の者、あと領主とその子供。
この世界へきて、色々な人を見てきた。だが目の前の女は、そのどれとも違う。
獣だ。シュアの前世の記憶と照らし合わせるなら、サメとか虎とかゴリラとか。
人でいうならヘビー級の世界チャンピオンだ。昔なら戦国武将といったところか。
力の塊、触れられただけで千切れらそう。
そんな女がシュアを見ている。
「シュア」
口を開いたのは、施設長だ。
「これを読んで」
施設長はシュアに一枚のスクロールを渡す。
まだ自分は誰にも字が読めるなんて話はしていないのだが。
受け取ってはみたが、誰も代わりに読んであげようと言い出す者はいない。言われるまま広げて読んでみる。
シュア・マド殿
貴殿をナブラ王宮に招待する。
182年5月30日、日の7時、女王の間に来られたし。
エンベリス王国八代目女王 オーラ・リーフィンド・エンベリス
「?」
シュアが顔をあげたと同時に目の前の大女が立ち上がり、巌のような圧を発しながら近づいてくる。
「わかったか。時間が惜しい。行くぞ」
両脇を抱えられ、持ち上げられた。施設長が止める素振りを見せたがまったく抵抗にならない。シュアは女の小脇に抱えられ、部屋を出た。
廊下には聞き耳を立てる子供たちがいたが、女は一顧だにせず玄関を出て外へ。
と、ロイエがパンを買って戻ってくる間にそんなやり取りがあった。
***
今一行は再び来客室へ戻り、ネフェに代わってロイエが詳しい説明をしていた。
「失礼なことを承知で質問させていただけませんか」
施設長が尋ねる。まずはロイエを見、彼女がうなづくと、ネフェを見る。
「ああ、いいが」
「まず、手紙には王宮とあり、王家の紋章もありますが、お二人にもその証拠を示していただけませんか?」
全然信用されていないのがロイエにはわかった。
上等な服は着ているが、王宮騎士の制服ではない。途中で手紙をかっさらってこちらに来たと思われているのか?
「さっき見せたと思ったが……」
そう言ってネフェはそう言いながらコートの懐に手を伸ばす。
「これでいいか」
取り出したのは銀のメダル。シュアも首を伸ばす。ちょうど五輪のそれと同じくらいの大きさだ。
縁に六つの宝石のマーク、中央に宝石。全体に女性のシルエットが精巧に彫られてある。
リティカ・エンベリスと六つの魔石を象った王家のマークだ。
「玄関で見せていただいたときは一瞬のことで確認が取れなかったもので。失礼しました」
施設長が頭を下げる。
「他には?」
「この書状では5月30日に王宮に来るようにとありますが、今連れていかれるのはどういうわけですか?」
今は4月10日である。
王宮まで行く時間を考えても謁見まで結構あるだろう。
「もちろん我々の元で生活しながら準備をしてもらう。最低限の礼儀は覚えてもらう必要があるので」
ほうというような間がある。
いきなり子供を誘拐した者の言う最低限の礼儀とはどういうことだろうなというような物言わぬ間である。
もちろんネフェは動じない。
「では、そのあとは?」
よほど警戒されているなとロイエは思う。
初めに徽章をちゃんと見せ、しかるべき説明をし、それから書状を渡しシュアに取り次いでもらえたら、おそらくこんなこじれることにはならなかったろう。
何せ女王の勅令なのだ。それが当然というものだ。
だったらなぜこの人選にしたのか?
おそらく自分と師匠以外の従業員が皆生粋の貴族ということも関係しているのだろう。
市民同士の方がシュアにとっても親しみやすいという判断だ。
いずれにせよ、こんなことは今の女王の代にとっては初めてのことだ。市民との直接の触れ合いなど慣れていないのだ。
「終わったら再び我々がここへ責任をもって送り届ける」
「シュアへの付き添いは?」
「悪いが場所が場所だけに行くのは彼女一人だ」
「わかりました。では最後に、なんのためにシュアを連れて行くのです?」
しかも王宮が、こんな極秘裏に? という意味も暗に込められている。
「それは言えない」
「女王様の命令であることは承知しております。ただ、施設から孤児を出すのに許可が必要ということも女王様が作った法です」
ロイエがしゃべろうとするのをネフェの手が制する。
「正直、それは私にもわからない。ただ、女王がこの子の力を早急に欲している。我々はそれに応える義務がある」
自分たちは仕事をしている。それが一切感情のこもらない彼女の声からわかった。
「わかりました。シュア、準備しなさい」
「はい」
力を欲している? 私の?
理解が及ばない。だって女王だ。
あのイケオジ領主がなにか言った?
自分の名前が広まるのはそれくらいしかないだろう。
とそんなことを考えながらシュアは立ち上がる。だが、どんな準備をすればいいんだろう。
施設長が二人に尋ねている。
「王宮までどれくらいかかるんですか?」
「馬車で飛ばして五日ってとこかな」
「足りないものは途中で揃えますので」
ロイエが口をはさむ。
こうして、シュアは馬車で孤児院を後にした。
***
王宮が孤児院から女児を引き取った
街ではそんな噂が広まった。
「その孤児が初めて口にした言葉は、三代様のお言葉だったそうだ」
「領主様も極秘で彼女に会いに来たらしい。そして彼女はヴァイン様に何か進言したようだ」
「それはたいそう重要な助言で、領主様も無下にできず、王宮や議会に伝えたらしい」
「それでフルーロードの王配としての位列が一つ上がったそうだ」
「しかもどうもその女児には魔力がないということだ」
会話がそこまで行くと、噂をしている者たちは、押しなべて黙ってしまう。
それと似た状態の人間がいることを彼らは知っている。
女王とその子供たちである。
そしてシュアは孤児だ。
……女王の隠し子? ……第六王女?
もちろんその言葉は誰しもが飲み込んで発せられることはない。
民衆がささやく憶測はそこまで進んでいた。