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エンベリス王国の巫女  作者: 森の手
幼少期編
14/30

師弟

 一台の馬車が城門を抜けフルーロードに入った。

 夜が明けて少しした頃のことだ。

 通りに人はいない。わずかにパン屋に明かりが灯る。

 石畳が朝露で濡れている。滑らないよう馬車は速度を緩め、街を走る。


 御者はまだ十代前半の少女。耳までの短い金髪。表情にはあどけなさもあるが、それでも育ちから出る抜け目なさが目を引く。

 ただ今は厳しい顔つきをしている。

 厚い毛皮のコートと丈夫そうな革のブーツ。歳に似合わず高価なものだ。


 春先だがまだ朝は肌寒い。手綱片手に反対の手はコートの首元をつかみ、冷気が入らないようにしている。

 視線は油断なく周囲に移る。


 馬車は特に変哲はない。よく見ると長距離用の丈夫な造りで、それを引く馬も相応のものだということが分かる。所属を示すようなものはない。


 大通りの奥へ。速度を緩め壁際の貧民地区に入る。

 歩道こそ石畳だが、ところどころ廃材の家が目立つ。

 ただ、特有のすえた臭いがない。路や路地自体も他領の城下街と比べてだいぶ綺麗だ。

 自分が住んでいた地区はこの数倍ひどかったと少女は思う。


 目指す場所は教会、正確にはその隣の施設に用がある。

 上を見れば明かりと高い屋根の目印があるので、土地勘がなくてもたどり着くことはできる。


 まもなく人気のない孤児院の前につけられた。

 ゆっくりと馬車の扉が開かれる。

 現れたのは、同じく良質なコートに身を包んだ二十代後半くらいの女だ。

 爆発するように方々に生えた赤髪。前髪だけきれいに揃えられ、他は勢いそのままに肩まで伸びている。

 目は燃えるように闘志を湛え、いつでも争いに応じるという表情である。

 背は高い。

 体つきは屈強な男性兵士を思わせる。少しぶつかっただけでも跳ね返されるような力がみなぎっている。


「つきました」


 後ろを見ず少女が言う。


「だから出てきた」


「言わないと怒りますよね」


「怒ったりはしない。それに、それは私が到着に気づいてないときだ」


 返事は返さず少女は結局馬をねぎらって、それから降りた。

 二人の身長差は頭一つ分ほど違うが、少女の成長次第では同じくらいになるだろう。


「入らないんですか?」


 少女が尋ねる。赤髪の女が入口で腕を組んだまま動かないでいるからだ。


「ロイエ、見てわからないのか」


 入口を睨んだまま言う。


「わかりません」


 こっちは夜から馬車飛ばしてきて疲れているんですが、と付け足したいのをこらえて彼女、ロイエは言った。


「まだ開いてない」


 背後で馬の一頭がブルルと頭を震わせた。


「え、待つんですか?」


「当たり前だ」


 こんな貧民区の孤児院に気を利かせる必要はない。

 とは言えない。

 身分を隠しているとはいえ、私欲で権力を振るっては主人の名に傷をつけかねない。

 それがこの大女、もとい彼女の師匠、ネフェ・ラファの行動原理の一つであることは痛いほどわかっていた。


「師匠は、リュウグウの出身でしたよね?」


 自身のことを師匠と呼ばせるのも、指導者陣の中では彼女だけだ。

 ネフェも自身の指導官のことをそう呼ぶ。つまり伝統というやつにまきこまれているのだ。


「何を言いたい?」


 ネフェは質問には答えず、逆にロイエにそう尋ねる。


「私もランディアなので、ちょっとこの辺の土地勘を養っておきたいなと」


 パン屋の明かりがついていた。昨日の残り物でももらって、孤児院が開くまで適当に時間をつぶしていよう。

 理はこちらにある。街中とはいえ、いつなんどき誰に襲われるとも限らない。したがって周囲を確認するのは当然の行為だ。


「そうか? 来るとき確認は済ませていなかったのか?」


「い、いえ、暗かったもので」


 していた。教育の賜物である。


「ならパンを買ってきてくれ。街の周囲を見てきていいぞ。お前が使わないと言うなら、私は馬車で寝ている」


 え?


「……いや」


「なんだ?」


「なんでもないです」


 素なのか見透かされたのかわからない。

 ほらと言って、金を渡される。

 それを握りしめ、馬車に後ろ髪をひかれながらロイエはパン屋に向かう。

 まあ思い通りにはなった。

 だが、自分たちはいったい何をしているんだろうとロイエは思う。


 職務を放って貧民区の孤児に会いに来るなんて。

 前代未聞のことだ。

 しかも目当ての子供は魔力というものがないらしい。

 理解不能としか言いようがない。

 その子は赤子にも劣るのだ。


 パン屋で朝食を買い、言われた通り街を見て回る。

 不思議なことに気がついた。

 やはり街が奇妙なくらいきれいだ。

 体臭と生ごみと糞尿のにおいがつきものの場所なのに、それがない。

 異常だ。

 小路を覗いてみても、掃除されているのが分かる。

 たしかに、少し前に首都の貯水槽の底に大量のゴミや汚物が溜まっていたことがわかり、国を挙げて大掃除が行われた。それがきっかけで水道に関してかなり警備が強化された。

 ついでに街の衛生についてもかなり強く見直しが図られている。

 だが、それにしたって、それがこんな貧民区域にまで浸透しているはずはないだろう。


 そんな感想をひとしきり抱きつつ馬車に戻る。

 ネフェの姿がない。

 宣言通り寝ているのかと車の中を見てみたが、いない。


 孤児院の中だろうか。


 馬車がでんと止まっているのだ。誰かに気づかれて中に通されたと見るのが自然だ。


 パンでも食って待ってよう。


 なんて思っていると、勢いよく玄関ドアが開いた。

 出てきたのはネフェと、それから少女だ。おそらく目当ての子だろう。

 ネフェは彼女を脇に抱えている。少女はあきらめたのかぐったりしている。顔は見えない。


「ちょっと待ってください」


 後を追うように施設の人らしき中年女性が出てきた。


「なんだ、わけは話しただろう。この子はこちらがもらっていく。大丈夫、飯は食わせる」


「いや、それはわかりましたけど、手続きもありますし、それからシュアの意思もあります」


 ぴたりと止まる。

 それから少女の両脇を抱え、その顔を自分の顔に近づける。


「お前、ついてくるよな」


「遠慮します」


 きっぱり一言。はっきり断った。師匠相手に。


「ストーーップ」


 そこでようやくロイエは止めに入ることにした。


「師匠、いや、ネフェさん」


「なんだ」


「このままこの子を連れ帰ったのでは誘拐になってしまいます」


 こいつは調教が行き届いた怪物だ、という旨をネフェの大師匠から仰せつかっていた。むろん、調教したのはその大師匠であるが。

 職場ではこんな感じでいい。よくないけどいい。百歩譲って。顔も素性も割れているし、社会的地位もある。問題はない。

 だが地方の公共の場ではよくない。


「決まりは守ってる」


「守ってないから困ってるんでしょ」


 ネフェが止まる。ムッとしているが、言い返さないところを見ると多少は理解しているようだ。いや、自分以外全員反対していることに疑問を感じただけか?

 ロイエは、追ってきた女性を見る。


「申し訳ないですが、うちの上司はこんな感じなんです。少し中でお話させてもらえませんか」


「え、ええ」


「師匠、とりあえず中へ」


「わかった」


 結局ネフェも子供を降ろし、再び施設に入った。

 降ろされた子は、ロイエに軽く頭を下げ、同じくそれに続いた。


 本当に子供か?


 いや、何も知らない子供だからか。

 一応そう納得し、ロイエも孤児院に入る。

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