第3章 捏造された証言
「じゃあ……本当に、彼女は失踪してるってことで間違いないんですね?」
応接室のような質素な取調室で、警察官が私に問いかけた。
小柄な初老の男性で、どこか話しやすい雰囲気を持っている。だが、その目だけは鋭く、私の一挙手一投足を観察していた。
「はい。部屋に鍵はかかってなかったし、荷物もそのままで……でも、本人はどこにもいなくて」
私はそう答えながら、自分の言葉に確信を持てない自分に気づいていた。
「彼女と最後に会ったのはいつですか?」
「四日前の夜です。一緒に夕飯を食べました」
「その後は?」
「次の日の朝起きたら、彼女はいませんでした」
「その日の足取りで、何か不審な点は?」
「……特には。ただ、話したいことがあるって、前夜に言ってました」
「それはどんな内容だったと?」
「わかりません。聞く前に、いなくなってしまったから」
捜査官は頷きながら、手帳に何かを書き込んだ。そして、次の質問に入る。
「名前は?」
「……彼女の、ですか?」
「はい。確認のために」
私は、一瞬口ごもった。
頭の中で、彼女の名前を思い出そうとする。何度も、何度も。
けれど――どうしても、出てこなかった。
顔は思い出せる。声も、仕草も、全部覚えているのに。
なのに、名前だけが、空白のままだ。
「……すみません。急に、出てこなくて……ど忘れっていうか……」
「本当に“ど忘れ”ですか?」
警察官の声が、すっと冷たくなる。
「え?」
「奇妙だと思いませんか。共同生活していた相手の名前を、思い出せないなんて」
「……でも、本当に」
「あなたの部屋を調べさせていただきました。彼女の荷物が、ほとんど見当たらなかったそうです」
「え?」
「服も、歯ブラシも、靴も。あなたの証言と合わない。まるで、最初から“そこに住んでいなかった”ようだと」
私の頭が真っ白になった。
「そんな……そんなはずない。毎日一緒にいたんです。ご飯も食べたし、彼女の部屋にはノートPCだって――」
「ノートPCも、なかったそうですよ。あなたの部屋にあった一台だけです」
「……そんな馬鹿な」
私はその瞬間、彼女の部屋にあった封筒のことを思い出した。中に入っていた一文。
「わたしは、わたしじゃなくなる」
あれが遺書だったのか?それとも――暗号だったのか?
「実は、目撃者がいます」
警察官は、そう言って資料を取り出した。
「この近くの交差点の防犯カメラに、三日前の深夜、あなたが一人で歩いている映像が残っています。なぜ、その夜に外出したと証言しなかったんですか?」
「外出……?」
「しかも、何かを大きなゴミ袋に入れて持っていた。公園のごみ集積所に入れていましたね。何だったんですか?」
「そんなの……覚えてません」
「ごみの収集業者の証言によると、その袋は“重くて、何か硬いものが入っていた”と。中身は既に焼却済みですが」
心臓がドクンと跳ねた。
「違います。私は何も……してません。彼女を傷つけたりなんて……!」
「あなたの記憶と、現実が食い違っているように見えますよ。記憶障害の診断歴は?」
「ありません……」
「精神科にかかったことは?」
「……ない、と思います」
警察官は深く息をついた。
「では、一つ確認させてください。あなたの“本名”は、なんですか?」
私は即座に答えた。
「××××××です」
「……そう言うと思いました。でも、あなたの本名は――違いますよね?」
「え?」
警察官はファイルから一枚の紙を取り出した。そこには、住民票の写しのような書類があった。
記載されていた名前は――彼女の名前だった。
「これは……どういう……こと……」
「あなたが名乗っていた名前は、もともと“失踪した彼女”のものだったんですよ」
視界がぐらりと揺れた。
「あなたは、彼女になろうとしていた。あるいは――最初から“彼女”だったのかもしれません」
何を言ってるんだ? 私は私だ。
なのに、記憶が――ずれる。
自分の顔が――わからない。
「鏡、持ってますか?」
警察官が言った。
私は、持っていないことに気づいた。
彼女と同じだ。鏡を、持っていない。