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<女神の祝福>、それはこの国の人間ならば誰しもが知っている御伽噺だ。
昔、1人の貧しい青年がいた。
青年は物売りで日銭を稼ぎ、その日の食べ物にも困る暮らしをしていたが、彼の相棒である犬と街から街へと渡り歩きながら、どうにかこうにか命を繋いでいた。
時には雑草を摘み、犬が狩ってきたウサギや鳥を食べ、大変ではあるが犬との生活は心が暖かく幸せだった。
ある年の冬、その冬はいつもよりも寒さが厳しく、青年と犬は身を寄せ合って寒さを凌いでいたが、なかなか食料が手に入らない。
しかし、どんなに貧しくても罪を犯さず、わずかな食料があれば犬と分け合った。
夏の間の貯蓄も底をつき、3日も飲まず食わずの青年は、飢えを誤魔化すために道端の雪を集めて一羽の雪兎を作った。
耳には柊の葉を差し、目には南天の実をはめ込むと、雪の兎は光り輝き、命を吹き込まれたかのようにぴょこぴょこと飛び跳ねた。
青年はその兎を捕まえて捌き、犬と一緒に食べた。
その後も青年が作った雪兎は命を持ち、それを食べ、剥いだ毛皮を売りながら青年と犬はなんとかその冬を乗り切った。
春になり、青年は冬の間に売り切れなかった兎の毛皮を売り歩いている時にたまたま教会の前を通りかかった。
雪兎が命を持ち自分達を救ってくれた事に神の慈悲を感じていた青年は教会の門をくぐり祈りをささげた。
膝をつき、目を閉じて両手を額の前で握り、心の底からの感謝を神に捧げていると、頭の中に声が響いた。
「その犬は私の使い。大切にしてくれたあなたに祝福を授けます。あなたは命を与えし者となりました。同時にあなたは命を奪いし者になりました。ゆめゆめ忘れぬように。」
その時の青年の身体は神々しい光に包まれており、
その場にいた神官は青年に何が起きたのかを尋ねた。
青年がこの冬の出来事や先ほど頭の中に響いた声について神官に告げると、神官は大層驚き、青年に跪いた。
神の祝福を受けた青年と神の使いの犬は神殿に保護されて飢える事のない生活を手に入れた。
ここまでは子供向けの絵本になっている内容で、この本を読み聞かせながら貧しくても真面目に一生懸命生きていれば神様が助けてくれるよ、と親は子供に教えるのだ。
しかしこの話は大人向けには続きがある。
物に命を与えるようになった青年は欲が出て、人が変わっていった。そして青年の力に目をつけた神殿が青年を唆し、泥人形から作り出した兵士を率いて国を落とそうと企んだ。
そんな青年に愛想を尽かした犬は神の元へ帰ってしまったが、青年はその事に気付く事すらなくひたすらに兵士を作り国を攻めた。
いつしか青年が兵士を作る度に、周囲の草木は枯れ、動物はいなくなり、青年の周りに生き物がいなくなった。青年を唆した神官たちは正気を保てなくなり自らの命を絶っていった。周りに何も無くなってしまった青年は飢えて死に、青年が死んだ瞬間に兵士は泥へと戻ってしまった。
そんな内容だ。
女神の祝福は命の無い物に命を与える力。
神の領域に近いその力を得ることで、自分も周りも狂い、生命を削って行く。
その力は人には扱いきれず不幸を呼ぶ物なのだ。
そう言われて女神の祝福は隠匿されてきた。
過去に祝福を授かったものがいたとしても、その家の者は口を噤み、存在を隠したという。
密かに始末する事もあっただろう。
そのため、女神の祝福について詳しい事は誰も知らない。
本当に命を与えるのか、自分は、周りは狂うのか、命を与える代償として他のものの命を奪うのか。
わからないからこそ人は怖れる。
僕は女神の祝福という名の呪いをこの身に刻まれたのだ。
僕は絵を描くことで女神の祝福が発動するらしい。
祝福を得てから描いた絵はキャンバスの中から飛び出して動き始めるようになる。
この絵が誰かの命を奪い、狂わせるかもしれないのだ。
両親はこの事を口止めし、僕は絵を描くことを禁じられた。この事はそばにいたマリーと僕、両親の4人しか知らない。
まだ幼かった僕は、頭では理解していても心から納得することができず、ささくれた気持ちで日々を過ごすことになった。
ストレスがたまる状況なのに絵を描くというストレス解消が出来ず、負のループに陥ってしまった。
マリーはそんな僕にいつも寄り添ってくれたが、その時はそんなマリーすら煩わしく感じるほどで、僕は1人部屋に引き篭もっていた。
描くなと言われると余計に描きたい欲求が募ってくる。
ある日僕は紙に鉛筆で描くくらいなら、とノートの端にこっそりペンを滑らせた。
描き始めると頭の中がふわふわして何も考えられなくなりハッと気がつくとノートいっぱいに暗い色のついた悪魔のような絵を描きあげてしまっていた。
女神の祝福を受けた事による不安や絵を描かないことによる欲求不満な気持ちが表に出たのか、その絵は暗く歪で気味の悪いものだった。
慌ててノートを破り捨てようとした瞬間、その悪魔のようなものは厚みを増してゆらゆらとノートから抜け出してこようとしたのだ。
毛に覆われた太い腕がノートから伸びて僕の頭を鷲掴みにして持ち上げ、強い力で僕の身体は宙に持ち上げられた。
頭を掴んでいる手の先の長く鋭い爪が僕の額に食い込み、痛みと恐怖で僕は無我夢中になり手足を振り回した。
椅子や机が倒れ、机の上の物は大きな音を立てて床にぶち撒かれ、その音を聞いたマリーが慌てて部屋に入ってきた。
マリーが僕の腰に抱きつきながら暖炉の火を素手で掴みノートに投げつけると、ノートは一瞬で火に包まれ悪魔のようなものは影も形もなくなった。
物は壊れ、散らばり、辺りは酷い有様で、マリーの手は酷いやけどを負い、僕の頭からは血が滴っていた。
「無事でよかった…!」
火傷を気にする様子もなくマリーは僕を泣きながら抱きしめて僕の背中を摩り続けた。
「…!!ごめんなさい!っく…ごめんなさい!ごめんなさい!」
僕も何度も謝りながらマリーに抱きついて泣きじゃくった。
その日の夜、マリーは不安そうな僕にチョコレートを一粒食べさせてベッドの横に座り、僕が寝るまで包帯の巻かれた手で僕の頭を撫でてくれていた。
その日以来僕は一度も絵を描いていない。