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「マリー、少しいいかな?」
僕はマリーの部屋の扉をノックして声をかけた。
「あら!坊ちゃん?少々お待ちくださいませ。」
マリーはいつものように優しく微笑みながら扉を開けて、細い隙間からするりと廊下に出てくると素早くパタンと扉を閉めた。
「プロムのパートナーが見つかったんだ。マリーに言われた通りデュランに相談してよかったよ。これ、お礼と言ってはなんだけど。」
レモンクッキーの包みを手渡すと、マリーは嬉しそうに受け取った。
「カフェレモーネのクッキーですね!レモンの香りが爽やかで美味しいですわよね。お茶を入れますから坊ちゃんも一緒にいただきましょう。坊ちゃんのお部屋でよろしいかしら。」
僕はマリーと今来た道を引き返していく。
途中デュランの部屋の前でデュランにも声をかけて3人で僕の部屋に行き、マリーの入れてくれた紅茶を飲みながらクッキーをつまむ。
いつもの光景だ。
「アル、いつの間にクッキーなんで買ってたの?抜かりないなぁ。」
「マリーにも食べさせたかったんだ。」
「まあ、まあ、ありがとうございます。坊ちゃんが優しい男性に育ってくれてマリーは嬉しゅうございますよ。」
マリーは目尻に皺を寄せてにっこりと笑い、その顔を見ると僕の頬も自然に緩んでくる。
「そんな顔で微笑まれたらみんな一発でやられちまうのになぁ。アルは普段はなんであんなにお堅いんだろうな。まあ、クールなところがいいとか言われてもいるけどさ…」
デュランはブツブツ言いながらもクッキーをどんどん口に運ぶ。
マリーのために買ってきたのに半分以上デュランが食べている気がする。
9歳のあの日までは、僕達はいつもマリーの部屋で集まっていた。
あの日、僕が女神の祝福を受けるまで。
僕は幼い頃は活発に動き回る方ではなかった。
身体も小さく、大病はしないものの熱をよく出して寝込むことも多かった。
外で走り回るデュランとは対照的に、僕は家の中で本を読んだり絵を描いたりして過ごすことを好んだ。5歳を過ぎる頃には風邪を引くことも少なくなり、デュランに引っ付いて外で遊ぶことも増えたが、それでも一般的な男子よりは家で過ごす時間が長かったと思う。
マリーの部屋で本を読んだり絵を描いたりして、そこに外で遊んで泥だらけになったデュランが帰ってきて、3人でお茶を飲みながらおやつを食べる、そんな毎日だった。
僕が特に好きだったのは絵を描くことだ。
絵の具の匂いや鮮やかな色彩に魅了されて、窓からの風景や飾ってある花、マリーやデュランの顔など毎日飽きもせず描き続けた。
子供の拙い絵をマリーは大袈裟に褒めて、マリーの部屋の壁には隙間がないくらい僕の絵が飾られていた。子爵家にも持って帰り僕の絵を飾ってあるのだとデュランに聞いたことがある。
幼かった僕はその気になり、将来は画家になるのだと言い回っていた。
芸術はお金がかかる物で、庶民はなかなか学ぶことができない。
そのため、音楽家や画家には貴族が多い。
もちろん天才的な才能を発揮して芸術家になる庶民もいるが、その数は圧倒的に少ないのだ。
家長でありながら芸術家でもある貴族は少なくないため、両親も僕を応援して、絵画の家庭教師をつけてくれたりもした。
技術を学ぶにつれて、表現した色や形は僕の心の中を雄弁に語り、世界はより一層鮮やかに色付いたような気がした。
9歳の時に出展した絵画のコンクールでは、最年少で入賞を果たし、僕は自分が画家になる事を疑っていなかった。
絵画コンクールで入賞した後、僕はますます絵画にのめり込んで行った。
その頃は目の前にある物をキャンバスに写し込むよりも自分の心の中を表現する事に夢中になっていた。
所謂抽象画と言われる物だ。
心の中の綺麗な物にも汚い物にも目を向けて、色をつけ、形をつけ表現していく。
そんなある日、一枚の絵を描きあげた瞬間に眩しい光が僕の身体と出来上がったばかりの絵を包み込んだ。
あまりの眩しさにあたりは真っ白で何も見えず、足元に地面があるのかもわからないくらいだった。
驚いてへたり込み何度も目を瞬いていると、光は少しずつ消えて行き、いつものマリーの部屋の風景に戻った。
目の前のキャンバスの中ではよくわからないものがゆらゆらとゆらめいている。
まるでキャンバスの中の絵が命を持ったかのようだ。
訳がわからず隣を見ると、マリーが見るからに青ざめて震えながら僕を抱きしめた。
「祝福…女神の祝福が…」
マリーの呟きを耳が拾い、僕は、ああ、と全てに納得したのだった。