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祝福の気配が色濃く残るその庭はおそらくローズ様の言っていた女神の間に繋がっているのだろう。
清廉とした空気が広がり、そこだけが太陽の光を集めたように他よりも輝いている。
アルフレッドと呼ぶ声は奥の部屋より絶え間なく聞こえてくる。
その少女のような少年のような少し高く澄んだ声は良く聞くと呼びかけると言うよりは呟きや囁きのようで、ひどく僕を懐かしい気持ちにさせる。
僕はそこへ向かって今すぐに飛び込みたい気持ちと、未知のものに対する得体の知れない恐怖を同時に感じて、一瞬その場から動けなくなった。
行ってはいけないと頭の中で警鐘がなるが少しずつ体が勝手に引き寄せられていく。
もう後数メートルで庭に辿り着こうかという時、騒々しい怒鳴り声が聞こえ、僕の意識は現実に引き戻された。
騒ぎは王宮の中で起きているらしい。
何事かとそちらに向かって飛んで行くと、私室と思われる広い部屋で多くの騎士が揉み合っている。
その中心に額から血を流した王が座り込んでおり、それを見下ろすように王太子殿下が立っていた。
勲章をいくつも付けた騎士服の男が剣を床に突き刺して叫んだ。
「鎮まれ!譲位はなされた!ただ今よりサライ王太子殿下が、王となる!」
その迫力に動きが止まった瞬間に、王太子殿下が前に進み出た。
「皆の者、父は心の病を患っておられた。このままでは国にとっても父にとってもよろしくないと私達が親子で話し合って決めた事なのだ。本日父は少々混乱しておりこのような騒ぎになってしまったが、明日には正式に辞令がなされる。安心して持ち場に戻るように。
余計な噂話をするような者は処罰を与える。忘れるな。」
王太子は高らかにそう述べると父王に目をやり、それを受けた父王はのろのろと立ち上がった。
「サライの言うとおりだ。騒がせてしまったが心配無用。皆戻れ。」
父王の言葉に騎士達が複雑な表情を浮かべながら少しずつその場を後にする。
残ったのは父王と王太子殿下、殿下の腹心と見られる数人の騎士だけだった。
「父上、父上はゆっくり療養なさって下さい。母上が生を終えたあの離宮を用意してございますゆえ。」
王太子殿下が綺麗な顔を一瞬歪めてそこから立ち去ると残った騎士たちが父王を両脇から抱えて連れ去って行った。
王太子殿下によるクーデターだ。
今朝王太子殿下が僕の元に来た時にはこの流れがもう決まっていたのだろう。
王弟が動く前に全てを手中に収めたのだ。
父王を廃して次は王弟とジェンダー家を潰すのか。
この行動力を持ってすれば猶予はあまりないだろう。
急いでローズ様に伝えなくては。
手紙を書いて、鳥を呼び戻そう。
てんとう虫との意識の共有を解き、塔の部屋で今自分に出来ることをしなくてはと気合いを入れて立ち上がった。
しかし流石と言うかなんと言うか。
残念ながら王太子殿下の動きは非常に早かったのだ。
手紙を書く暇もなく、僕は塔から連れ出されてしまった。
連れて行かれたのは王宮の地下にある独房だった。
窓もなく、窒息してしまいそうな圧迫感のある小さな部屋だ。
ソファやベッドは備え付けられ、不潔な感じはないが、灯りがついているにもかかわらず薄暗い。
塔にあったような机や本や便箋やペンは見当たらなくて、外部から極力遮断してやろうと言う意図が見え隠れする。
空気穴すら無いのではないかと思うような棺桶じみた独房に僕を連れてきた騎士は僕に向かって少しだけ哀れんだ目を向けた。
「少々狭くてご不便かと思いますが、2、3日でご自宅に戻る事が出来ると思います。申し訳ございませんがしばらくご辛抱くださいませ。」
そう言うや否やその騎士は短剣を取り出して僕の髪の毛を一房切り落とし、布に包んで懐にしまった。
突然の事に呆然としているうちに、重厚な扉は閉められ、ガチャリと鍵がかけられた。
王太子殿下は僕を殺す気はないと言っていたし、さっきの騎士は2、3日で家に帰れると言っていた。
それなのになぜ僕を閉じ込めたのか。
考えられる事はひとつしかない。
ローズ様とアナベル嬢を誘き出すための餌として僕を使うのだろう。
ローズ邸は色々な意味で守りが厚く、手が出ない。
かといって普通に2人を呼び出したとしても王宮にくる事は無いと王太子殿下は知っているのだ。
そんな事に使われてしまうなんて情けないし悔しくて仕方ない。
切った髪を見せて脅すのだろうか?
僕の事など無視して邸に篭っていて欲しいと思うが、優しい2人がそうしてくれるかどうか。
紙とペンを取り上げられてしまったのは本当に残念だが、鳥とてんとう虫がまだ外にいる。
デュランなら僕の意図を読み取ってくれるかもしれない。
僕は焦った気持ちで鳥に意識を集中した。




