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僕には心から愛する人がいる。
優しい声、深い海のようなブルーの瞳、柔らかな胸、甘い香りのする栗色の髪、全てが僕の心を捉えて離さない。
物心がつく前から僕はずっと彼女と一緒にいたし、世界の全てが彼女だった。
いくら年が離れていようと、彼女に夫と子供がいようと、僕の愛の前では些細なことでしかないのだ。
「マリー、愛してるよ。僕と結婚して?」
僕は赤い薔薇を一本差し出してマリーにプロポーズした。
「あらまあ、またそんな事を言ってるんですか?もうすぐ学園も卒業する年だというのに。」
「僕は本気だからね!マリー以外を好きになんてならない!」
「坊ちゃん、マリーも坊ちゃんの事は大好きですよ。でもそろそろ乳母離れしないと。坊ちゃんは優しいし見た目もよろしゅうございますのに…」
マリーは頬に片手を当てて困ったようにため息を吐いた。
ああ、最近目尻にできてきたシワですらマリーの魅力を引き立てている。
マリーは僕の乳母だ。
僕は公爵家の第一子として生まれた。
生まれてから17年、公爵家の跡取りとして恥じないように剣にも学問にも取り組んできた。
結果はそれなりに出してきたつもりだ。
両親は愛情を注いでくれてはいたが、いつも忙しく飛び回っていたせいで、僕の世話はマリーに任せきりだった。
マリーの子供であるデュランも側にいたし、マリーは甲斐甲斐しく面倒を見てくれたので寂しいと感じたことはなかった。
失敗をした時は優しく慰め、悩んだ時は一緒に進むべき道を考え、成功した時は僕よりも喜んでくれる。
そんなマリーを好きにならないはずがない。
デュランは僕のことを<乳母コン>と言ってバカにするが、僕のこの気持ちはそんな低俗な物ではないのだ。
年に一度の恋人達の日と言われる感謝祭の度に僕はマリーにプロポーズをしているが、未だ望む返事をもらえたことはない。
3歳の頃からだから今回で14回目のプロポーズになる。
「おう、アル。今年もやったのかー。懲りないねぇ。そんなんだから婚約者も決まらないんだよ。」
「デュラン!アルフレッドと呼べ!あだ名で呼び合うなど子供のする事だ!
そもそも僕はマリーと結婚するのだから、婚約者は不要なのだ。」
「アル、いい加減その乳母コンやばいって。だいぶキモイよ?どこでこんな拗らせちゃったのかなー。」
「学園に行けば同じ年頃の可愛らしい女の子がたくさんいるだろうし大丈夫だと思ったんだけど…」
デュランとマリーが顔を見合わせてガックリと肩を落とした。
「何を言っているの、マリー。マリーほど可愛らしい女性なんてこの世にいるわけないじゃないか。学園なんて幼い子供しかいないのに、僕が浮気するとでも?」
「アルだって母さんから見たら幼い子供だろ。ってか、そんな乳母コン拗らせてる奴より学園の女の子達の方がよっぽど大人だと思うぜ。」
「意味がわからん。」
僕はデュランを横目で睨みつけたが、デュランは全く意に介さないといった様子でソファに腰を下ろした。
「そんな事より来月の学園の卒業プロムのパートナーどうするの?ベスは今年婚約が決まったからもうアルとは出席できないだろ。そろそろ準備しないとヤバいと思うぞ。」
「そうだな…さすがに僕もそれは考えていた。マリーに頼むわけにはいかないし。」
この国では貴族は10歳から17歳まで学園に入学をして、将来領地を治めるために必要な知識や技術を学ぶ。国の歴史や他国との関係、各領地の特色、税収や経営、外国語に数学と学ぶ内容は幅広い。
女子はマナーや刺繍、男子は剣や体術なども必須科目だ。
目立った問題がなければ留年などすることもなく、ほとんどの者が17歳で卒業を迎えるのだが、卒業式の夜に記念のパーティーが開かれ、それが社交界のプレデビューとなるのだ。
本格的なものではないとはいえ、学生の親である貴族たちもたくさん来るし、王族も参加する。
卒業生はパートナーと共に参加する事が義務付けられているのだが、婚約者や恋人のいない卒業生は相手探しに奔走することになる。
エスコートをする、されるという経験を学園の最後の学びにしたいという意図はわからなくもないが、煩わしいことこの上ない。
これまで学園でパートナーが必要な行事がある時は2つ下の従姉妹のエリザベスに頼んでいたし、卒業プロム以外は単身の出席も認められていたのでなんとかなっていた。
エリザベスは婚約が決まり誘えないし、パートナー必須のプロムは確かに頭の痛い問題だった。
「デュランは決まったのか?」
「俺は同じクラスのミスティちゃんと参加することになってるよ。」
「…!いつのまに、そんな!」
「みんな半年前から動いてるからね?お前は母さんへの今年のプロポーズのことしか考えてなさそうだったけどさ。」
「僕の人生がかかった問題なのだから仕方あるまい。プロムは1日、結婚は一生なのだ!」
「はいはい。一生は1日の積み重ねだからね。まずその1日乗り切れるようにせいぜい頑張れよ。」
「薄情な…!」
「自業自得だろ。」
僕とデュランが言い争いをしているとマリーがお茶を淹れてくれた。
さすがマリー、気が利く。しかも可愛い。
いいお嫁さんになるに違いない。
マリーのお茶を飲みながら僕は学園の女子達の顔を思い浮かべようとしたが、誰1人として浮かんでこなかった。