既に手遅れ
俺は浮き足だって帰路に着いた。
彼女の為に、なにか出来るかもしれない。
いつも俺の世話ばかりで自分のやりたいこと、出来なくなってたろ?
彼女の仕事なんて世話焼ける程、偉くなんてないけれど……これはラッキーだぞ!
俺は最寄りの駅でショートケーキとミルフィーユを買って家のドアを開けた。
「ただいま〜」
俺の声を聞いて猫を抱えた彼女が出迎えてくれる。
「これ、冷蔵庫に入れといて」
「なに〜コワいんですけど〜」
彼女は抱えていた猫を肩に乗せると、ケーキを受け取った。
そして少しかがむと肩からピョンと猫が降りていった。
「おお、すげぇ……」
「何味?」
「ショートケーキと……あーなんだったかな」
「ミルフィーユだ」
「おーサスガ!」
「自分の好きなケーキの名前は覚えたら?」
「名前と外見が一致してねぇんだよ、ソイツ」
彼女はケラケラ笑いながらリビングへ、俺は自室にスーツを掛けに行き寝巻きを持って風呂へと向かう。
これは一人暮らしの時の癖だったが、彼女のおかげで脱衣所に必ず下着も寝巻きも置いてあった。
俺は彼女の用意してくれた寝巻きと入れ替えて、用意してくれた方を着ることにする。
俺はさっさと風呂を済ませてリビングへと向かう。
すると湯気だった、美味しそうなハンバーグと共に赤いタコウインナーが皿に乗っていた。
「わっ、この感じ、俺大好き」
「でしょ〜」
おつまみだろうか、ウインナーだけが盛られた皿を彼女は自分の席の前に置いた。
「最近、あんま酒飲まなかったよな」
「ん〜誰かのおかげでストレスフリーなんじゃない」
(働いてないからね、そんなお酒カパカパ飲めないよ……)
「まぁ、今日は一緒に飲みたかったんだよ!」
彼女はきょとんとした顔で俺を見つめたが、目を細くして何も言わなかった。
「愛ちゃん、あのさ……」
「レビュー記事、書いてみない?」
彼女は口に運ぼうとしていたタコウインナーを、皿へと戻した。
彼女は和やかな顔をしつつ、俺の説明を聞き終えてビールをぐっと飲んだ。
え、私その仕事、いじめられて辞めたんすけど。
上司に色目使ってるとか噂流されて
校正のチェックもしてもらえなくて
友隆はいろいろあるよなって、なぐさめてくれたじゃん。
そんな話を打ち明けたりできなかったけど、きっと私が辛いのをわかってくれてるって。
友隆は本当に凄い人で、私、友隆といれば幸せだって。
きっと察して、仕事のことも何も言わなかったんだと思ってた。
なのに、なんなのコイツ。
「うんーーありがとう!とっても嬉しい!」
「あたし、はりきっちゃうな!いい記事書けるように!あ、写真もまかせてよ!」
「……良かったよ、やりたい事、やった方がいいぞ」
俺は彼女の様子を見て、ただ嬉しかった。
彼女の為に何か出来ていると思った。
「ケーキ食べようぜ」
「なんてケーキだっけ?」
「意地悪すんなよ、そもそもクリームが苦手なんだよ」
「ミルフィーユなんて半分クリームだけど?」
「ちょっとづつ食べたらうまい気がする」
「一枚づつ剥がして食べるのキモいよ」
「愛ちゃん、お口が悪いわよ……」
二人でたわいもない事を言い合って、毎日が楽しいものだと感じると、これが幸せなんだと俺は思った。
同じ空間にいても、各々自由に。
ふと、話しかけると笑い合えて。
食事が美味しいねって言う団欒がある。
俺が彼女と一緒に暮らし始めて知った事。
たまに会ってお互いへ全力を注ぐ日よりも、日常に組み込まれた安らかな想い合いのがより幸せだと。
そんな事を考えつつ、ケーキを食べ終えると俺はソファーでうとうとし始めてしまった。
やばい、布団に行かないと……そう思っても抗えずに瞼が落ちる。
ーー彼女の声が聞こえる。
ふわふわとした重しが俺の膝に乗っている。
あったかい、好きにしろよ……。
俺は様々な安心感から、普段よりも深く眠りについてしまったのかもしれない。
「もー風邪ひいたらどうすんのよ……いっつも……」
腹を立てながら寝顔を見ると、言葉が止まる。
刻まれている目の下のクマを見ると、無理に起こすのが可哀想になってエアコンを調整したりブランケットをかけたりして様子を伺うのが常だ。
自分が眠るときには、もう強引に起こすしかない。
ーー今日は頭がぐちゃぐちゃで、目がぐるぐると廻るような変な気持ちで何をしていいか分からなかった。
『コイツ』って思い出したら終わりだって、誰かが言ってた。
最近、彼の言葉の全てがいちいち気に障る。
けれどそれが、私のせいだと理解してる。
瞬間的にどうしようもないぐらい怒りや悲しみが込み上げてきて、身体を掻きむしりたいような、自分で自分を殴りたいような気持ちでいっぱいになる。
眠れぬ夜から、昼にぐっすりと眠り目覚めた時は、何故あんなことで……とか、自分がいけないじゃん、と冷静になっている。
だから気がついてしまった。
私、自分の為だけに友隆と一緒にいたのかもしれないね……と。
今の私には、彼の言葉が全部全部、嫌な言葉に聞こえてしまうんだ。
『嫁気取りかよ』
『お前ただのニートだろ』
『働けば?』
『猫はお前を護っちゃくれないぞ』
『大した事してないよな』
友隆、友隆、あたし変だよ。
もう何も楽しくない、あなたの膝で眠るその猫も裏切り者じゃん。
ブルブルと肩が震えて、涙が溢れ出る。
「あたし、サイッッッッ……テェー……」
こんな時に慰めてくれる人なんていない。
こんな時に慰めてくれる人なんていない。
だから、生きるのって大変なんだ、大切な人にこそ頼れなくて、大切な人だけに頼りたい。
友隆にだけ頼りたい、友隆だから頼れないんだ……。
私は気の済むまで、頭を掻きむしったり、太ももを殴ったりして自分を痛めつけた。
そして、彼には優しく微笑みかけて目を覚まさせた。
「もう日付変わっちゃったからね、お布団で寝て?」
「……ん、ハイ、おやすみ……」
微睡みつつ立ち上がった彼にスマホを渡して、部屋に入っていくのを私は見送った。