友隆の困難5
俺らは変わりなく仕事に励んだ。
一時間、二時間、体感せずに時計の針が動いていく。
そしてふと、心に隙が出ると考える。
仕事がなかったら、俺らはどうなってだろうか。愛との関係、椚先輩との関係。今の仕事じゃなかったら?『if』の世界を考える。
毎日切羽詰まるような仕事じゃなくて、フリーターだったらさ、もっと周囲の人を気にかけて暮らせたかも知れない。
自分に精一杯じゃなくて、支えてもらうばかりじゃなくて、それなりの暮らしをしていたら。
そんなもん、誰も望んじゃいなかったはず。
いや、違うなそんな話じゃない。
どこにいたって、何をしていたって、余裕のある奴は余裕があるもんだ。
俺が放置したからだよ。
上辺だけ接して、踏み込む事をやめていた。
そのせいで、取り返しのつかない大きな後悔を俺は抱え続けてる。
もうそんな事嫌だって、あの時の愛に手を差し伸べたつもりだった。
なのに付き合ってたはずの俺は?
あの時も、あの時も、回避できた事態があっただろ。
待ってるばかりの優しさなんて、ちっとも伝わってない。
愛はもっと聞いて欲しかったよな。
踏み込んで欲しかったよな。
母ちゃんもそうだったよな……。
「っあて……」
「CCの宛先間違ってんぞ」
何がぶつかったかと思いきや、ホチキスの芯の箱だ。
「こんなもん投げないで下さいよ」
「声かけてんのに、聞こえてねーからだろ」
「あ、やべホントだ」
「BCCも確認しとけよ、ったく……」
椚先輩はそれだけ言うと、もう俺に意識を向けてない。
ーーよく集中出来るよな。
ま、この人昔から逆境に強いタイプっていうか、ここぞと言う時には抜かりねーんだよ。
逆に切羽詰まってないと、ズサンな仕事してほっぽり出したりするけど。
今の俺は取り敢えず椚セーフティにとりあえず甘えとく……と。
宣言通りポカもして、俺は今日集中出来そうにない。
チラと時計を確認すると定時まで後二十分。
ちょっと足りなかったな、俺のメンタル。
こんな日は早上がりして残業調整するんだけどな、今日は帰りづらいよ……。
「帰れば……」
声の主に目をやると、やっぱり椚先輩なわけで。
「なんか有ります?今の俺に出来る事」
「……」
少し悩んだそぶりを見せて、椚先輩はデスクから一枚のショップカードを取り出し俺に手渡す。
そこは俺が飴玉を買ってるデパ地下の中のショップだった。
「ここで菓子折り、三千円くらいの一つ買ってきて」
「のしは?」
「リボンの店だから安心しろ」
「……直帰でいいんですか?」
「俺が直行したいから戻ってきて……」
「分かりました」
完全に時間潰しのお使いだなこれ。ま、今の俺に適任の『お仕事』だよ。
この人が帰りに買う時間の短縮だ。
普段なら絶対受けたりしないが、これもこの人の優しさなんだって今は思うよな。
俺はデスクの清掃をして、戻ったら退勤するだけの状態にしてお使いに出た。
**********
俺は思うことがあって、無言で玄関で靴を脱いだ。
いや、そもそも声を出すのは変だろ。
誰もいねぇって言うのに。
『だだいま』は、『おかえり』と対になっているからな。
ひとりの俺に不要な言葉。
「……」
サリ、サリとドアを掻く影が見える。
「ただいま、シャノ」
そんな事思ってたくせに、こいつが迎えてくれてる事が嬉しくてつい、境目のドアを開けて声をかけてしまった。
それだけ言って俺は自室の部屋にスーツをかけた。
「うお」
ちゃんとドアを閉めてなかったせいで、シャノが出てきてしまっていた。
初めて俺の部屋に入り込んだだろうか。
俺の足を頭突き、喉を鳴らしている。
「腹が減ってるだけなんだろ」
ァ…ァ〜
「先に風呂入ってもいいか?」
そう言いつつ俺が靴下を脱いでいるとフンフンと、鼻を鳴らしている。
俺はイタズラ心が出てしまい、脱いだ靴下をシャノに嗅がせてみる。
「……」
「…………」
いつもの如くバタリと倒れて、喉を鳴らしている。
「なんだ、つまんね」
特に変化がないので俺は靴下をシャノに乗せて風呂場に向かう。
ここにコイツを置き去りにする事になんら抵抗がなくなっていた。というか、色々忘れてただけではある。
風呂から上がり、髪を拭き取りつつ自室に戻ると俺のベット上で丸くなってるシャノがいた。
靴下はその辺に落ちたまま。
俺は打ち捨てられた靴下を無言で回収して、洗濯機に放り込んだ。
「……」
猫が俺の家に入り込んでる。
ベットに乗られたら毛がつきそうじゃん。
でも、もう、そんな事どうだっていいんだよ。
この入り込みすぎた生き物に俺は何とも言えないモヤモヤ感と言うか、ぐちゃぐちゃ感を持たせる。
楽しいような辛いような、この訳の分からねぇ気持ち。
俺はタオルを激しく動かして、髪を一気に拭いた。
それもポイと洗濯機へ投げ込んだ。
俺にとっていらない感情を捨てるかのように。
とにかくコイツの餌をやらないといけない。それは変わらない。
いつものように餌をやろうと、戸棚を見ると引っ掻いたような傷がついている。
「……」
戸棚を触る音に気付いたのか、シャノがドリフト気味にこちらへやってきて大きな声を上げた。
「ここに餌があるって分かってんだもんな」
俺がシャノの顔を見ると、物凄い声を出すんだよ。
拡声器搭載って感じ……こんなちっちゃい身体で凄いもんだ。
あー……爪きらねぇとな。
俺は傷がついた戸棚はもうしょうがないと言うか、さして気にならずにコイツの伸びた爪に気持ちがいった。
餌をいつものように入れてやるとスツールから飛び出たねこじゃらしが目に入る。
「……シャノ」
猫じゃらしが飛び出していた原因は、俺のしまい忘れじゃない。こいつが取り出そうとしてたんだ。
見て覚えたってことか?
シャノ、頭いいんだ。
猫ってそういう生き物なのか?
また、スマホで検索をかける。
こいつが単純な生き物じゃないと、徐々に理解し始めている。
猫は、バカで、知能がなくて、人間の事なんてどうでもいい。
猫は人に懐くんじゃない、家に付くんだ。
俺への要求は命令と一緒。
猫が俺を好きや嫌いという定規で測ったりはしない。
そうじゃないと俺、困るんだわ。
「シャノ」
シャノは餌を貪りながら尻尾を上下させて床に叩きつけている。




