友隆の困難2
朝だ。
目覚ましが鳴る少し前。
そう、少し前にいつも目が覚める。
自室の小窓には遮光カーテンが付いていて、朝なのか判別はつかない。
だからいつも深夜に目覚めたと感じる。
けれども時計の針が刺している時間は朝なんだ。
窓を開け外の明るさに俺はホッとする。
深夜に目覚めるのが怖かった。たまにその恐怖が呼び起こされてしまう。
音の無い世界に取り残されたくないんだよ、母ちゃんみたいに。
「……」
あー今日は最悪の目覚めだ。
色々考えて、納得はしてんだよ。
けれどもストレスが蓄積してる、生活の変化にメンタルが弱ってるな……俺。
「おはよう、シャノ」
……ク
……マァ〜
「顔洗ったら、飯な」
俺が台所で顔をすすいでる間、シャノは足元を8の字に回ったり頭突きをしてみたり、突然倒れたり。
何度踏み付けてしまいそうになった事か……。
だが猫はそういうものだと理解し始めて、行動が分かるようになってきた。
幅の狭い台所では足を踏みださず、すり足を心掛ける。
俺も徐々に猫ファーストの生活だ。
これを怠いとも思わないが、何だかんだ猫を尊重した人間の在り方になっている事が奇妙なんだよな。
キァ〜ァ、ァ、
ク……ク……
餌袋を取り出して、餌皿に運ぶまでの間も危険だ。
無心で餌を出す。
必ず頭が割り込んで来るので、シャノの頭に乗っかり転がった粒を隙間からコロリと入れ直す。
シャノが餌に夢中になってる間に隣の皿を持って、素早く水を取り替える。
「フーーーー」
このひと作業はたまに疲れる。
後は抜かりなくトイレの掃除をすれば、俺の事をやる番が回ってくるんだ。
まだまだ、全自動的にこの一連の作業は出来ないな。
そんな事を考えていると、ふとスツールから猫じゃらしの持ち手が出ている事に気づいた。
時計をチラリと確認するが、今日は少しもたついてるので遊んでやる事は出来そうにない。
俺ははみ出した猫じゃらしになんの疑問も持たずに、ただ押し込める形で中に隠した。
「さて、トイレ掃除な」
視線を向けるとシャノは一生懸命にカリッカリッと餌を噛み締めている。
作業を進めながらも音が可愛い……そんな事を思ってしまう自分に驚きだよな。
「……」
俺は袋の口を閉じて、廊下のゴミ箱へ捨てた。
ふと考えが浮かんで来る。
愛は俺と猫が飼いたかったんだよ。
「……」
俺が今と同じように、シャノに接してたら。
きっと、たぶん変わったと思う。
これは一つの答えだ。
今更、そんな答えを持ち合わせたって遅すぎる事。
けれど、一つの答えに行き着くとまた少し、視界が晴れるような感覚になる。
「俺の中では区切りついちゃったな……」
愛の笑顔が思い起こされる。楽しそうに毎日見せてくれたシャノの動画。
俺もその動画を楽しめたら、もっと幸せだったんだろうな。
「ごめんな、愛、俺ダメな奴だわ……ホント」
シャノという相手がいるから、俺は随分と家でひとりごとを言うようになった気がする。
こいつに聞いてもらって言い訳してるんだよな。
「シャノ、行ってくるからな、悪さすんなよ」
変な顔で見上げんな、そういう顔ってのはわかってるけどさ。
ほんと、変な猫で……可愛いやつだよ。
**********
いつも通りの職場。
何も考えずにただこの時間が過ぎれば良かった。大した野望もなく自分の生活が保障されていれば良いだけのこと。
ただ競争には全力で挑む。かけっこで一番を取りたいと思うように、それが快感だと思えるように俺は日々を過ごしたい。
堕落しないことで後に楽になる。
楽の為に俺は毎日一生懸命だよ。
ねぇ、椚先輩。
あんたもそうでしょ。
俺は職場の上司としての椚先輩の影と、学生時代のただただお人好しで貧乏くじを好んで手にしていた先輩の影を重ねつつこの人の後ろに立つ。
複雑、難解、俺も何とも言えない気持ちなんだよ。
それをわざわざ、こう言う気持ちですって言語化するために考える必要はない。
ただ話しかけたいから、そうするんだ。
俺はチョン、と指先で椚先輩の肩を触れるんだか触れないんだかの力で触った。
「なんだよ、刺す気か?」
「根に持ってるんですか?」
「そら、お前だろ」
「釣り、行きますからね」
「ん、ああ、えぇ……いや、釣り行くの?マジで?」
「……いや、俺もあんま行きたくはないんですけど」
「やめようぜ、今の季節はさ、鳥の産卵期っていうか……」
そういえばこの人、アヒルかなんだかに追われてアザ作ってたっけ……そん時は笑い事だったけど案外鳥って凶暴でさ。
自分が狙われなくて良かったのと……正直クソ笑えたからな。またそうなったら良いって期待もしてたかも。
「そこ川じゃなくて沼じゃありませんでしたっけ?」
「いや、めんどくせーよ釣り。お前車出してくれんのか?」
「……考えてもいませんでした」
「……」
「……」
「……友隆、悪りぃんだけどさ、昼休憩まで待ってくれね?俺今忙しいんだよ」
「……ウス」
その言葉を聞いて俺は速やかに席に戻った。
そうだよ、何だかんだこの人仕事してる時は忙しいんだよな。
いつもはこんな、空気読めない話しかけ方しないのにさ。俺やっぱ今日変かもな。
なんてゆーか、区切りつけたくせに余裕がない。
多分、とっとと片付けたいんだよ。
生ゴミを捨てるのと一緒。待ちに待った可燃ごみの日。
出し忘れちゃいけない、限られた時間の中の事。
俺はカタカタとパソコンで文章をを打って自分の携帯に送る。
そしてその内容を椚先輩の携帯に転送した。
何の意味があるのか無駄な事を俺は今している。
そう、本当に無駄な事。
でも俺はそんな事をしてまでも、この人に縋りたい気持ちが今はある。
メールなら邪魔にもならねぇっていう考えで俺は送信ボタンを押した。
「……」
俺はぐぐっと伸びをして、宙を見上げる。
そして俺の目には椚先輩の見下げた顔が映る。
「ハ…………」
「お前、暇なのか?」
「暇じゃないです、余裕はあります」
椅子に座ったままの俺に上から睨みを効かせるもんだから、何となく椅子のバーを引いて座高をより低くした。
そして目を瞑って口を尖らせてみる。
「っ、いてぇ!!」
椚先輩は俺の顔を思いっきり叩いて、低い声で呟いた。
「くだらねぇメール送ってくんな、俺は今、ナウ忙しい。分かるか?でもテメェに振る仕事もねぇんだわ、昼休憩まで黙ってろ」
「ウス」
「ったく……」
俺と椚先輩の席はかなり近い。
わざわざ席を立って、そんな小言を言いにくるんだ。
なんだ?寝不足か?いい歳こいて情緒不安定か?
俺は椚先輩の普段と違う対応に多少戸惑った。
けれどそれは一瞬の出来事で、デスクに戻ると普通に指示出しをしている。
遠目から見ると明らかだ。
目の下がアライグマかってぐらい真っ黒。
「寝不足かよ…….」
俺がポツリと呟くと椚先輩がこちらを見た気がしてパッと視線を逸らすようにしてしまう。
何がおかしいんだか、俺は。
この人はこの人で、ポーカーフェイスの為にチャランポランして見せている。
何と言うか……自分だけが思い詰めていた、自分だけが大変だとで思っていた気持ちが晴れていく。
きっと、そんな無様な様子をお互いにしか見せてない。
そーゆー信頼関係が俺らの底にはあって、通じてる。
俺は暇を持て余しつつ、経費清算の為の宛名を記入していると俺の名前が聞こえてきた。
「み……富海、富海」
声の元へ視線を向けると、ひとりの先輩が俺に話しかけている。
「関数壊しちゃったんだけど、直し方がわかんねーんだよ……」
ひそひそと俺に助けを求めて来ているようだ。
正直言って、その内容は馬鹿らしい事。確認すれば簡単な事。
俺は視線を合わせて黙り込んだ。
それに対して先輩はすまなそうなジェスチャーを返してくる。
「椚先輩なら、十秒で直してくれますよ」
俺は普通の音量でそう答えた。
間をおかずに自分の名前に反応した椚先輩は、こちらを睨みつけて声を放った。
「お前、何回目だ?!覚えるまで触んな、今も触んな、ほっとけ、あとで確認するから置いとけ、いいな!」
俺はもう、笑いを堪えるのに必死だ。
結構壊れてる、お疲れだこの人。
「椚先輩、俺やっときますよ」
「……」
「関数壊したって聞こえました?」
「聞こえてねぇよ、でもわかるんだかんね!」
「そうっすか……」
俺は今のこの人に構ってもらえて大満足だ。自分でやるとは言っているが、俺が直しておいてやろう。
俺は今どんな表情だろうか。
椚先輩はアライグマだよ、俺はなんだろな。
俺は、俺は凄く今平常心だ。




