椚誠の苦悩15
「じゃ、母さん、くれぐれも愛ちゃんに絡まないように」
「なによぉその言い草は……履歴書は探してなかったらお母さん買いに行けばいいのね?」
「うん、頼んだよ。多分電話の下の引き出し探せばあるんじゃない?母さん使ったやつ…………瑞江さんてまだあの団地に住んでるのかな」
「さぁねぇ、そんなん愛ちゃん聞けばいいじゃないの」
「あ、それ止めて、くれぐれもだよ、母さんくれぐれも」
「……随分口が達者になったもんだねアンタは」
「多分起きるの昼過ぎだと思うけどさ、ちょっと一人にしてあげてよ」
「ちょうどパートから帰ってくるぐらいの時間じゃないかしらね」
「友達と遊んで来いって」
俺はそう言い、母さんに一万円を握らせて靴を履く。
「あ、余ったら返してね」
「パート先のお友達とマッサージ行ってくるわ」
「うん、じゃぁよろしくね。愛ちゃんにはメール入れとくから母さんは気にしないで」
俺は振り返る事もなくさっさと家を出た。
そんな高級取りじゃないんだけどな……姉ちゃん残らなかったら実家で家賃浮かせられたのにさ。
ま、そういう男はモテないだろ。
さっさと自分の城に帰って、今日の支度しねぇとな。
「……」
もーーーなんで俺がこんな苦労せにゃいかんのだ。
若干寝不足のせいで、直ぐに苛立ちが湧き起こる。
原因がそれだと頭の中では分かっているからこそ自制は働くが、辛いもんは辛い。
俺は爽やかであるはずの早朝の空気感に気怠さを感じつつ、駅へと足早に向かった。
なんの気にも留めず、毎日歩いたこの道。
思い出に浸っているような時間はないが、そこここに昔を懐かしむ風景が流れていく。
子供の頃は随分と遠かったはずの駅が、大人になって歩いてみるとあっという間で。
家は駅から歩くという俺の固定概念が覆った。
なんだよ、そんな遠くねぇじゃん。
友達と歩くことで距離が変わる。
彼女と歩くことでも距離が変わる。
距離は変わってないさ、感じる時間が違うからそう思っていた。
昔はもっと大切に歩いていたんだろうな。
ただの道を。
変な感傷があるわけじゃない、何か感じるのはいつもと違う、俺にとって非現実的な相手に触れたからだ。
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ここ、どこだっけ。
あー、目眩がする。飲みすぎたね……凄い怠い。
スマホ……
修学旅行……ちがう、友達ん家、
友隆?
…………あー家出てきたんだわ。
シャノちゃん……顔洗いたい。
スマホ……11時22分だって。
いいふーふじゃん。
「……」
ここ椚先輩ん家?
「……」
やばい、誰か……
あたしは物音を立てないよう、正面の閉められた引き戸をゆっくりと開けた。
何となく見覚えのある居間。
そうだ。
昨日ここで、椚先輩とお酒飲んでたわ。
子供の頃、来た事あるはずなのに、なんか懐かしさがある程は覚えてないや。
あれ、あたしのバックは?
椚先輩は仕事だよね。
人の家を勝手に散策出来ないし、とにかくおばさん、おばさんを探さなきゃ……あとトイレ行きたい。
「おばさん、すいませーん」
「……」
明らかに人の気配がしない。
あたし、この家に一人だ。
多分だけど。
そろりと、居間を抜けて玄関先のトイレへ向かう。
トイレで握りしめていたスマホを確認すると、椚先輩からメールが入っている事に気づいた。
トイレに座ったまま、先輩からのメールの内容を確認する。
『夕方ぐらいまで一人だと思う。母さんにはちょっかい出すなと伝えてあります。冷蔵庫にご飯が用意されてるので食べてあげてね。バック洗面所に置き去りかも。玄関に俺の鍵置いてあるから出かけるんならそれで。後ろ通りのコンビニは潰れてます笑』
「……」
あたしみたいな怪しい女、家に一人にする?
フツー。
……そんな事よりおばさん、あたしの事覚えててくれたの……嬉しかったなぁ。
目が合った時にあたしもハッキリと分かった。
お母さんより優しいお母さんだったもん。
「あたし、なにしてんだろー!!」
「……」
そうだ、叫んでみたって誰もいないよ。
あたしは用を足したので、レバーを引いて廊下に出た。
直ぐにトイレのスリッパを履いて来てしまってる事に気が付き、丁寧にトイレに戻す。
誰も居ないと分かっていても、静かに静かに。
確か、ここがお風呂場。
脱衣所の洗濯機の横にあたしのボストンバックは置いたままになっていた。
ひとまずそれを回収して、居間へと入った。
そろりとテーブルを回り込んで冷蔵庫を静かに開ける。
赤い大皿の正面に『あいちゃん』って張り紙がしてあった。おばさんが書いたのかな……なんか、凄く嬉しい。
ラップの上には封筒も置いてある。
そのまま、テーブルに置いて中身を確認すると、冷えた履歴書。
カサ、と何かまだ音がしたので覗いてみるとポチ袋が入っていた。
取り出して見ると昔のキャラクター物の古ぼけたポチ袋にはお年玉と印刷されている。
「やだ、おばさんたら……貰えないよ、こんなの」
私はそっと、そのままテーブルの上に置いてラップの下に見えるおにぎりやお魚、卵焼きを観察する。
嬉しい、嬉しい。
食べるのが勿体無いほど、凄く……嬉しい。
「ヤバ…….」
また、少し涙が込み上げてくる。
ペチリと自分の頬を打つ。
友隆がよくやってた仕草だ。
ツライなぁ……あたし友隆のこの仕草好きだったよ。
もう真似するのも止めなきゃね。
「……よし!」
私は多少レンジの操作に戸惑いつつも、おばさんが用意してくれたご飯を食べる事にする。
その間履歴書を眺めて、書くことを想像した。
なんか、結構難しいね、ちゃんと調べて書かなくちゃ。
どーゆーとこで働いたらいいかなぁ……お給料もそこそこ欲しいし、でもな、あの会社みたいに……
…………
……
ピー……
椚先輩に相談しよっと。
まずは、ご飯食べちゃってさ、書けるとこ書いとけばいいよね。
ちょっと眩む感じも、ご飯食べれば元気になる気がする。食欲が有るのは良い事だ!!
「アチチ……」
ラップを外すと、徐々に香りが漂ってくる。
……っっすっごい、涎が溢れるわ!
おばさんの料理ってあたしのソウルフードじゃね??
全部温めたのは勿体なかったな……持って帰って……って、そんな先なかったわ。
あたしは気付くとおばさんの料理を撮りまくってた。
上から、横から、角度を変えて、ああ美味しそう。
映えとかマジ幼稚。
尊いってこういう事?あーーーー食べるのもっっっっったいな!!
「…………」
「……」
「…………っ」
「ぅっ…………」
「…………あーーあぁーぅ、あーーー!!」
涙が、涙が、涙が、
おばさんごめんなさい、迷惑かけて、マコにぃちゃんごめんなさい、大人に成りきれなくてごめんなさい。
あたしの事嫌いにならないで、迷惑かけるの辛いです。言われて気付いた、知らないふりしてた、ごめんなさい、ごめんなさい。
マコにぃちゃん……椚先輩に頼らなければ良かった、あたしなんて事しちゃったんだろう。
苦しい、ごめんなさい、あたしホント、サイテー……。
友隆、ごめんね、シャノちゃん、ごめんね。
勝手すぎる、居なくなりたい、もう無理だって……何で友隆のせいにしたの?
あんなに幸せだったのに、なんで分かんなかったの?
恥ずかしい、知られたくなかった。
しばらく会わないうちに、チョロい男の人だってあたし思い上がってたんだよ。
恥ずかしい、ホント、消えたい。
マコにぃはちっとも変わってなかった、女出してどーとでもなるとか、どんだけ汚ねぇんだよあたし。
おばさん、ごめんなさい。
ごめんなさい。
気付くとあたしは、自分をとにかく痛めつけていた。
ーーーーこれで許してくれますか?
お願いします。どうか、お願い。
……これも自分の為でしかないや。
わかってるよ、わかってるから。
でもそうしないと、本当にどうにかなってしまいそうだったからさ、ほんと、あたし、バカ。




