椚誠の苦悩5
『ミドリマチサン、ミドリマチサン、ゴバンマデドウゾ』
やっと呼ばれた……。
病院に着いて一時間と……四十分。
越してきてから来た事のなかった総合病院。
皆、具合が悪そうだよ、私なんかが席に座ってちゃいけないなって感じで。
混み合ってきてから、壁際でずっと立って待ってたんだ。ちょっと後悔するぐらいに待ち時間が長かったね。
病気はね、雨の日にかかるもんだって思ってたの。子供の頃は。
きっと熱を出してお母さんに連れられてきた日が雨だっただけなんだよ。
だから今日みたいな日は、いっぱい病気にかかる人がいてお医者さんは大変なんだって思ってた。
そんな思い込みのせいかな、具合が悪いと思ったのは……いや、子供の時の話でしかないんだけど……結局入り口の検温、35.9度。
どうりで元気なわけだよ。
平熱以下じゃん……レインコートが暑くて体温下がったのかな?
私なにしてるんだろうね。仕事まで休んじゃって。
どういう感じで診察室に入っていいのやら。
「こんにちは、今日はどうされました?」
「えっと、朝は……熱があって簡易検査で陽性でした」
「じゃあ、もう一度検査しますね」
「はい……」
「待合室でお待ちください」
「はい」
考えもまとまらずにいたけれど、マスクをした先生がお兄さんなのかおじさんさのか判別つかないぐらいの速さで外に出されたんだ。
あー恥ずかしい、迷惑だ、私本当に何しにきたんだろ。
正直道中には気が付いてたの……異変がない。元気だって事。
この時、陽性を願ってしまった私に罰が当たりそうだ……
また長い待ち時間になるだろうかと、私は富海君とのやりとりのメールをなんとなく見返していた。
ーーそっけないのって、別に今日ばかりじゃないじゃん。
メール以外でも、いつも要件だけで何か世間話もしたことがほとんどない。
でも、あの日電話くれたよね……。
なんでなんだろ……よくよく考えると仕事の要件だったけど、別に急ぎの事でもなかったし。
毎日同じ空間にいて、やっぱり寂しいかな。
でも、富海君が、椚先輩を注意しているのと同じく私も椚先輩に一言返せたりすると……仲間だなって、なんか誇らしい気持ちになったりもしてた。
そういえば、ある時からなんか仕事の負担が減った気がするんだよね。
誰かが私を助けてくれた気がしてる。
勝手な思い込みかもしれないけれど、仕事の割り振りが少し変わった気がするの。
もしかして、富海君が??
「……」
『ミドリマチサン、どうぞ』
あっ早い……どうだったんだろう……
**********
『なんか今日静かっすねw』
その『w』をやめろ、腹立つなーもう。
課長がいない時に俺がウロウロしていないのがそんなに珍しいかってんだよ……
ありゃ、各々に余裕があるかどうか、状況確認の為にしてるだけであって決してサボってるだけじゃない。
そう、『だけ』じゃないんだ、サボってるというかまぁ、息抜きも込みでな。
逆にパフォーマンスが上がらないんだよ。
ずーーーっと真面目じゃな。
俺ってそういう生き物なわけ。
だいたい切羽詰まってるヤツは、俺の言動にイラつくんだよ。
「な、友隆」
唐突に出てきた自分の名前に視線をチラリとむけてくる。
「……」
「一発目のチェック出したんで、確認してもらえますか?」
「ハーイ」
やっぱ、仕事になるといつもの調子感だよな。私情を持ち込まないのは後輩ながら偉いもんだぜ。
「椚先輩、今いいですか?」
「要件からどうぞ」
「今日緑町さんに行ってもらうつもりだった打ち合わせがあって……」
「場所は?」
「品川のーーーーー」
は?
俺はすぐに課長に電話をした。品川って言ってもな、近くじゃないと間に合わないぞ。
だめだ、携帯には繋がらない。
すかさず友隆が内線番号のメモを差し出してくる。
仕事が出来るなぁお前!感動しちゃうわ。
「案件番号何番ですか?」
「あっ、富海君ごめんね、えっと……」
「課長も持ってると思いますけど、メールでPDF添付して課長にすぐ送ってください」
俺は友隆にバッチリサインを出して、受話器に耳を当て続ける。
『…………どした?なんかあった?』
『一時間二十分後、三時なんですけれど品川でクライアントとの打ち合わせを一件忘れてまして、申し訳ありませんが課長にお願い出来ませんでしょうか』
『資料は?』
俺は、同僚に視線を向けると返事がある。
「今送りました!!!」
『今しがた送信しました。お目通し頂いて、難しいようでしたらクライアントへリスケのお願いを致します』
『ちょっと待ってな……』
ーーーーブツッ
あ、切れた。
「おい、行けない理由を取り敢えず考えろ。緊急なやつな、お相手さんもう向かい始めててもおかしくないからな」
「えっと……嘘でもいいですか?」
「確認しようのないやつな」
とにかく課長の連絡を今は待つしかない。その間に駄目だった時の準備もしておかないとただのスッポカシだ。
無限に長く感じる待ち時間、なのにとても速い。
なるようにしかならないと言っても、焦りを抑え込まないとならない。
「椚先輩!課長からメール入りました!!」
打ち合わせの場所であろう地図に赤い丸が雑についている。これは行ってくれるやつだな。
「建物あってんのか?」
「あ、えっと確認します」
「お前……」
ーーふざけんなよと、言葉が出かかった。今はその時じゃねぇ。
「……はい!ここであってます!」
俺は再び電話をかけた。今度は内線で呼び出しの必要はないだろう。
けれども、課長は電話に出ない。
するとすぐに俺の携帯にメッセージが届いた。
『行ってきます』
俺は安堵に大きなため息が出た。
「あの、申し訳ありませんでした!!」
「……」
「朝、緑町さんに会ったらお願いしようと思ってたんですけど……来なかったので失念してしまって……」
「お前さ、いつも緑町にそんな仕事の振り方してんのか?」
「いや、えーといつもじゃないんですけど、彼女が資料作成したやつで……」
「それは前提条件だろ!メインはお前の仕事で緑町に面倒な部分だけ押し付けてんじゃねぇのか?」
「いや、そんな事は……」
「椚先輩、A-2の会議室、今日は使用されないんでそこでやってください」
友隆だ。涼しい顔してやがる。
気にも留めてない様子で視線はPCにむ向けられていた。
お前のそういうところマジでイラッとするけど、すぐに自分が恥ずかしくなるよ。
「取り敢えず、さっきの中断で立て込んでるからな……」
「あの、ホント、すいませんでした」
「俺に謝んなくていいから、本当に謝んないといけないのが誰か分かったら教えてくれよ」
「はい……」
蚊の鳴くような声だった。一人詰めると、その業務進捗の確認の手間が増える。
プレッシャーは抜け漏れの天敵だ。
今日のそのタスクを考えると、俺でも憂鬱になる。
俺はコーヒーでも飲もうと課を出ようとしたところ、何気なく友隆と目が合った。
「いいものあげますよ」
そう言い、差し出されたのはタバコだった。
「お前すげー嫌なやつだな」
「ハハ……」
俺はありがたくそれを受け取って、喫煙室へと向かった。
まず、喫煙室の備え付けの自販機でコーヒーを買う。
この場所のヤニ臭さを吸ってしまうと、抗う事はできなかった。
俺も随分やめてたのによ、まったく。
ーーーー窓の外から音がしている。
持ち手がベタついたブラインドの紐を引いて、外の景色を見た。
相変わらず、雨が凄い。
緑ちゃん、大丈夫かな……。




