そう、長い一日
俺はコード類を抜いて、周囲を確認する。
食べたゴミの始末もした。飲み残しのないカップも流し台の中。
危険物はなし。
窓際の猫を一瞥し、リビングを出る。
そそくさと、自室で着替えて腕時計を嵌める。
いつもこの瞬間、俺の頭が切り替わる。
早く出る分には何の問題もない、猫を監視する時間は減るが数十分を気にしてもしょうがないのだ。
リビングと玄関を繋ぐドアを確認するが、ちゃんと閉まってる。
閉まってるさ。
磨りガラスの向こうにぼんやりと、影が見える。手を上下に動かして音を出している影。
俺は無意識にドアを開けていた。
猫はパッと離れていく。
「……行ってくるからな、悪さすんなよ」
俺はすぐさま向き直り靴を履き始めたが、またドアを触る音が聞こえる。
「……」
そのまま、玄関を出て鍵をかけた。
外は晴れやか、道を歩けば、珍しくもない猫。
この猫もただの野良猫じゃないらしい。
地域猫っていう、ここにいる事を認められた猫なんだよ。
よく見ると耳の先がちょん切れている。
これも可哀想だな、と思うが仕方ないんだ。
通勤中も、スマホを開けば猫の検索ばかり。
飼い方、飼い方、飼い方。
決めている訳じゃない、今はそれを知る方が良いと思っているだけだ。
また俺はため息をついていた。
そういや朝は巨大なムササビに襲われた気分になったな。
その時は驚いたが、結構面白かったかも。
自分が今、笑ってる気がして困っている。
こういう気持ちを認めたくない……と、構えずに、すんなり受け入れられたら良いのにな。
俺はなんで、そう、抗おうとしてるんだろうか。
**********
右往左往しながらそれでも俺は猫と暮らし、当たり前のように出勤をする。
そうだ、今日も変わらない一日のはずだった。
日々の生活に猫が加わっているだけ、その日々を繰り返していただけだ。
「お疲れ!今週も天気がいいな!」
「……」
「この間の記事の件だけどさ!」
あ、忘れてた報告してねぇ…。
「椚先輩、すいませんその件なんですが」
「おう、愛ちゃんから貰ったからな!!」
…………??は?
「けっこう文量があって、長いバージョン短いバージョンでくれてさ、仕事出来るねぇ!!」
「……ああ、そうすか。」
愛も同じ学校卒だ、ハッキリとした面識もある。でも連絡先まで交換してたんかコイツ……。
「お前らお似合いだったのにな!!」
「……」
俺は息を思いっきり吸って、吐いた。深呼吸には酸素が必要だからな。
「天気の下りですけど……いや、別に何でもないです」
俺の椅子の後ろに寄りかかりながら、コイツは何を考えてそういう発言をするんだ?
「まぁ、今日時間あるか?夜」
「……ねぇよ」
俺は周囲には聞こえないが、コイツには伝わる程度の音量でそう答えた。
「じゃぁ、緑ちゃんは時間ある?」
緑町さんに絡むんじゃねぇ、その気もないくせに適当な事ばっか言いやがって……。
「ありますよ、富海君が行くなら」
俺は目を見開いた。
「っちょ、緑町さん……」
「友隆!これは凄いぞ!行くよな!」
「緑町さん、何で?関係ないじゃない、今のは椚先輩が冗談で言ったって分かるでしょ?」
緑町さんは顎を斜めに上に向けると不機嫌そうに答えた。
「それだって、関係ないじゃないですか……私がどう意思表示するかは勝手です、私が聞かれたんですから」
「ーーもーなに言ってんの!意味が分からないです!」
「俺は行かないんで、緑町さんも行かない、これでいいですね!」
この話は俺とコイツだけで通じてる内容だ。俺も確証はないが嫌な内容だと察した。
正直首を突っ込んで欲しくはないし、何を考えてか、変な正義感のようなものを緑町さんに感じた。
急激に険悪なムードになっているが、発端のコイツは知らん顔というか髪をくるくる弄っている。
周囲の人達も、完全に聞き耳を立てている様子だが、特に声をかけてくるわけではない。
早くこの話を終わらせたいと、口を開こうとした時だ。
「ーーあのさ、さっきから、何なんですか、仕事は?」
割って入った、ひとり。
普段は無口で……こう、仕事もマイペースな同僚。
椚が振り向いた。
その声の主が誰だか分かった途端、コイツは輩のように口をききだした。
「なんだよ、仕事がマイペースのボクちゃんか……わかんない事あったか?速やかに教えてやるからもっかい言ってみ?」
周囲からクスクス声が聞こえる。
もう、この同僚は発言出来ないだろう。
「あのさ、終わってから考える、それで」
そう言うと俺は席を立つ。
これを収束させるには、当事者が消えるしかないだろう。
俺は課を出る前にさっきの同僚の元へ行き、悪かったな、と一言声をかけた。
完全に無視をしているようだったので、肩に手を添えると途端に払い除けられてしまったのだ。
椚先輩に視線をやると、首を傾げて髪をくるくるしていたので俺はとにかく腹が立った。
(テメーのせいだ、クソ……)
俺は指だけでジェスチャーをして、その場を後にする。
「緑ちゃん、勘がいいの?あいつ今元気ねぇんだよ」
「やめましょう、仕事が終わってから考えるで。」
「ハーイ、分かりましたー!」




