戸惑うばかりで
車に乗せた猫は急に症状が出たのだろうか。
聞いたことのない鳴き声に俺は戸惑った。
「ーーーーすぐ着くからな」
眉間に皺が寄り、ギュッとハンドルに力が籠る。
調べた先の最寄りの動物病院に到着すると、俺は籠の猫をそっと大事なもののように扱いながらも足早に受付で説明をした。
「さっきまで変な声でずっと鳴いていたんです!昨日の夜ニンニクを食べてしまいました!……今は……えーと、急に鳴かなくなって……」
必死で訴えかけるも、まずは問診票を書くようにと言われてしまう。
動物病院が人間の病院のようにこんなにもまどろっこしいものだとは思っていなかった。
俺はボールペンを持ち、問診票をイライラしながら書き連ねていると受付の女性がカウンターから出てきて、猫の様子を見てくれる。
「猫ちゃんの様子がおかしくなったのは何時ごろですか?」
「車に乗せてからなので……十五分くらい前です」
「食べちゃいけないもの食べちゃったのは何時頃ですか?」
「昨晩ですが、何時までとは……」
「とにかく、さっきまで、すごい苦しそうに鳴いてました……」
受付の女性は籠の隙間から猫の様子を見て、困った顔をした。
その表情に俺は一層不安が募り、傍目からは泣きそうに見えたのかもしれない。
「取り敢えず、先生に聞いてきますね」
走り書きの問診票を俺から取り上げていなくなったと思ったら、ドアの奥から直ぐに名前が呼ばれた。
「はい、にんにく食べちゃったの?」
「昨晩てぇと、十時間は経ってる?」
「吐いた?血尿は?」
先生がこちらの顔を見たのは一瞬で、猫をモゾモゾ確認しながら質問を矢継ぎ早にしてくる。
猫は丸い目でこちらをじっと見ていて、されるがままに静かだ。
けれども俺を見つめる猫の目には輝きがあり、さっきまでの絶望感は形をひそめる。
数多の質問に預かり知らない事もあり、この猫との経緯をありのまま打ち明けた。
その話を聞き、怪訝な顔で先生は俺の方を見たと思う。
そして処置をするとの事で猫を置き一度退室する事になったが、後ろから『大丈夫』と声が聞こえてきた。
俺はひとり受付の前の椅子で待つ間、スマホで猫の症状を検索する。
何が書かれているのか分からない内容もあったが、様々な記事を読み希望も持てた。
『大丈夫』
そうだ、大丈夫なんだろう。
俺は知らないから、とても恐ろしい事をしてしまったんだと焦っていた。
大丈夫、大丈夫。
冷静になると周囲の状況が見えてきて、犬を抱えた人や、籠に入った生き物をあやしているような人が見えてくる。
来た時には気にならなかった、独特の動物臭さも感じられて自分がここでなにをしているのかと困惑してしまう。
ここにいる自分が場違いで、異物のようなものに感じられたのだ。
「○○さーん」
一時間も経っただろうか、再び診察室へと呼ばれて中へ入ると先生の腕に頭を擦り付けている猫がいて、深いため息が出た。
元気そうに見える。
世話焼かせやがって……まったく……。
それ以上のことはないさ。
先生からの説明を一通り受けて、異常があればまた来るようにとの事だ。
これでようやく帰れると猫の胴体を後ろから鷲掴みにして籠に詰め込もうとしたところ。
先生の手が伸びてきて、猫の抱え方のレクチャーが始まる。
俺はなんだか叱られているような気まずさがあり、気の抜けた返事を繰り返すばかりだった。
そしてお礼を言い、退室しようとドアを開けると後ろから先生の声が聞こえる。
「まぁ、それでよく連れてきたもんだよ」
俺は笑う先生のこの言葉の意味が分からなかったが、ぺこりと会釈をして受付へと戻った。
場所を取らないよう猫の籠を膝の上に乗せて会計を待つ間、最初は何も感じなかったが、籠越しにも猫の温度が伝わってきたのだ。
俺は当たり前の事にも関わらず、この猫も生きているんだと改めて変な覚えを持った。
会計は想定の何倍もの金額で、コンマの位置が違うのではないかと目が飛び出そうになるーーが、ポーカーフェイスで乗り切ったはず。
頭の中で、人間の病院代が十割負担だったとしたら……と計算し、俺はカードの暗証番号を打ち込み終える頃には納得することが出来た。
最後に手渡された、一枚のカード。
診察券だ。
俺の苗字に猫の名前がくっついている。
俺はなんだかマズイ実績を積んでしまったような気持ちと共に変なむず痒さを感じた。
**********
猫を車の助手席に乗せて出発すると、暫くして猫はまた異様な鳴き声を出し始めた。
俺はその声にギクリとして猫を確認しなければと焦ったが、幸い斜向かいにコンビニが見える。
すぐにウィンカーを出して、駐車場へ車を停止したが俺は一瞬、籠の開け方が分からなくなるほどだった。
そんな訳あるかと、すぐに籠のジッパーに辿り着き、猫へと手を伸ばしたらバシリと強く俺の手は払われたのだ。
俺はムッとしたが先生のレクチャーを思い出し、引きずり出すのはやめて外から観察をする。
猫は丸い目を輝かせてけろりとしている。
「なんだよ、驚かせやがって……」
もしかしたら、車に乗るのが嫌いなのかもしれないとまたスマホで検索をかける。
どうもそういった猫は珍しくもなく、動画でもこの猫と同じようなおかしな叫び声を上げる様子を確認出来た。
「なんだよ、驚かせんな……」
俺は同じ言葉を繰り返した。
そして朝からバタバタとして、食事もとっていない事に気付く。
安堵と共に空腹感が込み上げてきたのだろう。
「お前は飯食ったもんな」
そう言い残し、猫の籠の蓋を閉めてコンビニへ入る事にした。
メニューは冷たいコーヒーと温めたチーズバーガー。
チーズバーガーの袋を破くと籠の隙間から、猫の鼻元がヒクヒクと動いている様子が伺える。
俺が興味本位ではみ出た鼻を指で触ると、チロリと舐めてきたのだ。
「……」
俺は備え付けのウェットティッシュで指を拭き再びチーズバーガーへ向き直る。
案外モタモタと食べていた気はするが、そう長居していても仕方がない。
この猫を家に連れて帰らなければならないのだ。
この一仕事が終われば……
直面している問題が解決するわけじゃない。
この猫の処遇は宙ぶらりんのまま。
また重苦しさを感じる。
俺は猫の顔を覗くと、猫も俺の顔を見ている。
「知らないところに連れて行かれるのは嫌だよな」
顔を見つめられると、同調するような言葉が出てくる。
もちろん猫の気持ちがわかるわけでもない。
けれども、悲痛な叫びに聞こえるあの鳴き声を聞いていて俺は何も感じない人間じゃない。
俺はこいつに可哀想な事をしてしまったんだ……もしかしたら最悪の結末を迎えていたかもしれなじゃないか。
あれやこれやと、ジェットコースターのような時間だった。
猫を連れて帰る、それはそれ、これからどうするか、これはこれだ。
「今から家に帰るからな」
鳴き声をあげなくても大丈夫、そう心の中で想い俺は再び車のエンジンをかけた。




