贖い
1982年 インディペンデントシティ インディペンデント警察
サラ警部はアシュリー警視から書類を受け取った。「私は長年勤めているから階級が上がっただけよ。実際はあなたの方が優秀ね。だから署長に頼み込んで捜査権を押し付けさせてもらうわね。」サラはアシュリーの冗談に笑いながら書類を受け取ったが、どこか心配そうな様子が見える。
実際サラが担当している連続殺人事件「マーダーストーム事件」については捜査が進展していない。連続殺人鬼マーダーストームであると思われる人物がいたものの、その人物は他殺体で発見されたのだ。さらにはマーダーストームの犯行だと思われる遺体も発見された。マーダーストームは野放しなのだ。
「さてと・・・ラドクリフ、来て。」サラは最も信頼する部下を連れて検視官アンドリューのもとへ向かう。
「今までの遺体と同じだよ。絞殺されて乳首と眼球を取り除かれている。」「何か変わった点は?」「特にないね。マーダーストームの手にかかった他のご遺体と比べて、という意味だがね。」とアンドリュー。「全ての遺体に共通することだが、この遺体も腐敗があまり進んでいない。犯人は殺したら即座に発見しやすい場所に遺体を捨てているね。」「ええ、自己顕示欲が強いみたいね。気になってはいたけど、犯行時間をごまかすために冷凍などはしていないのよね。」「調べてみたが、その痕跡はないよ。ただね・・・切り取った体の部位についてはどこかで保管しているかもしれないね。恐らくね、犯人は特殊性癖の人間だろうからね。」サラはその推理についてラドクリフにメモに書き留めるように言った。ラドクリフは「犯人は特殊性癖」という事実は分かっていたはずであると疑問に思いながらもそれを書きとめた。
二日後 インディペンデントシティ バー「ホムンクルスの戦場」
カルロスは既に店内でデボン巡査を待っていたようだ。デボンは歩いていき、カルロスの隣に座る。
カルロスは店長にライターと灰皿を要求して煙草を取り出す。デボンは待った。
煙草を吸い終わったカルロスは話し出した。「実はなあ、うちの風俗嬢を殺したのはマーダーストームじゃねえことが分かったんだよ。」「何ですって!?」「犯人はタルコザファミリーの奴らだった。戦争をしないで俺らの売上を低下させる作戦だったみてえだが、奇しくも奴らがサツと組んだことで戦争になっちまったな。」悠長に話すカルロスであったが、デボンには話が呑み込めていない。「つ、つまりその・・・」「タルコザの奴らは俺らの大切な商品を殺害して売上の低下を目論んだんだよ。でもって自分達が血を流さないですむように犯行をマーダーストームにせいにしたのさ。」
納得したデボン。そしてその胸に嫌な予感が押し寄せる。「とすると俺の役割は・・・」「ないな。」と平然と言ってのけるカルロス。「サツはお前を監視してるし、お前に頼んでいたマーダーストームの件も関係ねえことがわかったからな。すまんが幹部会の方針は・・・お前は用済みってことだ。戦争が俺ら有利に集結したらまたヤクを回してもらえると助かるが、それまでは用なしだ。ゆっくり休んでおけよ。」
二日後 インディペンデントシティ 工業地区
ボロボロのアパートの中。一人の男が酒を飲みながらぼんやりとラジオを聞いている。
「皆さん、おはようございます。ジュリアス・ニュースのお時間です!まず一つ目のニュース。最近この街に暗雲をもたらす恐ろしい連続殺人鬼マーダーストームについて、警察広報は速報を発表しました。殺害されていた容疑者ドレイク氏はマーダーストームではないという結論付けたということです。なぜならば・・・新たな遺体が発見されたからです。警察は捜査指揮官をアシュリー警視から署内でも優秀な捜査官との評判があるサラ警部へと交代したということですが、期待の声は薄いです。連邦警察インディペンデント支局長デモンド氏はインディペンデント市警の対応について次のように批判しました・・・」
男は溜息をついて小さくつぶやく。「せめてもの罪滅ぼしだ。俺も調べるか。そうでもしないと気が狂いそうだ。」
この男は過去にサラ警部のボーイフレンドを殺し、逮捕されたバドルという男だ。今は出所しているが、自分が過去に人を殺めたことを深く後悔していた。
無気力そうな男の顔に、覚悟のようなものが宿る。彼は携帯電話を取り出して電話をかけた。電話に出た相手に言う。「俺の出所の話は聞いたろう。足は洗ったんだが、少し手伝って欲しいことがあってな。情報屋を知らんか。」
三日後 インディペンデントシティ ワシントン湾岸地帯
港湾警察の制服を着た一人の男が回りを見回して人がいないことを確認すると、とある倉庫に近づいた。
「カリビアン運送」と書かれたその倉庫は実はラテン系ギャングタルコザ・ファミリーの所有物であった。「カリビアン運送」は表向きには副業として合法の積み荷保管代行事業を行っている運送会社である。しかしその実際には本業である運送事業は行っておらず、倉庫内には爆発物と麻薬の一部を保管していた。
港湾警察官は倉庫の扉を四回ノックした。中から「合言葉」と聞こえてきたので、彼は「黒人に死を!」と叫ぶ。するとシャッターが開いた。
「よお、調子はどうだい?少し顔を出したんだが。それにしても港湾警察の制服は暑苦しいね。」警官はそう言いながら制服の上着と港湾警察のマークが描かれた帽子を地面に脱ぎ捨てた。その下からは何とタルコザ・ファミリー構成員が着るTシャツ。
「あれ・・・おい!」倉庫内に人がいないことに動揺しながら男は倉庫の奥の作業机に進み・・・驚いた声を上げて尻もちをつく。その作業机では三人の男が作業をしていたのだが、三人とも何者かに撃たれていたのだ。頭に弾丸を食らって即死だったようで、血をだらだらと流している。
そのとき、物音がした。男は素早い動きでピストルを引き抜こうとして・・・気絶した。
スタンガンを握ったカルロスは「捕まえたぞ、ホセ・リード。あそこで死んだ奴らはファミリーに忠実じゃなかったぞ。奴らはピストルを突き付けただけであんたのやってくる時間を教えてくれたぜ。」と言い、脇の部下に頷いた。
二人の部下はホセを抱え上げ、倉庫の裏側に停めた車の中に運び込む。
十分後 場所不明 倉庫
「頼む・・・悪かった・・・やめてくれ・・・」懇願するホセに対して冷笑を向けたダスケは電源を入れて十分たったアイロンをホセの顔に押し付けた。「どうだ?気持ちいいか?」そう言うとダスケは大笑いしながらさらに押し付ける。肉の焦げる音がする。「え?いい臭いだろ?カルロス、あんたもやってみな。」そう言われたカルロスはナイフを取り出し、ホセのズボンとパンツを切り裂いた。「あんたは十分女とヤッたろ?使えなくしてやるよ。」「待て!ファミリーの・・命令だったんだ!」「ほおう、そうかい。そんなことは分かってるんだよクソ野郎!」カルロスは怒鳴りながら押しつぶさんばかりに股間にアイロンを押し付けた。
「満足したら俺に言えよ。カルロス。次には硫酸を用意してある。あんたの依頼通り簡単には死なせねえよ。」と呑気に煙草を吸いながらダスケが恐ろしいことを言う。
翌日 インディペンデントシティ ゴールドストリート リングビン探偵事務所
「グッチ―の紹介で会った奴の中で唯一俺が名前を知らんのがあんただ。不思議な奴だ。なにもんだ?」と依頼人を詰問するリングビン。「ああ・・・俺は裏社会にはそこまで入り込んでねえのです。グッチの野郎に誘われて一回だけ強盗しやした。今は足洗ってます。」「おいリングビン、泥棒のクリスを覚えてるか?あいつのダチだよ。」と故買屋で元強盗のグッチが口添えする。「ああ・・そうだっか。すまねえな。で、要件は何だい?」リングビンがそう切り出すとグッチはそっと退室する。
「実は・・・マーダーストームを追っています。」そのようなバドルの返答に対してリングビンは明らかに困惑している。「どういうことだ?おまえさん、サツの人間か?前科者はサツになれるの・・・」「贖いです。」バドルはリングビンの言葉を遮って答える。「グッチと強盗に参加した時、家の住人に青年を撃ち殺したんです。グッチはそのようなやり方を禁止していましたが、見つかってしまって動転して・・・」だがリングビンは冷淡に遮る。「お前さんの動機など、正直どうでもいい。だが料金は払ってくれるんだろうな?」「え、ええ・・・」「前科者だぞ。しかも足を洗ったときている。俺の提示する料金はお前が仕事を増やさないと払えんぞ。」「はい・・・合法な仕事を複数掛け持ちして払います!」「ふうん、真面目な奴だな。グッチに肩代わりしてもらえよ。」「しかし・・・彼はかつての仲間とはいえ違法な仕事で・・・」「ああ、うるさい奴だ。もういい、いくつか情報があるから今財布の中にある全ての金。それからお前が腕に付けている時計もいただくぞ。前金としてな。」
「マーダーストームの正体だが、結論から言うと分かっていない。おっとっと。落ち込むのは早いぞ。だが俺は巷で噂のビデオ屋殺しの犯人がマーダーストームだっていうことは分かっとるよ。ビデオ屋はピンクビデオとか殺人ビデオとか違法なものを売りさばいていた。そのビデオの中には恐らくマーダーストームの殺人を行う様子のビデオもあったんだろう。ビデオ屋は何らかの方法でその映像を入手し、ビデオとして発売しようとしていたのさ。だがマーダーストームの姿がそのビデオにはうつりこんでいるわけだ。マーダーストームは慌てただろう。闇市場で出回るものとは言え、マーダーストーム事件の犯人に繋がる情報が広く知れ渡ってしまう。だからマーダーストームはビデオ屋を殺したんだろうさ。口封じにね。サツの機密情報だがね、実は殺人犯はビデオ屋の持つ映像フォルダを削除した疑いがあるのさ。マーダーストームを追うならビデオ屋殺人事件からたどるといいぜ。」
翌日 インディペンデントシティ インディペンデント警察
「なんですって!?まさか・・・・」ラドクリフ巡査はサラの推理を聞いて仰天している。「ラドクリフ、落ち着いてちょうだい。これはあくまでも仮説だから。それに証拠が乏しいわ。これしかないもの。」とサラは一枚の紙きれをラドクリフに示した。「ええ、そうですね・・・しかし言われてみれば・・・」「ええ、少し怪しいでしょ。でも先ほど言ったように証拠が乏しいわね。」「そうですね。では証拠を固めるしか。」「そうよ!ラドクリフ。私もこの推理を信じたくないんだけど・・・だから精査して私の思い込みだったと分かればね・・・だからこそ証拠を積み上げるのよ。」「ええ、ここからは隠密捜査になりそうですね。」とラドクリフ巡査は答える。
こうしてマーダーストーム事件の捜査はいよいよ佳境に入った。