消された動画
1982年 インディペンデントシティ サウスインディペンデントシティ
サラ警部はパトカーから下りるとてきぱきと指示を飛ばす。「ラドクリフとケイリーは私の後についてきてちょうだい。パイクとタイソンは裏口をお願い。管理人さんには許可を取っているわ。スーザは待機していなさい。車を動かしてもらうかもしれないから。」
サラはラドクリフとケイリーに頷き、階段を上り始める。「私が最初に入るわ。あなた達はピストルの撃鉄を起こしていなさい。」指示を受けた二人は無言でピストルを取り出す。
サラはインターホンを押した。だが数秒間っても返事がない。「すみません、ドレイクさんですよね?警察よ。あなたはある殺人事件の重要参考人とされているわ。話を聞かせて下さい。ドレイクさん、いらっしゃるんでしょ?あなたがお勤めのコンラッド物流さんに聞いたわよ。無断欠勤しているそうじゃないの。出てきてちょうだい!令状もあるわ。ほら!」インターホンに令状をかざして見せる。「出てきてちょうだい!」しかし中からは物音一つもしない。サラは溜息をつきながら部下二人を振り返る。「入るわよ。」そう言ったサラの声には緊張が感じられる。
ピストルを抜きながらドアノブに手を掛けたサラは眉をひそめた。「鍵がかかっていないわ。」警戒心を強める三人の警官。ピストルを前方に向けながら戸を蹴り開けるサラ。「申し訳ありません、ドレイクさん。令状がある以上強制捜査・・・」てきぱきとした口調でそう言ったサラの声が止まる。「どうしましたか、警部?」とラドクリフ。「見て頂戴・・・」サラは動揺した声で前方を指さす。「何と!」のぞき込んだ部下二人は絶句した。
破れかけたボロボロのソファの上にドレイク、すなわち「ビデオ屋デューク」が座っていた。だがその肌は白く、眼は濁っている。そして腹には大きな傷とそこから滴る血。そう、彼は死んでいたのだ。
30分後
「予想外でしたよ。まだ鑑識が遺体の状況を見ている最中ですが、一見したところ他殺に見えましたね。腹をナイフで抉られたようです。あ、いいえ、跡から見るに恐らく一気に抉ったんでしょう。複数回に分けて刺した感じではありません。」サラは上司のアシュリーに報告する。アシュリーも動揺しているようだ。「デュークは亡くなったのね。マーダーストーム事件と関連性はありそうかしら。」サラは考え込み、少したってから結論を言う。「正直、分かりません。ただビデオ屋デュークは裏社会で生きていたので何らかのトラブルで裏社会の住人に殺された可能性もあります。場合によるとまたバートンに協力してもらうことになるかもしれません。」「ええ。そうね。裏社会がらみの事件の可能性もあるわね。」「そうですね。可能性は低いですが、彼の表社会におけるトラブルの可能性も鑑みてコンラッド物流での同僚な上司にも話を聞いてきますわ。」「そうね、あらゆる可能性を調べて頂戴。」
鑑識係の一人の青年が「何だこれ?」と言って数本の金髪をポリ袋にしまった。明らかに被害者のものではない髪の毛だ。
二日後 インディペンデントシティ セント・ロイス地区
ハイチ人ギャング「デッド・ボーイズ」の幹部達が警戒心たっぷりの表情で睨みつける中二人の黒人ギャングが入って来た。大柄で鼻ピアスをつけた初老の男と彼の後ろに従う巨体でサングラスをかけたスキンヘッドの大男。初老の男が幹部達と向い合せの位置にある椅子に座り、大男がその椅子の後ろに仁王立ちする。
「何の用だ?あんたらも知っている通り今我々は警察とタルコザの対処で忙しいんだ。手短にすませてくれよ。」と最年長の老幹部が言うと椅子に座った初老の男が話し始めた。
「今日はな、まさにその話で来たんだよ。」幹部達は顔を見合わせる。興味深げに一人の幹部が身を乗り出して続きを促す。「そうか・・続けろ。」すると謎めいた薄笑いを浮かべた男が話を続けた。「あんたらも知っての通り俺たちスライサーズ支部もタルコザファミリーには手を焼いてる。奴らはヤクを使って黒人街に侵攻してきている。」「ああ、そうだな。あんたらと同じ侵略者だよ。」厭味ったらしい口調で最年少の幹部が言うと、隣に座る太った幹部がたしなめる。「やめろ、カルロス。最後まで話を聞け。」「へい、すみません。」と不服そうに頷いたカルロスに対し、話していた男が言う。「気になさるな。確かにあなた方と我々はずっと憎み合ってきた。我々スライサーズがこの地に支部を作って来た時からね。まああなた方を迫害してきた『インディペンデント・メンズ』出身者が我々の傘下に入ってしまったから仕方ありません。一方でスライサーズ本部もあなた方、いえアメリカ中のハイチ人を敵視してきた。認めましょう。フランス語を話すあなた方を、英語を話す我々は怖がっていたのです。ですがね、今は黒人同士敵対している場合じゃないでしょう。インディペンデントシティではあろうことかサツと南米人が手を組んで黒人街に侵略しようとしている。我々は同じ黒人として共通の敵に対処しなければなりません。」「ふうん。なるほどな。黒人街にはあなた方の拠点もありますからな。ですがね、昨日まであんたがたは私たちを下に見ていましたね、フランス野郎だとね。で、今になって手のひら返しですか。南米人から自分達の利益を守るために我々を利用する気でしょう?」男は黙ってそれを聞き、にやりと笑う。「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。確かに南米人から我々の利益を守ることがスライサーズ参戦の理由の一つです。しかしながらですよ。同じ黒人街にいながらにしてスライサーズとあなた方デッド・ボーイズが手を組まないというのは不合理です。各々が南米人とサツの連合軍に対処しようとすれば奴らは元々から存在する我々の対立を利用して黒人街に食い込んでくるでしょう。分断は奴らの思うつぼですよ。」「ああ。そうだな。」とデッド・ボーイズの最長老幹部が言う。「黒人街を一緒に守りましょう。」とその幹部が言う。「同盟成立ですね。」満足気に言ったスライサーズの支部長は立ち上がり、デッド・ボーイズの最高幹部と握手した。
翌日 インディペンデントシティ リバティ地区倉庫群
灰色のプレハブ小屋の中で二人の男がデスクワークをしている。一人は金髪のモヒカン男。もう一人は細身で無精ひげを生やした男だ。
「あんたを雇用してから売上が好調だぜ!」コーラを飲みながらモヒカンが無精ひげに一枚の書類を見せる。「貸倉庫使用率」と書かれた紙には、彼らが管理人として管理する貸倉庫のうちどれくらいが利用されているかが書かれていた。無精ひげの男は嬉しそうにそれを見ると「あんたの役に立てて嬉しいよ。」と言って「安全性チェックリスト」と書かれた紙の記入に戻る。
その時、部屋の端の壁にある電話が鳴る。「俺が出よう。」とモヒカンが言い、電話を取る。「もしもし、ライアント貸倉庫管第五区画管理事務室です。」すると電話の向こうから少し高めの男の声がする。なにやら慌てているようだ。「おいおい、あんた、殺しをやったのか!?」するとモヒカンは少し焦った様子で言う。「ここは事務所だ。その・・・個人的な話なら午後7時以降俺のアパートにかけてきてくれ。」「とにかく今朝ニュースを聞いて驚いたよ。とにかくだ、殺しはマズいぞ。私は殺し屋を雇ったんじゃないぞ。ただ・・・秘密を手に入れてくれと言っただけだよ。」「おいおい・・・俺じゃない。」「何がだ!?殺しがか?」「そうだよ!とにかく夜話そう。」今や冷や汗を浮かべたモヒカン男は相棒の様子を伺いながら応答していた。「おい、今事務所はお前一人だろう?」「いや。相棒がいるよ。」その言葉で細身の男が顔を上げ、ほほ笑む。それをみたモヒカンはさらに慌てた様子を見せた。「雇ったんだよ!」「ほう、そうかい。じゃあ今夜きちんと説明してもらうぞ。」「分かったよ。」そう言って電話を切ったモヒカンは唐突に「少し煙草休憩してくるよ。」と言ってプレハブ小屋の外に出た。
「あいつ・・・様子が変だな。」プレハブ小屋に残った無精ひげがいぶかしそうな顔をして考え込む。「あいつのことだからな・・・何かに巻き込まれてなければいいけど。」
三日後 インディペンデントシティ 警察署
鑑識課長のロイドが「こちら遺留品です。」と案内した先には、「デューク」の部屋から没収された物や物的証拠になり得るものを集めた大きなプラスチック製のテーブルがある。サラは「進展があったと聞きました。是非教えてください。」と言う。頷いたロイドは早速報告を始めた。
「結論から言いますとね、奴のパソコンから興味深いデータが発見されたんですよ。」そう言ってロイドはUSBをパソコンに差し込み、入っている動画フォルダを開く。「何よこれ・・・」サラは呆れたように動画フォルダに並ぶファイルを眺めた。おぞましい動画が多い。裸になった未成年の少女を移した動画、逆さまに吊るし上げられた男が鉄製のバッドで殴られ、バーナーで舌を焼かれる動画・・・
「全て奴の違法ビデオ素材だと思われます。と言いますのもね、昨年風俗安全課が逮捕したわいせつ社長の自宅から押収された違法ポルノビデオの中にこの動画と全く同じものがあったんですよ。この動画です。当時ニュース映像で一部にモザイク加工された状態で頻繁に流れていましたから、覚えていらっしゃるでしょう?」ロイドが指し示したファイルは二人の男が一人の少女に強姦をするという痛ましい動画だ。「他の動画についても、タイトルが付けられていて作成済みまたは作成予定の動画だと思われます、実際、部屋の中からはいくつかのカセットが見つかっていて複数枚の内容はこれらのファイルの内容と一致したんですよ。」「なるほどね・・・でもこれは予想とおりね。デュークが違法ビデオの売人であるからには不思議なことじゃないわ。」「ええ・・・ですがね、こいつらを分析して二つほどわかったことがあります。」「何かしら?」とサラは続きを促す。「このフォルダには本来もう5つファイルが入っていたと思われます。しかしそのうち3つが被害者の推定死亡時刻周辺に、もう2つがその五時間後に消されています。」「それは不可解ね・・・なぜ五時間後なのかしら?確実に死亡推定後にファイルを消した人物はデューク以外だけど、その人物が犯人であると仮定した場合犯人の行動に疑問を感じざるを得ないわね。」「だろう?なぜ殺害した時点でファイルを操作しなかったのか・・・で、ここからがそれに関わる進展だよ。」「その理由が分かったの?」「いや、でもそれを聞くべき人物候補がいる。」そう言ってロイドは机の上から金髪の入ったポリ袋を取る。「私の部下が見つけた物です。そしてアンドリュー検視官が被害者の体表を検査した結果見つかった数本の髪の毛とも一致している。」「犯人のものなのね?」「そうです。そしてDNA検査の結果、こいつと一致した。」そう言ってロイドは一つの写真をサラに手渡す。「警察庁および司法省のデータベースの中にありましたよ。コソ泥野郎の前科者です。」
ロイドが手渡した写真には逮捕時のその人物の写真が写っている。金髪のモヒカン青年だ。「さらに興味深いことにこいつは・・・サラ警部、あなたの夫になったかもしれない男性を殺害した強盗野郎の友人としても知られています。組んで窃盗を行ったこともあったようですよ。」
翌日 インディペンデントシティ バー「ホムンクルスの戦場」
デボン巡査がバーに入ると店主が声をかけてきた。「呼び出してすまんな。あんたに会いたいと言う方がいたからな。」そう言って店主が指さしたのは隅にある机だ。そこにこのバーで唯一の白人客がいた。鍵鼻で赤ら顔、そしてビール腹の小柄な男だ。彼は今、そわそわした様子でコーヒーをせわしなく口に運んでいる。「おい、ラングリッドさんよ、デボンが来たぜ。」すると男は体をのけぞらせ、姿勢を正した。緊張しているようだ。
「で、俺を呼び出したのはあんただな?要件を聞こう。」とデボンが言うと男は「ああ、よろしく・・」とぎこちなく頷いた後に話し始めた。
「私はカルロスの顧問弁護士のラングリッドという者だ。実はな・・・その・・・」「何だ?言ってみてくれ。」「カルロスが昨日の夜逮捕された。」「何だと!?」「やはり知らされていなかったか・・・カルロスはな、複数の風俗店のオーナー同士の会合に顔を出した。あんたの署の組織犯罪取締課が動いたんだ。奴らは以前カルロスが出資する女子孤児院の捜査に入り、院長を含む全職員を人身売買の容疑で逮捕した。カルロス主催の会合に集まった風俗店オーナーはいずれもその孤児院から少女を・・・その・・・仕入れていたんだ。」「なるほどな。で、そのことは組織犯罪取締課の奴らにカルロス逮捕の契機を与えてしまったというわけだ。」「あ、ああ・・・そういうことだ。話が・・・早くて、助かるよ。」ラングリッドはハンカチで汗を拭いた。カルロスは何故この男を弁護士として雇ったのだろうか。
デボンがこの白人弁護士がわざわざ黒人ギャングのバーを訪れた理由が分かったため、本題に入った。「で、カルロスは俺にどうしろと?」「ああ。まずあんたは・・・第一の約束・・・これはマーダーストームの身柄の引き渡し・・・については考えなくてよいということだ。」「ああ。助かる。新聞やテレビを見りゃ分かるがマーダーストーム事件については現在容疑者死亡の状態だ。」「あ、ああ・・・カルロスもそれは把握している。だが君には代わりに新しい依頼がある。」「何だ?」「カルロスの・・・釈放を当局に働きかけることだ。」それをきいたデボンは溜息をついた。「難しいぞ。俺は一介の巡査に過ぎないし、デッド・ボーイズに戦争を仕掛けてきている黒幕のワトスン副署長は俺とデッド・ボーイズ間の繋がりを知っている。俺ははたらきかけることができる程の力は無いしな。そしてな・・・俺は麻薬取締課だ。カルロスを幽閉している奴らは組織犯罪取締課だ。俺は奴らとは何の繋がりもないんだぞ。」「ああ、だが、た、頼れるサツがあんたしかいないんだよ。」「サツはな。」と笑顔でデボン。「だが俺よりも影響力がある友人を紹介できる。俺が窃盗課にいたときの上司で今は情報屋をしているがな。リングビン、裏社会の人間の弁護士のあんたなら一度は名前を聞いたことくらいあるだろう?奴ならワトスンと親しいし、組織犯罪取締課は奴に頼り切りだという噂もあるぜ。」
八日後 インディペンデントシティ リバティ地区倉庫群
ドンドンと戸を叩いて「警察です!」と言う声がした途端、モヒカン男がのけぞり、無精ひげの男は不安そうな顔をして戸口を見つめる。数秒間の無言の後、モヒカン男が「どうされましたか?」と尋ねる。
サラは唾を飲み込んで答える。「とある殺人事件に関して、そちらにいらっしゃるクリス・ギャンディルさんにいくつかお聞きしたいことがあるのですが?」
「どういうことだよ、クリス?」無精ひげの男が問いただそうとするがクリスは「多分勘違いか何かだよ、バドル。」と冷や汗を流しながら言うだけであった。
「令状は持参していませんが、対応次第ではしかるべき措置を・・・」とラドクリフ巡査が言いかけた時、戸が開いてクリスが出てきた。青ざめた顔だ。「何の御用でしょうか?」
サラはクリスの目の前まで近づいて圧力をかけながらきっぱりと言う。「場所を変えてお話させていただくことはできますかね?」
10分後 インディペンデントシティ インディペンデント警察署
「さてと・・・単刀直入に言うわ。あなたの髪の毛が殺されたドレイク・ボージャン、通称『ビデオ屋デューク』の部屋にあったのは何故かしらね?」クリスは青ざめた顔をしていたが何も答えず、俯いている。サラは容赦なく容疑者を追い詰める。「冒頭でラドクリフ巡査が説明したように、あなたには黙秘権があるわ。だけどね、あなたが黙秘を貫くのであればこちらとしては・・・・その黙秘に対してしかるべき解釈をさせてもらうわよ。」それに対して、クリスは何の反応を示さず俯いたままである。サラは溜息をついた。「分かったわよ。その話はしたくないようね。じゃああなたじゃなくて私の話をしましょう。私はね、昔ボーイフレンドを強盗に殺されてしまったことがあるのよ。彼の遺伝子が入った子が私のお腹の中にいた幸せの絶頂期だったときのことよ。」「・・・・」「ところであなた、その強盗の名前分かるかしら?」サラがその質問を発したとき、クリスはサラの顔をまじまじと見た。
とある記憶がクリスの中に蘇って来た。法廷で尋問を受けている友人の少年バドル。悔恨の涙をその顔が流れている。それを傍聴席から見守るクリス。そして向かい側の傍聴席から殺気を放つ怒りの目でバドルを睨みつける女。手には殺されたボーイフレンドの顔写真。
そしてその女の顔が目の前に座っている警察官の顔に重なる。バドルが殺した男のガールフレンドはこの警官だったのか・・・・
「ちょっと待って下さい!」突然クリスが叫んだ。「奴は今は更生しています。あなたのボーイフレンドを殺したことを深く後悔し、反省し、今は俺の部下であり相棒だ。だけど奴はドレイク事件と何ら関わりはありませんよ!」「あら?どうしてそう言い切れるのかしら?」「何故なら・・・クソ・・・俺がその事件について知っている当事者だからだ。」