8.正解の屋根裏部屋は
「おや。ダミアンさまにハーヴェイさま。エリカさままでお揃いで」
ポール・スチュワードはジュリアンの背後にいたカレイジャス家の次世代たちへも恭しく挨拶をする。
「おまえがここをジャスミンに教えたのか」
「ゴールは目前ですよ閣下」
家令のこの態度は慇懃無礼というものではなかろうかとジュリアンは思った。
ジュリアンはポールの主であるが、同時に幼馴染みでもある。気の置けない関係であるせいか、今のように主の質問に対し明確な返答をしなかったりする。
そんな態度を不敬と捉え罰することもできるが、したことはない。
ジュリアンはそこまで非情ではないし、ポールがきちんと弁え人前では完璧な家令としての態度をみせるからその必要がないのだ。
ジュリアンは眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔のまま、家令をひと睨みしたあと小屋の片隅へ足を向けた。そこは机や棚があり森番が掃除用具などを収納している場所。
こんなに天井が低かったのかとジュリアンはひとりごちた。
背の高い彼が手を伸ばせば天井に指先が届く。子どものころはまだ背が低かったせいか、天井が遠かったものだが。
「ポール。ここは森番の管理室だと俺は聞いていたのだが……もともとは父上のものだったのか?」
ジュリアンが部屋の隅で邪魔になる什器などをどかす作業をしていると、そのうしろでダミアンが家令に尋ねていた。
「はい。現在は森番の管理室兼物置小屋として使われておりますが、まだ閣下が今のダミアンさまよりももっともっと幼いころ、ご両親に野営がしてみたいと強請られたおり、前公爵閣下がこのような森小屋をご用意してくださいました。幼いころの閣下はこの小屋のなかにテントを張ったりして楽しんでいらっしゃいましたよ」
「ポール! おまえも一緒に楽しんでいただろう⁈」
幼児のころの話を子どもたちに聞かせるなんてとジュリアンは目くじらを立てたが、ポールは主の恫喝などそよ風程度にしか感じていないようだ。
「あのころは私も若うございました。閣下のお目付け役として寝食をともにしましたとも。……懐かしい話でございます」
「父上は、なにをしているのですか?」
ハーヴェイが不思議そうな声を出したが、ジュリアンはそれには応えなかった。
部屋の隅の什器を撤去した場所に立つと、天井に手を伸ばしある一点に触れた。すると、巧妙に隠されていた取っ手が出現。それを下ろすと天井の一角がパタンと開いた。畳まれた状態の梯子とともに。
「あ、そこから梯子を使って二階部分……屋根裏部屋へ行けるということですか」
ダミアンが感心したような声を出した。
「外観より天井が低いと思っていたけど、こういう造りかぁ」
「なんせ、五、六歳の子ども向けに造られた小屋ですので」
ジュリアンが畳まれた状態の梯子を引きずり下ろしている横で、子どもたちとポールの呑気な会話が続いていた。
「思っていたより埃っぽくないのは誰かが来た証ね」
エリカの冷静な声にジュリアンもやはりなと思った。
ジュリアンはこの森小屋に何年も……それこそ二十年以上も足を踏み入れていない。森番の物置小屋として使ってもいいかと打診されたとき難色を示したが、みだりに内部を変えないことや屋根裏部分への立ち入りを禁止することで許可を出した。
そもそも、隠した梯子に上らなければ屋根裏への入室は不可能。
二十年以上だれも来ない屋根裏部屋は埃塗れになっていると考える方が妥当である。
そんな場所の唯一の入室経路を開いたというのに、埃ひとつ落ちてこなかったわけはエリカの推測したとおりだれかがこの屋根裏部屋に出入りしたのだ。
だれが? おそらくそれは、今回の【ゲーム】を用意したジャスミン。
手配させたクリスティアナも、もしかしたら……。
森小屋の屋根裏部屋はさらに天井が低かった。
間違いなく屋根の裏側であることがよくわかる、斜めの天井。背の高いジュリアンは、少し屈まなければ立っていられない。
ジュリアンが幼いころに持ち込んだ宝箱や冒険小説などが棚に飾られている。
そして奥の方に等身大の大きな板状のものが、埃避けの白い布地を纏った状態で立てかけられていた。
ジュリアンはゆっくりとその白い布地へ足を進めた。
ここに……これが、【屋根裏のクリスティアナ】だ。これ以外、考えられなかった。
「わぁ天井ひくいっ」
「あら思っていたよりキレイね」
「……? 暗くないって変じゃない?」
「お待ちしておりました」
ジュリアンに続き子どもたちがわいのわいの言いながら屋根裏部屋に上ってきたとき、部屋の隅にあった椅子に座っている人物から声がかけられた。
彼女の足元に置かれたランプから柔らかなオレンジ色の灯りがもたらされる。
「天井が低いゆえに、座ったままでいることをお許しくださいませ」
そう涼やかな声で話しかけたのはジャスミンだった。
クリスティアナの専属侍女にして彼女の腹心。
まっすぐにお目当ての物へ近づいていたジュリアンは、彼女の存在に気がつかなかった。
「ジャスミン! ここがゴールってことは……」
「はい。あちらの布地で覆われたものがお探しの品となります」
それを目の前にしたジュリアンは触れることを躊躇していた。
気恥ずかしい、青春時代を思い出してしまったのだ。それを一生懸命描き上げたこと。それを前にして独り言をたくさん述べたこと。あのころを思い出すと、一緒に忸怩たる思いまで押し寄せてくるのだ。
「これ、なんなの?」
ジュリアンの逡巡と過去の思い出など知らないエリカが、覆われていた布を無造作にはずした。
「あ」
ジュリアンは待てと言いたかったが言えなかった。
「まぁ……」
「「わぁ……」」
布を取り去ったエリカも双子たちも感嘆の声をひとこと出したきり、絶句した。
そこに現れたのは、若き日のクリスティアナの肖像画であった。
白いドレス姿のそれは、彼女が十六歳のときのデビュタントボールで着た衣装。
柔らかな微笑みをたたえ、見る人を魅了するうつくしい瞳をこちらに向けている。
奇跡的に保存状態のよいそれは、瑞々しいまでの若さとうつくしさを誇る伯爵令嬢クリスティアナ・ブリスベンの在りし日の姿を克明にそして精巧に写し取ったものだった。
「きれい……」
ぽつりとエリカが呟いた。
「この絵、姉さまそっくりだけど母上だよね。瞳の色が違うもん」
「うん。姉さまみたいだけど、微妙に違う。姉さまはこんな風にお淑やかに微笑まない」
「いまの暴言はダン? それともハヴ?」
「もちろん、俺じゃないよ姉上」
「もちろん、僕のわけないよ姉上」
「あんたたち……あとで覚えてらっしゃい」
「「こわーいねえさまこわーい」」
「声を揃えるな!」
エリカが弟たちを一喝したあと、気を取り直したようにため息をひとつ吐いた。そして意を決したようにジュリアンへ顔を向けた。
「もしかしてもしかすると、ですが……この絵を描いたのはお父さまですか?」
「ご明察にございます」
返答したのは、いつの間にか上ってきていたポールだった。
「あれは、閣下がまだ二十歳をちょっと過ぎたくらいのころでしたか。ある日突然、画材を用意するよう言われました――」
ある日の夜会で、社交界デビューしたばかりの初々しいクリスティアナ・ブリスベン嬢を見かけたジュリアンは恋に落ちたのだ。
一目惚れだった。
思いの丈を綴るように、恋した令嬢の姿を絵に写し取った。
毎日毎日その絵を前に、どう話しかけようかどのような態度でいたらいいのか、練習したり拝んだりウロウロしたりするジュリアンの姿を、ポールたち側近は微笑ましく見守っていた。
たまに、アドバイスもしたりした。
前公爵にブリスベン伯爵家への婚約の申し込みをするよう頼みこんだ。
願いは叶えられ、クリスティアナ嬢との婚約が調った。
それらすべての事情をクリスティアナ本人に知られるのが気恥ずかしくて、この屋根裏部屋へ隠したのだった。
「え。たった一度見ただけの記憶を頼りにこの絵を描いたのですか。すごくじょうずですわ。お父さま、絵の才もおありでしたのね」
そんなことまったく存じませんでしたがと、エリカが呟いた。
「うん。……それになんか……この絵から描き手の愛情を感じる……」
「あ、わかる。なんか解るよそれ……父上は本当に母上を愛していたんだ……」
絵を見ながら呆然としたようすで呟く双子のことばに、ジュリアンは恥ずかしくて堪らなかった。
青春時代のアレコレを子どもに知られるなんて、恥ずかしいことこのうえない。
「でも無意味ですわね。お母さまはそんなことご存じないまま逝ってしまいましたもの」