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4.「これ、だれ?」(エリカ視点)

 


 エリカ・ドレイクは生まれて初めてという困惑の中にいた。

 いや。彼女の弟たち、ダミアン・カレイジャスとハーヴェイ・カレイジャスも。


 母の葬儀の間中、父であるカレイジャス公爵閣下が妻の棺に縋り付き、人目もはばからず泣き崩れていたのだ。

 エリカはそんな実父の姿が奇異に見えて仕方がなかった。


 これ、だれ?


 そんな気持ちで自分の隣に並んで座っていた双子の弟たちを見れば、彼らも顔色を悪くして姉と同意見だと言いたげであった。


 エリカたちの父は……良く言えば『仕事がすべて』な人間。

 悪く言えば『家庭を顧みない』人だと認識していた。


 元老院議員に席を置き、外務大臣も兼任。

 同時に広大なカレイジャス公爵領の領地経営も滞りなくこなしていた。

 彼の日常は多忙を極め、家族といえど年に数度しか会ったことがなかった。

 おとなになったエリカが嫁ぎ、現在は次期ドレイク侯爵夫人として社交をこなす過程で、実父の話題はよく聞いた。国王陛下からの信任も篤く、とても有能で頼りがいのある得難い人物だと。


 だがエリカが実家にいたころの父は、常に眉間に皺を寄せ気難しい顔しか見せたことがなかった。

 厳格で堅実で威厳に満ち満ちた、およそ私的な会話を交わした覚えなどない父。

 珍しく朝食の席についたとて、一言も話したことがない。むしろ父がいるとその場の空気が冷えて固まり、気まずくてどうしたらいいのか分からなかった。


 いや、“おはようございます”と言ったことがある。

 だがそれへの返答は、不機嫌そうにジロリと睨まれただけ。そういう人なんだと納得するしかなかった。


 夜会へ赴く両親を見送った思い出がエリカにはある。

 うつくしく着飾った母に、エリカや弟たちはおかあさまキレイと歓声をあげて纏わりつく。実際、母はとてもうつくしかった。

 けれど、母がどんなにうつくしく着飾ったとしても父が彼女を褒めそやすことなどなかった。

 いつものとおり眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔で、黙って自分の腕を差し出すだけの父。

 子ども心に思ったものだ。

 おとうさまはおかあさまのこと、お好きじゃないのね。だっていつもふきげんそうだもの、と。


 社交の場で既婚者は、よほどのことがないかぎり夫婦同伴が鉄則である。

 そういう鉄則があるからこそ、父は母を伴って出かけるのだなとエリカは理解した。


 おとなになった今でも、父は国政と領地経営に尽力する仕事がすべての人間だと思っていた。自分の妻子を顧みる暇すらない……むしろ邪魔だと認識している冷たい人間なのだと。


 そんな彼がここまで妻の死にダメージを受けるとは、夢にも思っていなかった。




『おとうさまはお仕事がお忙しいから』


 母クリスティアナはよくそう言って子どもたちを宥めた。

 姉弟は父とほとんど関わらずに育った。彼らは母と使用人たちと家庭教師によって教育された。


 うつくしく愛情深くもあった母クリスティアナ。

 彼女は完璧な淑女であり、夫である公爵のサポートも完璧にこなし、なおかつ子どもたちへの愛情も惜しみなく注いだ。

 長女エリカの縁談をまとめ、長男ダミアンの婚約者を決定したのも母である。

 母は死ぬまえにダミアンの結婚式に立ち会えてよかったとうつくしく微笑んだ。

 息子の結婚式を見届けたあと、急激に体力が低下し寝たきりになったと思えばあっさりと儚くなった。

 母が余命宣告を受けていたことは事前に聞いていたが、子どもたちが母の病名をはっきりと聞いたのは、大学病院へ母の遺体を搬送してからだった。

 自分の死後のことは侍女のジャスミンへ託した、詳細は彼女から聞いてくれと母クリスティアナはよく言っていた。母が死を迎えたとき、付き添った姉弟とジャスミンは静かに泣いた。

 覚悟していたとはいえ、やはり母の死は多大なダメージを彼らに与えた。


 だが、母の死を純粋に悲しんでいられたのは父が帰国するまでだった。


 端的に言って、父カレイジャス公爵閣下はポンコツであった。

 人目も気にせず泣きじゃくり母の遺体に縋り付くばかりで、取り付く島もない状態だった。


 母は死んだのだ。葬儀を行わなければならない。

 公爵家の使用人たちはすべて優秀で有能な人間たちだが、公爵夫人の葬儀を執り行うにあたり、なにをどうするのか、これからどうすべきなのか、指示を出す人間が必要であった。

 それは公爵家当主であり、喪主の立場でもある父の役目である。

 だというのに、泣きじゃくるばかりの父とは建設的な話はなにもできなかった。


 カレイジャス公爵夫人であり、社交界の有名人でもあったクリスティアナ死去のニュースは瞬く間に広がり、問い合わせは多方面から押し寄せた。

 それらすべてに対応したのはエリカたち姉弟であった。結婚したばかりのダミアンの妻も次期公爵夫人として大忙しだった。

 いろいろな手配をこっそり助けてくれたのは、エリカの夫だった。彼が陰になり日向になり傷心のエリカに付き添ってくれたからこそ、いろいろな雑事を乗り越えることができたとエリカは感謝している。彼女の夫は懐が広くエリカを包み込んでくれる。夫がこんな人でよかったと秘かに胸を撫で下ろしていた。



 父は喪主のくせに役立たずだとエリカはイライラした。

 あれは押し寄せてくる弔問客たちへのパフォーマンスだろうとダミアンが言ったがその意見に賛成だった。“妻の死に対し悲しみに暮れる自分”を演出するのに忙しいのだ。こんな場面で夫婦円満を喧伝する必要などあるまいにと、姉弟は肩を竦めたのだった。







 葬儀のあいだ泣き崩れエリカを苛立たせた父が、今は目の前で生き生きと(というのも妙なたとえかもしれないが)シャベルを使ってニレの木の下を掘り返そうとし、ハーヴェイに止められている。

 こんな木の下の、しっかりと根を張った地面をやみくもに掘り起こしてもきっとなにも出ないとハーヴェイが言うと、双子の兄ダミアンもそれに同調。今までの傾向と対策を顧みるに、母上の性格上、木の下になにかを埋めるとは考えにくい。こういうときは、このすぐそばにある花壇を仕切っているレンガのブロックをどける方がなにかあるはずだと彼は主張した。

 父がなるほど一理あると言い、花壇の区切りであるレンガブロックをつぎつぎと持ち上げる。

 弟たちもいっしょにしゃがみこんで確認をして……。


 エリカからすると、なぜ弟たちはあぁも屈託なく父と会話を交わせるのか理解できない。

 母からのメッセージカードの指令に従うことに一心不乱になっており、それまでの鬱屈は忘れてしまっているのだろうか。


 あった! という喜色を含んだ声はダミアン。

 ほらね、と得意満面に父を見ながら封筒を開けると、中からはメッセージカードが一枚。

 

【厨房のパン】


「よし、次は厨房だな!」


 まっさきに走り出したのは公爵閣下だった。弟たちもそれに続いて走り出す。

 ハーヴェイがねえさまも早くと大きな声を出しながら駆けていく。


 彼らの後を追いながら、再度、エリカは思った。


 ――アレ、だれ?


 そしてちょっとだけ思った。

 もしかしたら父は、こうやってエリカたちと関わりたかったのかもしれない、と。


 いやいや、そんなことはありえないわと頭を振って思い直した。

 父の思惑はまったくもって分からない。


 けれど、自分の死後に【宝探し】を仕組んだ母の思惑は少しだけ分かったかもしれない。


 父と……公爵閣下と子どもたちの時間を、少しだけ作りたかったのではなかろうか、と。

 そういえば弟に“ねえさま”などと呼ばれたのも久しぶりだ。

 あの生意気な弟たちは、いつのまにかエリカのことを“姉上”と気取って呼ぶようになり、甘えてくることも無くなった。

 生前の母も苦笑いしながら言っていた。

『男の子はある日急に距離をおいて、話してもくれなくなるから淋しいわ』と。『エリカがいてくれて良かった』とも。

 


 お母さまがこの光景をご覧になったらなんていうかしらと思いながら、エリカはスカートの裾をたくし上げると男どものあとを追って走りだした。





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