10.母からの私信 妻からの公的文書
「生まれたばかりの子どもを前にして、言っていいことばと悪いことばがあると思うわたくしは狭量なのかしら」
エリカが冷たい瞳でジュリアンを睨んだ。
「へぇ……どっちか死んでもいいって思ってたのか」
「そりゃあ、お祖母さまも激怒するし、母上だってとうぜん心証を害しただろうね」
ダミアンとハーヴェイも非難じみた目を父親へ向ける。
彼らのことばに対し、ジュリアンはなにも言い返せなかった。
ポールは苦い物でも口にしたような表情で視線を下げ、逆にジャスミンは特になにも感じていないような無表情でその場に佇んでいる。
クリスティアナの初産のとき、ジュリアンがなにげなく呟いてしまったことば。
その二年後の息子たちが生まれたとき、喜び勇んで口にだしてしまったことば。
もう取り消せないことば。
過去、迂闊なジュリアンが言ってしまったことば。
後悔しても、どうにもならない。あれ以来、迂闊に口を開かないと決めたせいで妻との私的な会話が極端に減った。
なにを言えばいいのか分からなくて、一瞬迷ってしまう。迷い悩んで、眉間には深く皺が刻まれる。その皺のせいで不機嫌そうにみえるとポールたちから忠告を受けてもどうにもならなかった。
だが、なにも言わなければ失言もない。
ちょうどタイミングよく(?)外務大臣としての仕事が立て込むようになった。
ジュリアンは仕事に逃げたのだ。
国政に携わることは我が国のためになり、ひいては領民のためにもなり……つまりは妻子のためになるのだからと。
「それで、思ったことを言わない常に不機嫌そうな表情の“公爵閣下”のできあがり……ってわけですか。はっ。バカバカしい」
「僕らが生まれてから十八年、そんな状態を貫き妻と向き合うことを避けていたと……。世間的には有能な外務大臣であらせられるカレイジャス公爵閣下の実情……情けないね」
なにも言い返せない。
子どもたちのことばがジュリアンの胸にいちいち突き刺さった。
項垂れるジュリアンをそのままに、ジャスミンが明るい声で話し始めた。
「皆さまがた。ここに来た本来の目的をお忘れですか?」
「本来の目的?」
「あ! 【宝探しゲーム】!」
よくできましたとばかりにジャスミンが笑顔で頷く。ふと彼女の手元を見やれば白い封筒が三通。
「最後のミッションお疲れさまでございました。こちらに、奥さまから皆さまそれぞれへ、お手紙をお預かりしております」
白い封筒は、公爵夫人愛用のもの。
表書きには少し震える文字が子どもたちの名前を刻んでいた。
子どもたちはそれを大事そうに受け取ると、中を確認し手紙を読み始めた。
「おかあさま! あぁ……亡くなるまえに書かれたのね……筆跡が震えて……おかあさまぁ……」
「ははうえ……はい、だいじょうぶです……俺はミリアムと仲睦まじく、添い遂げますから……」
「ははうえ……ありがとう、ははうえ……心配かけてごめんね……」
子どもたちが各々へ宛てられた手紙を涙ながらに読むのと同じとき。
ジュリアンは妻から自分宛ての手紙はないのかと、必死の思いでジャスミンへ視線を送っていた。
だが肝心のジャスミンは、温かいまなざしで子どもたちを見ているのみでジュリアンの視線には気がつかない。
いや。正確に言えば、全力で気がつかないフリをしていた。
手紙を読み終えたらしいエリカが、涙ぐみながらジャスミンへ顔を向け言う。
「ジャスミン……わたくし、お母さまに言われたこと、絶対に忘れないわ。最後まで、わたくしたちのことを心配してくれたお母さま、尊敬している。わたくしもお母さまみたいな淑女を目指すけど……お母さまのようにただ黙って夫を待つような真似はしないと誓うわ」
「姉上に母上の真似は無理だよな」
「ムリムリ」
「なぁんですってぇ?」
背の高い弟たちを睨みあげる姉と、そんな姉を軽くいなすような仕草をする弟たち。
「俺も。母上のおことば、忘れない」
「僕も。肝に銘じる」
双子たちも母の遺した手紙を読み、思うところがあったのだろう。お互いを見やり頷いた。どこかほっとしたような笑顔になる彼ら。
だがジュリアンの手元にはなにもない。
彼の心には妻への溢れんばかりの愛があるというのに!
「……ジャスミン! 私には! ……私にも、クリスティアナからの手紙は、ないのだろうか……」
意を決して声を上げたジュリアンに対し、侍女頭であるジャスミンは恭しく頭を下げた。
「閣下には、こちらを」
ジャスミンが手渡したのは、子どもたちへ渡したそれよりもひとまわり大きな封書であった。
公爵夫人が私的に使用していた愛用のそれではなく、カレイジャス公爵家の家紋の透かしが入った公的に使用される封筒。
その違いに少しだけ疑問を抱きつつも、自分向けの手紙の中身はなんだろうかとはやる気持ちを落ち着かせながら中身を見れば――。
クリスティアナの筆跡ではない、公正証書。
代筆者としてカレイジャス公爵家の顧問弁護士の名前が併記されたそれは。
「……ジャスミン。これは……遺言書、ではないか」
「さようでございます」
固い法律用語を用いたそれは、クリスティアナ本人の遺志として、自分の遺体を献体したいということを第一に掲げ、ついで彼女が遺す個人資産(動産から不動産まで)を克明に記し、それぞれ誰に譲るのか明記され。
できれば大学病院への寄付は続けてほしいと綴られたそれは紛れもなく遺言書。
そこから見えてくるのは公に姿を現す【カレイジャス公爵夫人】であった。公明正大で夫の仕事にも陰になり日向になり尽くし、社交界の華として貴婦人たちを束ねる凛とした姿。
クリスティアナ・カレイジャスという個人の心情はどこにも見あたらない。
どんなに紙をめくっても、現れる文言は簡潔でわかりやすいことばで綴られた公爵夫人の財産目録の詳細であり、ジュリアン本人への個人的なメッセージなど見当たらない、あくまでも事務的なことばの羅列だった。
最後のページにはクリスティアナ本人のサイン(これは直筆だった)が記され、立会人としてジャスミンのサインも併記されていた。
最後まで一貫して、ビジネスライクな姿しか見えなかった。
「ほんとうに……これだけ、か? ほかにはないのか?」
クリスティアナはジュリアンのことをどう思っていたのだろう。
今となってはそれを知るすべがない。恨み言でもいい、なにかないのだろうか。
縋るような思いでジャスミンを見るが、彼女の表情は平然としたまま。なにを考えているのかその表情からは読みとれなかった。
「遺言書にすべてがあるのですが、あえて申し上げるとすれば……今回わたくしが画策いたしました【宝探しゲーム】がその答えに値するかと愚考します」
「このゲームが母上の意思?」
「あ! ……もしかして、だけど。わたくしたちとおとうさまとの時間を作りたかった、ということ?」
エリカの問いかけに対し、ジャスミンはニッコリとした笑顔を返した。まるでよくできましたと生徒を褒める教師のように。
「はい。奥さまは折に触れ、お嬢さまお坊っちゃまたちと閣下が私的な時間を共有していないことを嘆いていらっしゃいました。今回、このような手段を用いてしまいました無礼をお許しくださいませ。本当でしたら皆さまが落ち着いたころにでもお手紙をお渡ししようと思っていたのですが……」
ジャスミンの目に映った葬儀中の当主ジュリアンの姿は、常軌を逸したモノであった。
あの嘆きようはいったいなんなのだろうか、不自然極まりないではないか。
募る疑問に抗えず家令であるポール・スチュワードに問うた。ポールの答えは『旦那さまは奥さまを心の底から愛していたから』というもので、とても信じられない返答だった。
そのときに【屋根裏のクリスティアナ】の話を聞き、一計を案じた。彼女の女主人であるクリスティアナから託された子どもたち宛ての手紙を渡す機会でもあるし、父と子らとの親交の時間をとれるかもしれないし、鬱陶しく泣き崩れる当主を棺から引きはがしたかった。
それに、ポールがいう『旦那さまの奥さまへの愛』とやらの真偽も確かめられる。彼の言が正しければ、公爵閣下は仕舞いこんでいた絵を、【屋根裏のクリスティアナ】をすぐに思い出してくれるはずだ。
【宝探しゲーム】はジャスミンにとって一石四鳥の仕掛けであった。




