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花梨は康太のことを話した。
劇的な出会いをしたこと。毎日逢いたくて、愛しくて、愛を育んで…いたつもりなのに。
急にドキドキしなくなったこと。輝きが褪せたこと。あちらもそう感じていると思っていること。こんな恋は今までしたことがなかったこと。
好きなのかすらよく分からなくなっていること。このまま自然消滅してしまうのではと思っていること。
話しているうちに、ああ、本当に好きだったんだなという思いと、頭の片隅で『それどう考えてもおかしいよ』という警告が鳴っているのを感じて、さらに混乱してきた花梨は、ついに泣き出してしまった。
「うっうっ、ごめんなさい。頭がごちゃごちゃで。ううっ。」
「大丈夫よ。ゆっくり息して、ね?」
サリナさんが花梨の前にティッシュを置いてくれた。花梨はお礼を言うと、ティッシュの束で目元を押さえた。アイメイクなんてどうでもいい。
可愛いと思ってもらいたい康太はここにはいない。…もしかしたらもう会えないのかもしれない。
そう思ったらもっと涙が出てきた。
「…彼のことが本当に好きなんだね。」
それまで黙って話を聞いていた高坂が、慰めるように言った。
「それすら分からないんです。せっかく花粉の季節が終わったのに。もっと、いろいろ出かけたりとかしたかったのに。」
「花梨ちゃんは花粉症ひどかったからね。今年は特に大変だったんじゃないかしら。」
サリナさんが気の毒そうに言った。
「はい。今年は薬も飲めなくて。本当に大変でした。」
「お薬飲めなかったの?」
「はい。薬を飲むと花粉症が治まっちゃうから。そうすると恋が、恋が——」
花梨は途端に虚な目になる。恋が、恋がと呟いて、がくっと頭を揺らすと、ぱちっと目を開けた。
「あれ?私今寝てました?」
花梨は目をぱちぱちさせた。
その様子を見ていた二人は無言で視線を合わせた。サリナさんは目を細めてドス黒いオーラを放ち、高坂さんは無表情のまま眉毛をぴくりと動かした。
え、やだ。なに?二人とも怖い。
花梨がそう思ったのも一瞬のこと。二人はすぐに表情を和らげた。
「…ねえ、花梨ちゃん。彼のことがとても大切なのはわかるけど…そうね、試しに他の人ともデートしてみるっていうのはどうかしら?」
「そんな!他の人となんて!」
「僕もいい考えだと思うよ。花梨さんは若くて綺麗なんだし、一人の男にこだわる必要はないんじゃないかな。」
「でも、お付き合いしている人がいるのに。そういうのは私は…」
「ね、花梨ちゃん。その彼のことが本当に好きなのかしら?ドキドキする?どういうところが好きなの?」
サリナさんが花梨に被せるように言ってきた。相手の話をじっくり聞くサリナさんにしては珍しい。
「それは…その…」
きちんと答えられないことがもどかしい。好きなのに。好き…なのかな。
「他の人とデートをしてみたら彼のいいところを改めて確認できるかもしれないわよ。」
サリナさんがテーブルの上で握りしめていた花梨の手をそっと包んだ。
「そう…でしょうか。」
「そうだよ。星の数ほど男はいるんだ。そんなに深刻に考えないで。ね?」
高坂さんが明るく言った。
そうなのかもしれない。いずれにしても、今のままじゃどうにもならない。
「じゃあ花梨ちゃんにはサリナさん特製のドリンクを作ってあげる。これを飲んだら明日の朝はお肌ぷりぷりよ。」
サリナさんは引き攣った笑みを浮かべながら店の奥に入って行った。
バタン!
大きな音を立ててドアが閉まった。いつも優雅な仕草のサリナさんにしては珍しい。
「サリナさん…なんか怒ってます?」
「いやあ…そう、そうだね。僕も少し怒ってるかな。」
「え!ごめんなさい!私何か気に障るようなこと言いましたか!?」
「いいや、花梨さんにではないよ。…この世の中にかな。」
「はあ…」
よく分からなかった花梨は気の抜けた返事をした。
「…高坂さんは杏さんのどういうところが好きなんですか?」
「杏さんは、そうだね。僕の唯一無二だから。」
かっこいい。さらっとそんなこと言えちゃう高坂さんはすごいかっこいいと思う。
花梨はため息をついた。