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◆
はあー。
家に帰ってきた花梨はため息をついた。
今までのドキドキ感がない。
目のフィルターが外れたというか、彼の周りが全然キラキラ輝いてない。
イケメンではある。てかすごいイケメンだ。
学校だったら一人いるかいないかくらいの、会社でも一人いるかいないかくらいの、イケメン。
好みの差はあれど、10人中8、9人はかっこいいと言うくらいの、かっこいい人。
でも。
ダレ?
ドラマチックな出会いをしてラブラブになった私の彼氏。
ダレ?
行くのはいつも公園。寒い日も暖かい日も花粉がヤバイくらい飛んでる日も公園。
ずっと、愛を囁き合ってきた人。
ダレ?
年齢どころか苗字も知らない人。
ダーレー!?
待って待って、冷静になって。
落ち着くために深呼吸をした花梨は、スケジュールアプリを立ち上げた。
今までの予定を確認して…
「おおっと!」
花梨は思わずのけぞった。
週末は全部『彼』と『ハートマーク』がずらりと並んでいる。平日も夕方は同じ感じだ。
こっ、こんなに会ってたんだ。
ちょっと引くくらいのハートマークが並んでいる。遠目から見ても画面いっぱいのハートマーク。
えっと、それで、こんなに会ってた彼なのに、誰だかよく分からない?そんなことある?
混乱しながらメッセージアプリを立ち上げる。
彼とのメッセージは『好き』がほとんどを占めている。
…うそです、『好き』としか書いてない。
一方的に送られていたらストーカー扱いされていただろう数の『好き』が延々と続いている。
唯一の救いは、それが一方的ではないことか。彼からも『好きだ』が連打されている。
…もしかして私たち、『好き』としか言ってない?
そんな、ことは、ないよね?
普通に会話もして…して…ない?
花梨は頭を抱えながらその日は眠った。
◆
「おはようございますー」
花梨は翌朝、どんよりとした気分で出社した。せっかく花粉が収まったのに、メイクもヘアもどうでもいい。
「花梨、おはよー。」
千夏が笑顔で挨拶して、
「…どうしたの?」
と眉を寄せた。千夏にはこのテンションの低さが丸わかりだったらしい。
「どう…したんだろう?」
恋の病ならぬ、恋が解けちゃった病?
「お昼休みね!」
係長の姿を見つけた千夏は、足早に係長のところへ向かった。
昼休み。今日は気分転換に外でランチをしている。みゆき先輩は外出中だ。
ふう。
花梨はお冷を飲んでため息をついた。
「トキメキってなんだと思う?」
「トキメキ?うーん、見てるだけでドキドキして、ちょっとした仕草にキュンとしたり?」
「千夏は係長のこと思い出してるでしょう?」
「そうね。係長はツボなんだよー。あの、ちょっとした時に見せる困った顔がなんともよくてね!」
「そっそうなんだ。」
いきなり早口になりだした千夏に花梨は少し押され気味に答えた。
「犬の困った顔って可愛いでしょ。あの顔見たくてついつい意地悪かしたくなるでしょ。尻尾の先をツンツンしたり、肉球の間に生えてる毛をツンツンしたり、耳をペラってめくってみたり。あとお腹掻くと足がピクピク動くのも可愛いよね。反射なのかな?自分で掻いてる気になってるんだよね。はー、犬って眉毛がないのになんであんなに眉毛が下がったみたいな困った顔するんだろうね。ほんと可愛い。」
千夏がうっとりとした顔で笑う。
「犬が?」
「犬も可愛いけど係長もかわいい。みんながワイワイしているところに入れなくてしょぼんとしてる顔とか、眼鏡がどこに行ったかわからなくて困ってる顔とか、机の角につま先ぶつけて涙目になってるとことか。」
「係長は普段はだいたい無表情だからね。」
「そうなの!ギャップ萌えってやつ!」
うん、例が特殊すぎて参考になるか分からない。
「花梨は彼とラブラブでしょ?愛しの彼がっていつも言ってるじゃない。」
「それが…あんまりドキドキしなくなって。」
「マンネリ?」
「そうなのかな?」
その人の事をよく知らなくてもマンネリになるのかな?
「せっかく花粉の季節が過ぎたのに…」
「花梨は花粉症の薬飲まなかったよね。すごくしんどそうだったのに。」
「そうだっけ?そうか。何でだろ。いつも真っ先に病院行って薬もらうのに。薬を飲むと、薬を飲むと、恋が—— 」
ぱちっ
花梨は靄がかかった頭がはっと目が覚めたように瞬きをした。
…なんだろ?なにか、なにか——
「…ううん、忙しくて病院に行く暇がなかっただけだよー。」
「そうだね。この時期は耳鼻科も混むらしいからね。」
うんうん、と千夏がデザートのプリンを頬張りながら言った。
「彼と話してみれば?」
千夏のアドバイスに背中を押された花梨は、康太にメッセージを送った。