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「それで…その…盛り上がってるところ申し訳ないんすけど…」
真島が遠慮がちに声をかけた。
「もっ盛り上がってなんか!」
花梨は真っ赤になって否定した。
「いや、盛り上がってるよ。俺、今なら空も飛べる気がする。」
康太が真顔で言い切った。
「そのですね、魔族に関わった一般人には忘れ薬を飲ませるのが規定なんすよ。飲んでくれますか?」
「忘れ薬?忘れちゃうの?全部?」
「いえ、ここ1、2日くらいのことだけっすね。妖魔のことさえ記憶から抜ければそれでオッケーっす。でも…花梨さんはもっと早い時点で接触があったってことっすよね。うーん、どうしようかな。そこまで消すとさすがに日常生活に支障が出ますねえ。」
真島が困ったように眉を下げた。
「花梨、前からあいつに付き纏われてたんだよな。言えよ、言ってくれよ。なんのために俺がいるんだよ。」
「…ごめん。ただの変な人だと思って。」
「これからは全部言って。くだらないことでも、大したことないと思っても、俺に全部言って。花梨は可愛いから心配だよ。そうだ、一緒に住もう。その前にご両親にご挨拶に行かないとな。式は早い方がいいな。花梨、有給残ってる?貯めといて。それから…」
「ちょっと!康太!」
ぶつぶつ考え事に沈んだ康太には花梨の声は届かないようだ。
「うーん、困ったな。お二人せっかくいい感じなのに。忘れちゃうとどうなるか分かんないっすね。」
「いやです!」
「だめだ!」
2人の声が重なった。
「真島さん、俺も、花梨も、この件については口外しません。だから見逃してください。」
康太は頭を下げた。花梨もそれに続く。
「そう…っすね。じゃあナイショで。もしこれから魔安の誰かがコンタクトを取ってきても、知らんぷりしてください。それが条件です。あ、あとネットとかに載せたらソッコーアウトなんで。」
「しません。約束します。」
康太が言い切った。
花梨は黙って『お口はチャック、手はお膝』をした。
「でも…その…」
花梨はおずおずと切り出した。
こんなこと言って藪蛇になったら嫌だけど…
「なんでしょう?」
真島が花梨を見てにこりと笑った。
「なんで私達に説明してくれたんですか?忘れちゃうならどっちでも同じなのに。」
「忘れることは忘れますが、すっきりしない感は残るじゃないですか。なるべくお二人の人生にしこりは残したくないなと思って。」
「ありがとうございます。」
花梨と康太は頭を下げた。
いい人だな。お日様みたい。お日様の下で日向ぼっこしてる大型犬みたい。
花梨と康太は自然に笑顔になった。
あ、あと花梨さんと一緒に魔族と接触した取引先の人っていうのは調査が入るんで。と付け加えた真島は、やはりプロだった。
◆
真島に礼を言うと、2人は康太の家へ向かった。家に着いた頃には二人はヘトヘトだった。
アウェイからホームに戻った安堵感から、康太の体はまた疼き出した。
収まれ、収まれ。…いや待て、収まんなくてもいいんじゃ。ここは俺の家で、花梨は俺の恋人兼未来のお嫁さんだ。まだプロポーズはしてないけど。否の返事は聞かない。俺の全てを賭けても諾と言わせてみせる。
康太はクッションに座る花梨を見た。うとうと船を漕いで、今にも沈みそうだ。
「寝る?」
「うんとね、体がほこりっぽいから、お風呂に…」
口もうまく回っていない。
「風呂は後でいいよ。今入ったら床で滑りそうだよ。それとも一緒に入る?」
花梨は、うん、と頷きそうになってパッと目を開くと、
「はっ入んない!」
と勢いよく答えた。
「じゃあ後で一緒に、ね。」
康太は流し目で花梨を見た。
花梨は康太のスウェットに着替えて一足先にベッドで眠っている。
康太はイロイロを済ませると、そっと花梨の隣に滑り込み、すやすや寝る花梨を抱きしめた。
胸の中で上下する花梨の吐息。
どきどきと脈を刻む細い首筋。
俺の隣で安心してくれるのは嬉しい。
疲れたんだろう。短時間にいろいろあったしな。
花梨の泣き顔も、笑顔も、恥ずかしそうな顔も、いろんな顔が見れた。間に合ってよかった。忘れないでよかった。…出会えてよかった。
康太は花梨の耳に唇を寄せた。上から下まで唇でなぞると、耳の付け根に吸い付いた。
少し強めに吸い付いても花梨は起きない。
耳の付け根に赤い花が散ったのを満足げに見ると、康太は名残惜しげにペロっと舐めた。
やべ。我慢できなくなりそう。
康太は大きく深呼吸をすると体の熱を逃した。
今までの恋が恋でなかったとしても
これから先、恋が冷めたとしても
俺は何度でも花梨に恋をする
好きだよ、俺の運命の人
康太は花梨を深く抱き寄せると、夢の中に入っていった。
魔女のサリナさんがオーナーのバー「ラ・ストレーガ」と、常連の高坂さんは、『嘘つきな大人の嘘つきの日のプロポーズは本当か否か』に出ています。
花梨の同期の千夏と係長は、『鬼は外、係長は外』に出ています。
気になる方がいましたら併せてお楽しみください。