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「そうっす。いわゆる、食パン片手に遅刻遅刻!って言ってるJKが、曲がり角でイケメンとぶつかるってやつらしいっす。俺は読んだことないけど。」
「あー…あるあるですね。」
そうなの?と康太が花梨に聞く。花梨はこくりと頷いた。結構古いけど。
「で、おっさん研究員がキレて、『そんなアホみたいなことにこんなにエネルギー使う魔族がいるか!下手したら地面がえぐれるくらいのエネルギーだぞ!研究舐めてんのかお前はっ!?』ってなって、助手がキレ返して、『じゃあシュミレートしてみますかぁぁっ?』てなって。やってみたんです。ヨーロッパの研究所でAIのシュミレート依頼して。まさか人体実験するわけにもいかないし。そしたら大当たり!無事…かどうかは分かんないけど発動したんすよー。なんかある意味、感動の瞬間でしたね。生中継してみんなで見てたんすけど、みんな拍手してましたよ。」
はははと真島が笑った。
花梨と康太は笑えない。
「…じゃあ、やっぱり頭ごっつんで発動するんですね?」
花梨は暗く聞いた。
「花梨、知ってたのか?」
康太が驚いて花梨を見た。
「うん…あの妖魔が言ってた。」
「それ、いつ?昨日の話?」
「ううん、そのちょっと前。あの…道で康太とすれ違った時あるでしょ?あの後に…」
そういえば、康太、曽根さんのこと突っ込んで聞いてこないけど…
「あの取引先の人っていう男と一緒にいた時?」
康太の責めるような口調に花梨の声は小さくなっていく。…やっぱり康太、怒ってる。
「うん、あの後にご飯食べてたら、妖魔だって人がいきなりやって来て…」
「…それでいきなり別れようって言ったのか?恋じゃないってそいつが言ったから?」
「…うん。康太を解放してあげたくて。…嘘、ごめん、そんな綺麗な気持ちじゃないの。ただの私の身勝手。康太が、いつか恋から冷めちゃって、わっ私のこと、嫌いになっちゃったらって…」
ただのわがままだ。嫌いって言われたら、冷めた目で見られたら…それが怖かったから一人でおしまいにしようとするなんて。
でも怖かった。花粉の季節が始まって、瞬きする間に恋に落ちて、そしたらあっと言う間に季節が去っちゃって…
あんなに大変で、でも幸せだったのに、時間が経つにつれてどんどん感覚が曖昧になっていった。くしゃみも、目の痒みも、頭の熱っぽさも、最中はこんなに辛いことは人生でそうそうないんじゃないかと思うほどだったのに、終わってみれば何事もなかったかのような日常が続いていた。
この恋も、同じように通り過ぎて行ってしまうんじゃないか、その喪失感が怖かった。
「…俺よりその自称妖魔のことを信じたんだ、花梨は。」
康太の傷ついたような声が花梨の胸に刺さった。
「……ごめんなさい。」
「………」
「で、ここからが本題なんすけど!今の話をしましょう!ね!お二人はその、今の感じが恋か、恋じゃないかってところで悩んでるんじゃないかと…」
真島が空気を変えるように声を張り上げた。
え!もしかして妖魔だけじゃなくてこの人も実は見てた!?
花梨は思わず後ずさった。さすがにこれだけ変なことがあったら警戒もする。康太は花梨を守るように抱き寄せた。
「ただの予想っす!見てないっすよ!他の特殊カップルがそんな感じだったんすよ。それが揉めに揉めて。杉本先輩が担当したんすけど、先輩、色恋沙汰が分かんないからぶった斬るような感じで。いや、俺だって人のこと言えた義理じゃないっすけど。で、ほんとうに刃物沙汰になっちゃって、日本の警察まで介入してきちゃって。俺らも公式の組織じゃないし、妖魔がとか言っても怪しまれるだけだし。そのせいでお二人のところに来るのが遅くなっちゃったんです。すみません。」
真島は頭を下げた。
刃物沙汰…?ずいぶんと物騒なことになってたらしい。私たちはそう考えると平和だったなあ。
…あれ?でもちょっと待って。私たち特定されてる?ってことはやっぱり見られてた?
「お二人には怖い思いをさせちゃったけど、妖魔は無事捕まえたし、しばらく…あと数百年単位で外には出てこれないと思うので。安心してください。」
数百年…?規模が大きいわ。
「はあ。」
花梨は曖昧に頷くしかない。康太も同じ感じだ。
「で、恋か恋じゃないかって話に戻りますけど。妖魔の妖はさっきも言った通りほぼ切れてます。別れてるカップルはとっくに別れてます。お二人がまだこうして一緒にいるのは妖の作用とは違うと俺は思いますけど。疑うなら研究所で調べることもできますよ。」
妖は切れてる…?そっか。え、でも、じゃあ…
花梨の肩を抱いた康太の力が強くなった。
「調べる必要はないです。俺は、俺の気持ちを知ってる。」
康太は花梨の頬に手を添えると、微笑んだ。
「好きだよ、花梨。好きだ。恋とか、恋じゃないとかどうでもいいよ。俺は花梨が好きだ。」
「…いいの?私で。結構わがままで頑固だよ?」
「花梨がいいんだよ。頑固なのはもう知ってる。次からは、俺に先に相談してくれると嬉しいな。いきなり切られるのは辛い。」
「ごめんなさい…」
花梨は俯いた。康太の目が見れない。
「いや、ごめん。俺も悪かった。もっと花梨に信用してもらえるようになるから。ね、花梨。顔を上げて?」
花梨はおずおずと顔を上げた。
「花梨さん。俺の名前は相葉康太。××コーポレーションで人事をやっています。家族は両親と妹。趣味はランニング。好きです。俺とお付き合いしてくれませんか?」
「康太…あ、えと、私は嵜本花梨です。××商社で営業をしてます。家は美容院で美容師一家です。あの、私も…好きです。その、喜んで。」
花梨はかああっと顔に血が昇るのを感じた。
二人は見つめ合って微笑んだ。
康太だ。前と同じ、ううん、それ以上に確かな繋がりを感じる。
私たちの恋は、今ほんとうに始まったんだ。