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ついつい遅くなっちゃった。
花梨は足速に部屋に戻った。部屋にはコーヒーのいい匂いが漂っている。
「花梨さん。コーヒーよかったらどうぞ。」
真島がにこっと笑ってコーヒーを差し出した。
なんかこの人、真島さんだっけ、大型犬みたいねえ。目がキラキラしてて、いつも笑ってる犬みたい。
花梨はありがたくコーヒーを受け取ると、康太の隣に座った。さっきより体調は悪くなさそうだ。スーツの上着が太ももにかけられている。寒いのかな?
花梨がじっと康太を見ると、康太は曖昧に笑った。
……?
花梨が首を傾げたところで、
「あー、じゃあ説明いいっすかね?」
1人掛けのソファーに座った真島の声に意識が向いた。
「あの妖のことなんすけど。魔安研究所で詳しく調べてもらったんですが、あの花粉の妖は、吸った人間を興奮状態…というか発情状態にします。有り体に言えばヤリてえってやつですね。」
「わっ私も?」
思わず花梨は頬を染めた。
「効果は短いです。半日から長い人でも一日で切れます。ただ今回厄介だったのは、花粉の元の杉の木に妖をかけたみたいなんすよ。だから効果が切れてもまた次々に吸い込む感じで。あ、元凶の杉の木はもう対処したんで来年は大丈夫っす。」
「切ったんですか!?」
花梨は食い気味に聞いた。
「はい?」
「杉の木。切ったんですか?」
「いや、切ってはないみたいっすよ。」
「ええ。せっかくなら切っちゃえばよかったのに。私毎年思うんです、杉の木を全部切って花粉が出ない木を植林します、っていう人がいたら首相にでも大統領にでも投票するのにって。」
「花梨、総理大臣は直接選挙じゃないから…」
康太が苦笑しながら花梨の頭に手を置いた。
「そうなんだけどっ!でもさ、原因は分かってるわけでしょ!?切ればいいのに。」
呪いのように呟いてしまったのはしょうがない。
「その辺りはちょっと俺らにはどうしようもないっすけど。ただ、ハウスダスト?でしたっけ。それなんかと同じで、花粉は溶けてなくなるもんじゃないから、家とか服とかに付いてると季節が終わっても吸い込む可能性はあるらしいんで気をつけてください。空気の方はだいぶ清浄したんすけど。…大変だったんすよ、日本中の空気をきれいにするの…」
真島が思わずというふうに呟いた。
「「お疲れ様です。」」
花梨と康太は口を揃えて頭を下げた。どうやって空気を清浄するかはわからないが、そりゃあ大変だったことでしょう。
「もうそれだけで国中大変なことにはなっていたんすけど、お二人のケースはさらに特殊というか、当たり!というか、災難でしたね、としか言いようがないんすけど…頭と胸をごっつんしましたよね?」
ぴくっと花梨の肩が跳ねた。
「頭と胸をごっつん?したっけ?」
康太は首を傾げている。
「…した。したんだよ、康太。覚えてない?初めて出逢った時。私が転んで康太の胸に頭ぶつけたの。」
「ああ!そういえばそうだったな。懐かしいな。そんなに前でもないのに。涙目になった花梨、すごく可愛かったよ。」
「そっ!そんなことないよ!マツエクが折れたかと思ったんだから!」
ふふふと康太は笑った。
「それが何が関係してるんですか?」
康太が真島に向かい合った。
「それがですね、魔安研究所で花粉を調べてる時に、どうしても分析できない術式があったんすよ。すげーエネルギーを費やしてるのに、どういう条件で発動するのか分からない部分があって。あーでもない、こーでもないって研究員が議論したんだけどもうお手上げって感じで。
いろいろ実験はしたみたいなんすよ。焼いてみたり、蒸してみたり、凍らせてみたり、フリーズドライにしてみたり。その中で反応らしい反応を見せたのが圧力を加えた時だったんです。」
…研究っていろいろやるのね。理科の実験みたい。
花梨はついつい感心してしまう。理系とは縁遠い生活を送っているため想像もつかない。
「よっしゃ圧力か!って話になったんですけど、あんまり強い圧を加えても反応しなくて。いろいろ微調節していくうちに、ちょうど平手打ちくらいの力がいいんじゃないかと突き止めたんすけど。じゃあちょっとお前花粉吸って平手打ち受けてみろ、ともできないじゃないっすか。はらすめんと?でしたっけ。それになっちゃうから。そこから煮詰まって険悪な雰囲気になっちゃいましてね。俺、ご機嫌伺いに行ってこいって先輩に放り出されたんすけど、みんなピリピリしてるのなんのって。」
真島は苦労性なようだ。人当たりがいいから使いやすいのだろう、と花梨は曖昧な笑みを浮かべながら思った。
「で、投げやりになった若手の助手が言ったんです。これ、少女漫画のお約束ってやつじゃないですか、て。みんな頭の硬い研究気質の人ばっかですからね、はあ?お前何言ってんだって話になって。」
「少女漫画のお約束…ですか?」
花梨は微妙な顔をした。
「頭ごっつん」のくだりの説明が抜けてたので、修正加筆をしました。その関係で、話の一部が次話に持ち越しになっています。