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バンッ!
壁に大きな穴が開いた。
あっぶねーな!こいつ、やばい奴じゃんか!
咄嗟に身を屈めていた康太は、バクバクする心臓を抑えながら壁を見た。
「花梨!花梨!」
小さい亀裂だった穴がどんどん大きくなる。
パリ、パリパリパリ
壁は見る見る崩れていった。
「花梨!」
康太は花梨の元に駆けつけると、花梨をきつく抱きしめた。温かい、花梨の体。抱きしめたのはこれが初めてだったのに、体にしっくりと馴染んだ。
康太は花梨の匂いを吸い込むと、ほっと息を吐いた。間に合ってよかった。
「遅くなってごめん。守れなくてごめん。もう大丈夫だから。」
康太は花梨の背中を優しくポンポンと叩いた。
「わたしっ私こそごめん。変な人についてきちゃって。康太に酷いこと言って。康太の話も聞かなくて。ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい。」
花梨は泣きながら康太の服を掴んでいる。『離さない』と言っているようで、康太は胸が温かくなった。
「いいよ、大丈夫。俺はここにいるから。」
康太は花梨の前髪をそっと撫でた。潤んだ目に前髪が入りそうだったのだ。そのまま頬に手を滑らせて首を傾けると、唇を寄せて——
「あー、コホン、その、いいかな、そろそろ…」
赤い顔をした長身の男が花梨たちと目線を合わせないように聞いた。
「あっ!ごめんなさい!」
花梨が真っ赤な顔で康太の胸に顔を埋めた。
かわいいなあ。康太はニヤニヤが止まらない。警察官のことはすっかり忘れてた。でも、あと5秒、いや、10秒くらい待ってくれてもよかったのに。康太は恨めしそうな顔をして警察官を見た。
「いや、無事ならいい。元の世界に戻ったら手当てをしよう。ここは世界の狭間だから、一般人は長くいないほうがいい。さ、行くぞ。」
「世界の狭間って…?」
康太は説明を促した。今日のこの珍事件、だれか説明くらいしてくれてもバチは当たらないと思う。
「あー、そのだな…」
警察官の目が歯切れ悪く言った。
「せんぱーい!道繋がりましたよー!」
康太が壊れた窓越しに声がしたほうを見ると、遠くから大柄の男が走ってきた。目の前の警察官と同じ制服を着ている。大柄の男はあっという間に家の前まで着くと、息を乱すことなく壊れた窓枠からひょいと中に入ってきた。
男はラグビーをやってたといえば納得のガタイのよさで、バレーボールをやっていたといえば納得の背の高さだ。制服のボタンが弾けそうなほど胸が厚い。ゆるいウェーブの茶髪、黒目、いつも笑っていそうな口元をしている。
「遅い!」
先輩と呼ばれた男がキレた。そういえば、こっちの男は少し神経質っぽそうだなと康太は思った。
「だってー、魔女が道をぶち開けたから安定させるの大変だったんですよ!ドカアン!って!無理矢理!勢い任せに!開けるからっ!」
大男は身振り手振りで大変さを表した。表情豊かなタイプのようだ。
「あっ!被害者の人。無事でした?ラッキーでしたね。先輩強いから。でもまあ災難でしたね。もう大丈夫ですよ。元の世界に戻って、忘れ薬を飲んだら、全部忘れますからね。」
大男は康太と花梨を見てにこっと笑うと、聞き捨てならない台詞を吐いた。
「え、あの…」
花梨が戸惑いを隠せないといったふうに声を出した。
「どういうことですか?ちゃんとに説明してください。でもその前に。」
康太は花梨を腕に抱えたまま頭を下げた。
「花梨と俺を助けてくれてありがとうございました。悔しいけど、俺一人じゃなにも出来なかった。」
「あ、ありがとうございました!」
花梨も腕の中から後ろを振り向くと2人に礼を言った。
「すみません、私が変な人についてきちゃったから…」
花梨は申し訳なさそうに俯いた。
「しょうがないですよー。魔族は、こいつは自分のこと妖魔って言ってますけど、人の気持ちを操るなんて朝飯前ですからね。妖魔は特にそういうのに長けてるんです。あいつを目の前にして精神を保ってるお姉さんは立派です。」
うんうん、と大男は鷹揚に頷いた。
「あの、ほんとに妖魔なんですか?」
花梨が恐る恐る聞いた。
「そうです。」
「………」
いくら待ってもそれ以上の説明はないようだ。
「ささ、行きましょう。道が安定しているうちに。元の世界に戻れなくなっちゃいますよ。」
大男が二人を促した。元の場所に帰ることには異論はないので、康太は花梨を腕に抱えたまま立ち上がった。
「早く脱出しろ。俺はこれを移送する。」
先輩と呼ばれたほうの警察官が妖魔が入っている塊を足で蹴った。
「はい!任せてください!」
あれよあれよという間に外に出された二人は、大男について歩いていく。
「あの、あの私を助けてくれた方は…」
「あー、杉本先輩ね、悪い人じゃないんですけど女慣れしてないんすよ。童貞だし。」
「真島ぁっ!!!!」
遠くなったはずの家の窓から杉本が叫んだ。
「…ついでに地獄耳っす。」
はははと真島と呼ばれた大男は笑った。
「あなた達はどなたですか?」
これだけは聞いておかないと、と拳を握りしめながら康太は尋ねた。
「俺らは魔安って言って魔族専門の警察みたいなもんっすよ。オフィシャルにはなってないけど全世界展開の超優良企業っす。あっ、企業じゃないな、なんなんだろうなー、クレカとか申し込む時に業種の選択に迷うんすよねー、めんどくさいから公務員のとこにマルしてますけど。」
真島は眉を下げながら頬を掻いた。大柄なのに威圧感がないのは、のほほんとした空気が漂うからだろう。3人はゆっくりと道を歩いて行った。