13
「はい。」
花梨はピシッと背を正した。仕事にプライベートを持ち込むなんて社会人失格だ。担当を変えて欲しいという話だろうか。
「恥ずかしい話なのですが…」
「?はい。」
恥ずかしい話?
「まったくのプライベートで、身内の話でお恥ずかしい限りなのですが…」
「はあ…」
身内の話?なんだかよく分からないけど…
「なんでもお話しください。」
ぜひしましょう、恥ずかしい話。
もう恥をかいている花梨は、ぜひ曽根さんにも恥をかいてもらいたい。それで、おあいこってことで。流してくれないだろうか。
「その…うちの母が嵜本さんと同じ状態で。」
「はい?」
同じ状態。え、私と?
「僕の父親は僕が小さい頃に亡くなっていまして。母が女手一つで育ててくれたことに感謝はしていますし、誰かいい人でもいてくれたらとは思っていたのですが。母は仕事好きな人間で、いままでそういった話は全くなかったんですよ。まあ息子に話していないだけだったのかもしれませんが。それが春先から様子がおかしくて。」
曽根さんはちらりと花梨を見た。
「いきなり電話がかかってきたと思ったら、運命の人に出会ったと言い出して。いつもは音声電話なんですが、なぜかビデオ通話で。」
「………」
「どうやら母が歩いている時に靴のヒールが取れたみたいなんですね。で、転びそうになったところを受け止めてくれたのがそのお相手みたいなんですが…思いっきり相手の胸に鼻をぶつけたと笑っていました。」
曽根さんは、はははと笑った。
「………」
「それが運命の出会いで、もう彼のことしか考えられないと毎日電話がかかってくるようになりまして。」
曽根さんは疲れたようにふぅーとため息をついた。
「………」
「彼が好きだ、好きだとしか言わないんですよ。」
「………」
…痛い。心が痛い。
「仕事には行っているみたいなんですが、話ぶりからして少し疎まれているようで…会社の人に…」
いったぁい!人の話として聞くとイタ過ぎる。
「どうやらお相手がカタギじゃない感じなんです。」
「…それは心配ですね。」
花梨はやっとコメントすることができた。
「はい。ただ要領を得ないんですよ。にやにや…いや、ニコニコ笑ってはうっとりとしてまして。あなたと同じです。」
「………」
まじやらかしてる。
「母は九州の方に住んでいまして。一人暮らしなんですが。これは見に行かないとそろそろやばいなと思ってた矢先に、けろっとして別れたと。
なんだかドキドキしなくなったんだとか言ってまして。その歳でドキドキもないだろうと思ったんですが。」
うっ!突き刺さる!
花梨は思わず胸を押さえてしまった。
「いや!嵜本さんはまだお若いですから!すみません!」
「いえ、私もドキドキとか言ってる歳ではないです…」
「………」
「………」
二人揃って下を向いてしまった。
気まずい沈黙が流れる。
「そりゃ俺がやったんだぜ。」
花梨がはっと声がしたほうに顔を上げると、いつの間にかテーブルの通路側に若い男が座っていた。
黄金色に輝く長いウェーブのかかった髪を一つにまとめている男は、端正な顔をニヤリと歪めた。どこか野生の動物を思わせる鋭い目つきをしている。
「きゃ!」
花梨は思わず叫んだ。
え、どっから来たの!?
びっくりして固まる花梨だったが、曽根さんは立ち直りが早かった。
「…それはどういう意味ですか?」
「だから、俺がやったの、それ。花粉にニンゲンが発情する妖をかけたんだよ。」
発情?妖?
「俺はなんだ、ニンゲンの言うところの妖魔ってやつだ。」
「…信じられませんね。妄想癖ですか。」
「まあ別にお前に信じてもらえなくても俺はかまわねーよ。あっ、姉ちゃん、俺ビール。」
男は店員に声をかけると、目の前にあった枝豆をつまんだ。
「それにしてもつまんねーな、この国は。パッションがなくてつまらねえ。自分のオンナが他の男と歩いてるの見ても奪い合いにも殺し合いにもならねーとは。」
「見てたの!?」
さっきの、康太とのことを言っているのだろうか。
「見てたぜ。俺の妖はあれだ、頭と心臓がごっつんするとかかるようになってんだよ。でもなかなかごっつんする奴がいなくてなー。」
「頭と心臓がごっつんですか。つまり人と人が正面からぶつかる状況ですか?」
曽根さんが冷静に聞いた。
「そーそー、マンガ?ってやつだとそれで発情するんだよ、だから面白いかと思ったんだけどな。まあ花粉を吸い込んだだけでも発情しやすくはなってるんだけど。こお、なんつーか、うわあっと発情するにはごっつんが一番なんだよ。」
頭と心臓がごっつん?マンガ?
え、ちょっと待って、曽根さんなんでそんなに冷静なの?え、ついていけないの私だけ?