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「私も彼のことをそう思ってたんですけど…あっ別に高坂さんがそんなに冷めやすいとか、そういうことじゃなくて!」
「わかってるよ。彼のことが好きだったのに気持ちの変化に戸惑っているんだね。ね、花梨さんが不安なのは自分の気持ちかな?それとも彼の態度の変化?」
「…どっちだろう。大切なものが自分の中からスコンと落ちてしまったような感じには確かに戸惑っているかも。でも、そうですね。彼を引き止めないとと焦ってもいます。…このままだと自然消滅しそうで。」
またじわりと涙が溢れてくる。
「花梨さん、euphoriaという言葉は知っている?」
「ゆーほりあ?聞いたことないです。」
「強い幸福感という意味だよ。高揚感と言い換えてもいい。何かを手に入れた時、そうだな、例えば宝くじに当たったとする。その感じ。」
「やったー!みたいな感じ?」
「そう。でも人はずっとそのテンションではいられないんだよ。人の感情にはその人独自のベースラインがあってね、いくら嬉しいことがあっても、いくら悲しいことがあっても、時間と共にそのベースラインに戻っていくんだ。」
「確かにずっと浮かれてはいられないかもしれませんね。生活がありますし…まあ一億円くらい当たったらしばらく幸せでいられる気がしますけど。」
「そうだね。」
二人は笑い合った。
「花梨さんは今、その揺れ幅が大きいんじゃないかな。それに戸惑っている。違う?」
「そうかも。すごい幸せ!から不幸せにどんどんのめり込んでいってるような…」
そうか。自分の気持ちがぐらぐらしてるから不安なんだ。しかも彼のことが分からないから余計に頭がぐちゃぐちゃだ。でも…
「…恋はいつか冷めるのでしょうか?なかったことになる?それとも日常の一部になる?」
「そうだな、僕は——」
「おまたせー!!」
高坂さんが何かを言いかけたところで、サリナさんがぐつぐつ煮えたぎるボウルをお盆に乗せて戻ってきた。
サリナさんの目の色がいつもと違う。らんらんと輝く瞳は金色だ。
「これはまたすごいのを作ったね、サリナさん。」
ほうと感心しながら高坂さんが言った。
「ふふ。丹精込めて私のいろいろな念を入れて呪…作ったから。さ、召し上がれ。」
サリナさんが花梨の前にボウルを置いた。真緑の液体はボコボコとマグマのように泡を立てている。
店中になんとも言えない薬草のような匂いが立ち込めた。
「あ…えっと。お気持ちは嬉しいんですけど…」
これは食べ物には見えないとはさすがに言えなかった。
「ごめんなさいねえ。冷やすとだいぶマシになるのだけど。大丈夫。苦くならないようにハチミツたっぷり入れたから。さ、どうぞ。」
サリナさんはニコニコ笑いながらスプーンを花梨に押し付けてくる。
「ありがとうございます…」
サリナさんの笑顔に負けた花梨は、スプーンを受け取ると液体を掬ってみた。
どろ
野菜をすり潰してくたくたになるまで煮込んだような感触だ。
なんだろう。野菜のピューレ?だと思えば。青汁。これは青汁よ。
花梨はええい!と口にスプーンを突っ込んだ。
「あ、そんなに不味くないかも。」
「はははは。よかったな、サリナさん。」
「私は不味いものなんて作らないわよ。」
「あ!ごめんなさい!」
「いいのよ、さ、全部飲んで?」
不味くないとは言え美味しくもないその液体を、花梨は飲み干した。
お腹がぽかぽかする。張り詰めていた糸がふわりと緩んで、花梨はへらっと笑った。
「さ、今日はもうお帰りなさい。今夜は早く寝るのよ。明日になればすっきりしているからね。」
全部、ぜーんぶすっきりしてるから、とサリナさんは笑顔で強調した。
花梨はお会計を済ませると、足取り軽く出て行った。
「…許せないな。」
花梨がいなくなった後、高坂が低く呟いた。
「オイタが過ぎるわね。実害がないから放っておいたけど。私のかわいい花梨ちゃんが毒牙にかかっているなんて。いくら呪ってもアレらはしぶといから困っちゃうのよね。」
サリナさんはため息をついた。
「そう言われると僕も弱っちゃうな。」
「あら、陸君は快楽や欲望に負けたりしないでしょう?」
「杏さんに関しては負けっぱなしだよ。」
「陸君は他に何にも興味がないものね。まあいいわ。アレはたっぷり呪っておくから。」
ふふふとサリナさんは妖しげに笑った。