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魔法使いは恋をしない  作者: 九用 赤雲斗
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竜の髭

弟子入りから一月あまりが経過し、そろそろ春が終わりつつある。

日が経つごとに温かくも爽やかな春風が遠のき、その代わりにしっとりとした湿気と動植物の命の気配が濃くなっていくのを、スイは肌で感じていた。


今日は全天を薄い白雲が覆っている。

昼間であるにもかかわらず室内が薄暗いため、天井から吊るされた月光花がぼんやり光っており、その頭上から降り注ぐほのかに青白い光を使って、スイは自分の席で魔導書を読んでいた。

この居間中央に据えられているテーブルには当初、椅子はソラとメイの分の合計二つしか用意されていなかった。ニナは飲食を全くしないというわけでもないようだが、さりとて本格的に食事をすることもないので、居間の椅子は不要だったのだろう。

とにかく、そういう理由から椅子は二つだけだったが、ちょうど先週スイ用の椅子が追加された。スイの寝室は、元は物置部屋だったこともあってあまり快適とは言えないので、たかが椅子一つと言えど自分の居場所が増えたことで心理的に安心感が増した。

「雨、降って来たな」

パラパラと降って来た雨粒が屋根に当たって弾ける軽やかな音が鳴り始めた。サーッと軽い雨音をBGMに勉強を続けつつ、そういえば朝方に出かけて行ったソラは傘を持っていただろうかと記憶をたどった。

「んー…たぶん、持ってなかったはずだけど」

だが行き先を知らされていないので、どの道、傘を届けることは不可能だ。

「タオルの用意だけはしておくか」

大きめのバスタオルを棚から持ってきてソラの椅子に置いたと同時に、雨音に混じって外から足音が聞こえた。どうやらソラが帰って来たようだ。

「良いタイミングだったな」

スイの方から先んじてドアを開けると、ずぶ濡れになったソラが立っていた。

「た、ただいま〜」

ソラがどんよりした声を出す。

「どうしたんですか、先生?」

確かに雨は降っているが、こんなにずぶ濡れになる雨量ではない。スイからタオルを受け取りながらソラは答えた。

「川に落ちたのよ。もう最悪」

軽く全身の水気を拭きとると、ソラはそそくさと風呂場へ向かった。


数分後。

ソラは素早く着替えを済ませて、今はタオルで髪の水気を吸い取っている。スイは体が温まるようにお茶を淹れつつ、尋ねた。

「先生ともあろう人が、なんで川なんかに落ちたんです?」

「カーマの材料を探してたの」

「覚えていてくれたんですね」

ソラの口からカーマの名前が出たのは久しぶりだったので、スイは上機嫌になって自分の席に着いた。熱いお茶を差し出すと、ソラは心外そうな顔をしながら受け取った。

「当たり前でしょ?私はこう見えて義理堅いの。約束を反故にしたりしないわ」

そして唇を尖らせて、お茶を慎重に啜る。

「そのカーマの材料って?」

「水竜の髭」

「へえ。水竜に髭があるんですね。知りませんでした」

竜という生き物の存在は有名だが、非常に貴重で滅多に人の前に現れない。世間に広まっている竜の姿は、その殆どが誰かの想像でしかないのだ。そしてスイが知っている水竜の絵には、髭が描かれていなかった。

「まあ、そう呼ばれてるだけで、本物ではないでしょうね。あれは多分、何かの植物の根だと思うわ」

スイはまだ見ぬ水竜の髭とやらの姿に想いを馳せた。

「その髭は、精霊しか持ってないんですか」

「そう。なんとかして髭を盗もうとしたんだけど、失敗して池に突き落とされたわ。奴ら、ちっこい癖に力持ちなんだから」

ソラは自分の口から説明しながら、精霊にしてやられた時の苛立ちが再燃してきたらしい。

「濡れ鼠になった私をみんなで指さして、ケタケタ笑ったわ」

ソラは奥歯をギリッと噛み締め、握り拳を震わせ始めた。

「精霊ごときにやられるなんて、屈辱…いつか思い知らせてやるわ」

「まあまあ。溺れたりしなくて良かったです」

ゾノの時みたく激情されては敵わない。スイが宥めると、ソラは辛くも怒りを飲み込めたようだ。ひとまず安心したが、ひょっとするとこれが今後のお約束になりはしないかと先が思いやられる。

「でね。次の交渉にはスイ君に行って貰いたいの。私は精霊に顔を覚えられちゃったから、もう行けないのよ」

「先生ですら失敗したのに、俺なんかにできますか?自信無いです」

スイが思わず弱音を吐くと、ソラはむしろ好都合だと言うように澄ました顔になった。

「そう?なら、止めておく?精霊は年を跨ぐと生まれ変わるから、スイ君が行かないなら次のチャンスは来年になるわね。別に、私は構わないわよ?」

それを聞いた途端、スイは顔色を変えた。念願のカーマが一年も遠ざかるとあっては、是非も無い。

「いえ。行きます。行かせて下さい」

「よろしい」

そして髪を拭き終えたソラが湿ったタオルを机に置いたとき、研究室からニナがやってきた。

「おかえり、ソラ。災難だったみたいだね」

ニナの顔を見た途端、スイにある考えが浮かんだ。確かニナは人形に憑依した精霊だと言っていたから、精霊と交渉する際に役立ってくれるかもしれない。だが、そんなスイの提案を聞いたニナは「はぁ?」と頓狂な声を出した。

「忘れちゃったのかい?私は人形に憑依した”妖精”だよ」

「…そうだっけ。そもそも妖精と精霊って、どう違うの?」

「ふむ。魔法界隈では両者は明確に区別されるが、一般だと混同されがちみたいだね…よし、説明してあげよう」

ニナは張り切った様子で、メイの椅子の上に立った。普通に座ると顔の下半分が机で隠れてしまうのだ。

「まず私を含めた妖精は、なんらかの生物の象徴なんだ。人の妖精、虫の妖精、草の妖精など…この世の生物と同じ種類だけ多種多様な妖精がいる。でも精霊は世界そのものの具現だ。つまり風の精霊、雨の精霊、石の精霊といった具合に非生物に由来している」

ソラはニナの話を聞きながら、自分が使ったカップとポット内に残っていたお茶をニナの前に寄せた。それに気づいたニナは別に気にする風でもなく、ぬるいお茶を一杯だけ飲んで喉を潤してから、話を再開した。

「妖精と精霊の間には魔法的な差異が多々あるが、一番分かりやすい違いは、言葉を話せるか否かだ」

妖精のニナが今こうやって話しているということは、精霊は話せない側ということになる。

「精霊は話せないの?」

ニナは頷いた。

「その通り。どんなに小さくて単純な生物でも、生存するために多少の意思は持っているもんさ。

もし君が意思は人間固有の概念だと考えているなら、本能や習性と換言してもいいけど…とにかく、妖精も生物を模した意思を持っていて、それを表現するための手段を獲得している。しかし命が無い風や雨に意思は必要ない。故に、その具現である精霊は言葉を持たないんだ」

ニナはティーポットを傾けたが、もうお茶は残っていなかった。

「なにか質問は?」

ニナに促され、スイは浮かんだ質問をそのまま口に出した。

「ニナは何の妖精なんだ?」

するとニナは肩をすくめた。

「私は純粋な妖精じゃないから、特に決まっていないんだ。ま、大した問題じゃない。さて…では、いよいよ本題に入ろうか。水竜の髭についてだ」

スイはさりげなく姿勢を正した。

「で、いま説明したように基本的に精霊と会話は成立しない。しかし精霊の行動は全くの出鱈目というわけでもなく、自然と同じく一定のパターンがある。精霊たちの行動パターンを分析して、未来の動きを予測できれば髭を回収するのも難しくない」

「簡単に言ってくれるわね。その分析が難しいんじゃない」

とソラが横から文句を言うとニナが「それが魔法使いの腕の見せ所だろ?」とあっけらかんと返す。

「世界はまるで、法則という名の糸が無数に絡まり合った巨大な糸玉みたいな物さ。その混沌から一本ずつ糸を解いていくのが学問であり、魔法使いの有り方というものだろう?」

面白くなさそうにソラが黙ったので、ニナは再びスイに視線を送った。

「今回の仕事は、君に魔法使いの才能があるかどうかの試金石になるかもね」

「プレッシャー掛けないでくれよ」

スイが情けない顔をすると、ニナの悪戯心に火が灯ったようだ。

「ちなみにメイは精霊の相手が上手いんだ。それはもう、ソラ以上にね。もし君がメイを差し置いてソラの後を継ぐつもりなら、負けていられないぞ?」

「メイ、か…」

同じ家で生活している以上、何度か顔を合わせた。だが、どうやらメイから一方的に嫌われているらしく、スイとメイの関係は、未だに挨拶すらまともに交わせない程度のものだった。この家庭内の不和を解消するのは、新参者である自分の責務だとスイは考えていた。だから、これはメイと距離を縮めるための良い口実になるかもしれない。

「先生、メイを誘って行ってもいいですか?」

ソラにとって、このスイの提案は意外だったらしい。

「私は構わないけど…いえ、ぜひ誘ってあげて欲しいわ。よろしくね」

これ以上メイの話を続けたくないとでも言いたげに、ソラは席を立った。

「はい。じゃあメイが帰ってくるのを待ちますね」

研究室に向かう途中のソラの背に、スイは言った。


ニナと居間で二人きりになったところで、スイは声をひそめた。かねてから気がかりだった話題を切り出すことにしたのだ。

「なあ。先生とメイに何があったの?」

とてもじゃないが、当人たちに直接訊けないことだ。

「うん…まあね」

ニナは疲れ混じりに息を吐いて、力無く首を振った。

「私に言わせれば、ごくありふれた思春期特有の反抗期ってやつさ。ただ君も知っての通り、ソラは生まれながらの仕事人間で、あまり母親らしくない人間だからメイとの関係はこじれるばかりなんだよ。ソラも随分と思い詰めているようだ…さらに家がゴミ屋敷になるという弊害もあった。この家ではメイが家事の大半を担っていたからね」

「なるほど」

スイは、弟子入りして最初の仕事が掃除だったことを思い出して苦笑した。

「ニナや先生が家事をやるって発想は無かったの?」

「私もソラもガサツな人間でね…散らかっていても大して気にならないのさ。もちろん良くない状態だとは思っていたんだよ?だから君が来てくれて助かった。ありがとう」

「構わないが、できればもうちょっと別の形で感謝されたかったな。俺は召使じゃないんだから」

「魔法使いの弟子か、単なる下男か…どちらに転ぶかは君の頑張り次第さ」

そのとき、スイは疑問が浮かんだ。なぜ今まで見落としていたのか不思議なくらい基本的な疑問だった。

「なあ。メイのお父さんは居ないの?」

メイの父とは、すなわちソラの夫だ。やはり複雑な事情があるだろうから、彼のことを聞きだすならニナが一番話しやすい。

「ルオのことだね。ソラとルオはメイが生まれた直後に離婚してしまったんだ。流石の私も詳しい事情は聞いていないが、やむにやまれぬ事情があったらしい」

そう語るニナはやりきれない顔をして、短いため息をこぼした。

「彼は優しい男だった…きっと良い父親になれたはずさ。もし彼さえいれば、メイとソラの関係もまだマシだったかもしれないが…ないものねだりしても無駄だな」

話が暗くなりかけたのを嫌ったのか、「ああ、そうだ」とニナは嬉しそうに何かを思い出したようだ。

「君は知らないだろうが、ルオはソラ以上に優れた魔法使いだったんだぞ?私の知る限り、彼は最高の魔法使いだ」

ニナはルオの事になると誇らしげに小さな鼻を膨らませて胸を張った。その仕草には、普段から超然とした態度の彼女らしからぬ幼稚な可愛さがあった。

「ほら、この時計」

ニナは首に掛けているチェーンを掴んで、その先端に結わえている金時計をスイに見せた。

「もう一つ、これと同じデザインの銀時計があってね。ルオは銀時計、ソラは金時計を結婚の証にしたんだと」

「なんで、先生の時計をニナが持ってるんだよ」

「預かってくれと言われたのさ…もっとも、ソラがそう言った理由は判然としないが」

ニナは肩をすくめた。

「これは私の勝手な推測だが、ソラは誰かの妻だとか母親だとか…そういう役割が嫌いなんじゃないかな。だから、結婚の証である時計を私に預けたのだろう。ルオの方は、まだ片割れの銀時計を持っているかもしれないね」

「そうなんだ。俺もいつか会ってみたいな」

「うん。そうだね。私も会いたいよ。最後に彼は、遥か彼方の国へ仲間を集めに行くと言ってたが…もう、どこで何をしているのかも分からない」

せっかく得意そうに膨らませた体を元通りに萎ませて、ニナは窓の外を寂しそうに見つめた。スイも、なんとなくニナと同じく窓の外を向いた。

「さしずめ、メイは魔法使い家系のサラブレッドってわけだ」

するとニナは丸い目をちょっとだけ大きくして、興味深そうに思案した。

「ほう?遺伝とは人間らしい発想だね。魔法の才能が子孫に遺伝するか否かは諸説あるが…でも、もし彼の力がメイに宿っているなら、嬉しいね」

切なそうに目を潤ませてにっこり微笑むと、ニナは椅子から飛び降りた。きっとルオという男は、ニナにとって特別な存在だったのだろう。

「さて、私も研究室に戻らなければ。なんたって今の私はソラの助手だからね。ルオにも、ソラを助けるよう言いつけられてるし」

ニナは、ルオが居ない寂しさを使命感で支えて研究室に向かった。その後ろ姿を見送り、スイは居間に一人だけ残って、いつ帰って来るかも分からないメイを待った。

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