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魔法使いは恋をしない  作者: 九用 赤雲斗
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魔法使いの敵


スイが弟子入りしてから、新鮮ながらも平穏に、十日ばかりが経過した。

毎日通っていては大変だろうということで、スイはこの家の書生のような立場になっていた。つまり住み込みで家事手伝いをしつつ、その合間に時間を見つけては勉強するという生活だ。

家を出ると伝えた時の父や兄たちの困り顔が、今でも鮮明に思い出せる。彼らも、いつかは末っ子であるスイに出て行ってもらわねばならないことを理解していただろう。だから、この話は彼らにとっても渡りに船であったはずだ。それでも露骨に喜んで見せるのは躊躇われた結果が、あの微妙な表情だったのだと、スイは捉えていた。家の事情はスイ自身も理解していたため、家族が表面的にでも悲しそうにしてくれただけで良かった。

もっとも、徒歩で一時間程度の距離しか離れていないので、完全に縁が切れたわけでもない。あまり深刻に考えるまでもないのかもしれない。

「やってみれば、意外と馴染むもんだな」

日課となった掃き掃除を終えて、椅子に座って休憩しつつ感慨に浸った。本格的に家事をするのは初めての経験だったので始める前は、どんなに大変だろうかと不安だった。

「まさか俺が魔法使いの弟子とはね…」

始めて来たばかりとは比べ物にならないほど整頓された居間を見回す。

「先生はともかく、メイとも仲良くしないとなぁ」

ソラは初対面時の不愛想さが嘘のように、人の良い師匠になってくれて関係は良好だ。しかしメイの方はスイと一言も交わそうとせず、顔を合わせてもすぐに立ち去ってしまうのだった。

「このままじゃマズイよな」

天井の木目に目を遣ってぼんやり考えていると、ソラが出て来た。

「おはよう。今日の掃除は終わったみたいね」

ソラは部屋を満足そうに部屋を観察した。

「丁寧な仕事ぶりで嬉しいけど、毎日やってたら大変でしょう?掃除が必要な時は私からお願いするから、基本的にスイくんは勉強に専念して欲しいわ」

「師匠がそうおっしゃるなら」

かしこまるスイに、ソラは苦笑しながらスイの前に着席した。

「その師匠ってのも照れくさいわね」

「分かりました。えっと、先生?」

「うん。よろしい」

ソラは目を細め、穏やかに笑っていた。

「じゃあ、先生にお茶でも淹れましょうか」

スイは席を立った。

戸棚から取り出した火炎晶という炎を封じ込めた結晶の棒をコンロに投入し、薪の先端で押しつぶす。脆い結晶は簡単に砕け散り、中に閉じ込められていた炎が解放されて一瞬で火が付く。

「こいつを使うと火起こしの苦労が無くて便利ですね。村のみんなに教えてやりたいです」

「火炎晶は火の精霊の落とし物よ。便利だけど、人里では手に入らないでしょうね」

火にかけられたやかんの笛が鳴るのを待ちつつ、スイはメイのことを聞こうと決心した。

ピーッと甲高い音が鳴ったのでやかんを持ち上げ、沸騰した湯をティーポットに注ぐ。

白い湯気が、花と茶の香りを伴って鼻孔に満ちる。

「メイさんって、俺のこと嫌いなんでしょうか。なにか言ってませんでしたか?」

温まったポットを持ってくると、ソラは「うーん」と悩むように唸り、自嘲するように笑った。

「ごめんなさい。私もメイのことが分からないの…母親だってのに情けないわ」

ソラは、カップに注がれたお茶を一口だけ啜った。

「そんな…俺も変なこと訊いてすみませんでした」

「いいのよ。でも、歳の近い男の子に緊張してるだけかもね。あんまり気を悪くしないであげて」

「もちろんです。先生がそういうなら」

スイの言葉に安堵したのか、ソラは優しく微笑んだ。だが、その顔に疲れが滲んでいるように見えたのは、スイの気のせいだろうか。それからは、なんとなく気まずくなってしまって会話は途絶えてしまった。

スイは親子の問題について、軽々しく質問したことを後悔した。

「じゃあ私は研究を続けるわ」

ソラは空になったカップを机に置いた。

「スイくんは本棚から、昨日教えた魔導書を探して読んでおいてね」

と机の上に置かれた初級者用の本を指さしてから、再び研究室の中に消えて行った。


昼過ぎ。

ソラの言いつけを守って、スイが魔導書を読んでいる最中、玄関のドアを叩く音がした。来客の相手をするのも弟子の仕事かと、スイは勉強を中断してドアを開けた。

「どちら様ですか?」

そこには太った男が立っていた。仕立ての良い服を身にまとい、紅玉がはめ込まれた杖を握っている指には派手な指輪を嵌めている。彼の姿を一目見た瞬間、失礼ながら「下品な金持ち」という言葉がスイの脳裏をよぎった。

その背後には、スイと同い年か少し年上らしき青年が控えている。少し伸ばした薄い金色の髪と、全体的に整っていながらも平坦な顔立ちが、いかにも都会のインテリといった雰囲気を放っていてスイは微かな反感を覚えた。

「誰だお前は」

太った男は外見の印象に違わない濁声で、しかも傲慢な言い方をした。しかもキツイ香水の臭気が漂って来て、スイの鼻を刺激した。

「っ…」

スイは反射的に呼吸を止めながら、一息で答えた。

「私はソラ先生の弟子のスイです。先生に何か御用ですか」

「私が直接話す。どけ」

手荒くスイを押しのけて、男が強引に侵入してきた。無論、インテリ風の男もスイの存在など完全に無視して随伴する。

「…はぁ」

スイは男に触られた箇所を手で払ってから、後を追った。

男が大声で怒鳴りつつ居間を横切る。

「おい、ソラ!出て来い!」

そして拳を握って研究室のドアを叩こうとしたとき、ドアが内側から突風を受けたように勢いよく開け放たれた。あまりに突然のことだったので男は鼻面をドアにぶつけると「ウゴッ」とうめき声をあげて尻もちを付いた。

「あんたもしつこいね。ゾノ学長」

ソラは床にへたり込む男を氷のように冷たい目で見降ろした。ゾノと呼ばれた男は憤慨して、でっぷりした図体の割に素早く立ち上がった。

「カーマを渡せないとはどういうことだ!あれは私が買うという約束だったはずだ!」

「だから事情が変わったんだってば…ちゃんと謝ったし、貰った金も全部返したじゃない」

「そんな手紙一つで『はいそうですか』と引き下がれるか!カーマが我々にとって、どれほど重大なのか知らんわけではあるまい」

「我々、ね…なら尚更、渡せない。私は宗教ってのが嫌いなんだよ」

この成金趣味の男は見た目に似合わず宗教家らしい。だが、ソラは学長とも呼んでいた…宗教家なのか学者なのか、スイは理解が追いつかない。

ゾノは面と向かって「嫌い」と言われたことなど意に介さず、それどころか鷲鼻を膨らませ、自信たっぷりに胸を張った。

「魔術は神が人に与えたもうた神秘だ。そうは思わないか?」

確信じみた様子で言い放つ男に、スイは思わず同調しかけた。たしかに魔術は人知を超越した部分がある。だから、そこに神の存在や意思を感じる気持ちも分かる。だが、男の言葉を聞いた途端にソラの目がハッキリとした怒気に染まったのを見て、スイは慌てて口をつぐんだ。

しかし当の本人であるゾノは、ソラの顔色などお構いなしといった具合で無駄に饒舌だった。

「魔術の力は人の手に余る。人々がイカロスの神罰を受けないように魔術を管理する組織が…我々の魔法教会が必要なのだ」

「魔法教会?」

聞きなれない単語にスイが注意を取られている間に、ソラは内側にため込んでいた感情を一気に爆発させた。

「黙れッ!」

破裂音が鳴り響いた。

ソラが男に平手打ちを見舞ったのだとスイが理解するために数秒が必要だった。ゾノはよろめいたが、辛うじて机に手を突いて踏みとどまった。

「司教様!お怪我は?」

インテリ男が初めて言葉を発した。だがゾノはインテリ男の気遣いを無碍にし、赤く腫れた頬を抑えながらも口を止めない。泡を飛ばす勢いでまくし立てる。

「君のカーマがあれば我が魔法教会は更に人心を掌握できるのだ。もし君が教会の理念に共感してカーマを提供してくれるなら報酬は思いのままだぞ。王都に豪邸が建てられるほどの大金と、魔法使いとして最高の名誉が手に入る。君だって、こんな森のボロ屋暮らしはうんざりだろ?」

「五月蠅いっ!二度と私にその汚い面を見せるな!」

二撃目を放とうとソラが右手を振り上げたが、スイが咄嗟に割って入って、ソラの腕を押さえた。

「先生。落ち着いて下さい」

「…」

ソラは渋々といった様子だったが、なんとか腕の力を抜いてくれた。

「フン。魔女風情が…後悔するぞ」

捨て台詞を吐いたゾノは重い足音を立てて、家を飛び出した。付き添いの青年は、当然かもしれないが、ソラとスイに会釈一つすることなく素早く背を向けてゾノに付いて行った。

扉が閉まると、嵐が過ぎ去った後のような物々しい静けさが居間に満ちた。

「ハーっ…」

未だ怒りが収まらないスイは、熱っぽい息を吐き出して椅子に座った。スイは何も言えず、立ち尽くした。

「ごめんなさい。みっともないところを見せたわね」

「いいえ」

スイは何故ソラがあれほど激情したのかを考えていた。

「スイ君は信心深い方かしら?今更、無理かもしれないけど、正直に言ってくれて構わないわよ」

「俺には大した信仰心はありませんけど…でも、あれほど先生が怒った理由が分かりません。ゾノが宗教を利用して金儲けをしようとしているからですか?」

「それだけなら、まだマシだわ」

ソラはうつむいて、しばらく考えていた。

「別の理由があるなら、教えてくれませんか。人に話して落ち着くこともあります」

「ふぅん。それって、優しい…のかしら?」

こちら見定めるような視線を送ってから、ソラは背筋を伸ばして深呼吸した。

「では、魔女の愚痴を聞いて貰いましょうか」

ソラは、スイにも着席するよう勧めた。

「私が宗教を嫌いな理由、それはね…人の進化に逆らうからよ」

スイは無言のまま、次を待った。

「原始の人は未知の世界に智慧と勇気を持って踏み込んだ。その勇気と智慧こそ、人と獣とを分かつ進化の原動力よ。でも宗教は往々にして未知を神聖視するあまり、勇気と智慧に禁忌や罰当たりというレッテルを貼って排除して、人の進化を妨げるわ。現に、あの男が言ったでしょ?」

スイは、ゾノがイカロスの喩えを持ち出して魔術規制を正当化したことを思い出した。

「先生は、人はあくまで進化を追及すべきという考えなんですね」

ソラはこくりと頷き、雨だれのように断続的な独白を続ける。

「でも進化に果ては無いわ…さらに、その進化が正しいという保証も無い。正解か不正解かも分からない曖昧な進化を永遠に続けるのが人の定めだとしたら…とても辛いことよね。これは、なにも人類の進化なんて大袈裟な話だけに限らなくて、個人スケールにも通ずることよ」

ソラは思い詰めた表情で、俯きながら語り続ける。それを聞きながら、スイはティーポットに残っていたお茶を二つのカップに注いだ。時間が経ち過ぎていたため、お茶はぬるくて渋かった。

「些細な日常ですら予測困難で理解不能なことで溢れてる。私とメイのことだって、その一つかも…ま、それはそれとして。そんな迷う人々に、宗教は強引で乱暴な『正解』の幻を見せてくれるの」

ソラはそこまで語るとカップを手に取って、わずかに口を湿らせた。

「だから人は宗教に縋る?」

「そうね。無知と臆病を吸収し、正当化してくれるブラックボックス…宗教は得てして、そんな邪悪な機能を自然と備えている。詐欺師と為政者にとって、これ以上に好都合な物はないわ」

「宗教を利用して支配する人も支配される人も、どっちもどっちってことですか」

「そうなると需要と供給の問題だわ。人々の中に神を求める弱い心がある限り、そこに付け込もうとする悪者はいくらでも湧いて来る」

そのときソラの横顔に薄い陰が差した気がした。ソラの宗教嫌いの理由には、一般論だけでなく私的な事情も含まれるのではないだろうかと思ったが、余計な詮索をするのは止めた。

「スイくん。強くなりなさい」

ソラはカップを机に戻し、話を締めくくろうとしていた。

「私もまだまだ途上だけど、誰にでも曖昧という苦しみに耐える強さが必要だわ」

「はい。分かりますよ。先生の言いたい事」

スイが慰めるように微笑みかけると、ソラは再度自嘲した。

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