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魔法使いは恋をしない  作者: 九用 赤雲斗
3/8

村の日常

スイは陽が落ちるまえに森を抜けた。

西の空で熟れた柿のような太陽が輝き、樹木の葉が紫色に染まっている。

「ただいま~」

家に入ると、夕飯の良い匂いが充満していた。肉の煮える湯気に香草の香りが混ざっている。

「おかえり。あれ?スイだけ?」

台所でかまどの火を見ていた少女が迎えてくれた。

肩甲骨の辺りまで伸ばした明るい茶髪を束ねており、年齢よりも少しだけ幼い顔立ちをしている。服装も顔立ちも、いたって平凡で素朴な村娘のそれだ。容姿に華やかさは無いが、純朴さや包容力が滲み出ている。

彼女はチカといって、同い年の幼馴染としてスイの家によく出入りしている。

「お兄さんたちと一緒じゃなかったの?」

「兄さんたち、まだ帰ってないんだ?」

スイには三人の兄がいるので、スイは男四人兄弟の末っ子ということになる。

「こんな時間まで、どこ行ってたの?」

チカは窓から空を見上げて、口を尖らせた。藍色に染まりつつある空に、砂粒のような星がちらついている。

「母さんみたいなことを言うんだな」

「うん。おばさんとした最期の約束だからね」

スイの母は三年前に病で他界した。

母は家庭において唯一の女手であって、自分が死んだ後のことを心配していた。だからチカに、スイたちの面倒を見てくれるように頼み込んだと聞いている。

「世話焼いてくれるのはありがたいけど、無理しなくていいんだぞ?父さんや兄さんたちと分担すれば、俺たちだけでも家事くらいできるさ」

ソラの家の掃除が思いのほか上出来だったので、スイは付け焼刃の自信を付けていた。

「母さんとの約束だって、落ち着くまでの少しの期間だけって話だったんだろ?チカも大変じゃないか?」

「もう三年も続けてるし、いまさら私は苦じゃないよ。それに、いざ私が来なくなったら滅茶苦茶になっちゃったじゃない」

チカは苦笑しつつ、夕飯のスープを皿によそった。

確かに、以前、同じような話が出たことがあった。当時のチカは納得してスイの家に通うのを止めたが、一週間後に様子を見に来たら家はすっかり散らかってしまっていた。

「それは、もう二年前の話で…」

「はいはい」

反駁しかけたスイをおざなりに黙らせて、チカは配膳を進める。一人分の汁物とパンを食卓に乗せると自分も椅子に座り「さっさと食べちゃって」とスイを急かした。

「もう…」

喉までせりあがって来ていた不満を飲み込み、チカと向かい合うように座って夕食を口に運ぶ。


夕食を半分ほど食べ終えたところで、玄関から数人の話し声がした。

「お兄さんたち、帰って来たみたいね」

スイの食事を観察しつつ休憩していたチカはゆったり立ち上がって台所へ戻り、残り四人分の準備を始めた。

「みんな、おかえりなさい」

チカが言うと、三人の兄と父を合わせた四人は口々に「ただいま」と返すと、そのまま居間を素通りして奥へと消えて行った。彼らはいつも夕食前に風呂で畑仕事の汚れを落とすのだ。

「…」

スイはこっそり、食べるペースを速めた。

夕飯の残りを急いで胃に収め「ごちそうさま」と言うが早いか、立ち去ろうとした。だが丁度、部屋着に着替えて風呂から出て来た父に呼び止められてしまい、その場に残ることになった。

後が控えているため、一番乗りである父の風呂はいつも烏の行水なのだ。

「いい湯だった…チカちゃん。いつもありがとう」

濡れ髪をタオルで雑に吹きつつ、落ち着いた低い声で父が礼を言うと、チカは「いえ、そんな」と恐縮した。

「チカちゃんみたいなお嫁さんが来てくれると大助かりなんだがなぁ」

父は冗談っぽく大声で笑う。それと同時に、スイは内心で苦虫をかみつぶした。チカは「いやぁ、私なんて」と謙遜しつつ、恥じらうように体を揺らしている。

「父さん、もう遅い時間だよ」

一秒でも早くこの場を片付けたい一心で、スイが割って入る。

「そうだな。スイ、チカちゃんを送って行きなさい」

「うん。行くぞ」

スイは玄関に置いてあるランプを手に取り、チカを連れて家を出た。



二人並んで暗い夜道を歩く。

今日は新月らしく月が出ていないので、スイが持つ月光花の青白い光が唯一の明かりである。月光花は特殊な性質を持つ花だ。夜になると強く光る花びらの表面は、粘着質な膜で覆われている。この膜で引き寄せられた羽虫を捕獲し、消化する。

田舎住みの貧乏人は、この月光花を植えた鉢植えに持ち手を付けてランプの代わりにしている。都市部の金持ちは油を燃やす本物のランプを持っているらしいが、スイは殆ど見たことが無い。


ザッ…ザッ…ザッ

規則的に砂地を踏む音がする。


「気にするなよ。父さんだって本気で言ってるわけじゃないさ」

道も半ばを過ぎたあたりで、ようやくスイが沈黙を破った。

「そもそも俺が結婚なんて、気が早すぎる」

「うん」

「モク兄さんがもうじき結婚するからって舞い上がってるんだよ」

モクというのは一番上の兄の名前である。

「父さん、ああ見えて心配性でさ。チカも知ってるよな?」

「…うん」

「母さんが死んでから、心配性が酷くなったと思わないか?」

「……うん」

さっきからチカは半ば上の空で生返事を繰り返すばかりだ。


溜息を吐きたくなった。


実のところ、スイはチカが自分に気があることを薄々察していた。なぜそう言えるかといえば、近頃のチカは二人きりでいると女っぽい雰囲気を纏うようになったからだ。今まで経験したことのないチカの発する甘ったるい匂いは、スイに微かな嫌悪感を抱かせた。


スイは夜の清涼な空気を胸一杯に吸い込んだ。

「俺、魔法使いの弟子になったんだ」

「え?」

突然の告白を聞いて、隣を歩いているチカが目を丸くしてスイを見る。チカの目に、ランプの光が反射したのが見えた。

「意外か?」

「そうだね。今までそんなこと一回も言わなかったし…その魔法使いってウォロさんのこと?」

ウォロというのはスイの村に住んでいる魔法使いで、魔法道具を作っている。このランプも彼の作だ。

「いいや。森の中に住んでるソラって魔法使いだ…たまに薬を売りに来るだろ?」

「ああ…あの人ね。おじさんの許可は取ってるの?」

「まだ話してないけど…どうせ許してくれるさ。うちの畑は小さいから」

昔は赤ん坊のうちに死んでしまう子も多かったので、女は多めに子供を産むものだった。だが近くにソラが住み着いて薬を持ってくるようになってからは、無事に成人する子供が増えた。そのため、持っている畑では家族を養い切れない家が出て来た。

そういった家の末っ子は村を出て街へ働きに出て行ったので、スイの決断も別に不自然ではないはずだ。

「スイも、いつかは街に行っちゃうの?」

チカは寂しそうに尋ねた。スイが村を出てしまえば、もうチカと結ばれることは無くなる。そのことを、チカは暗に言っているのだろうと思われた。

「それは、まだ分からないけど…」

そういう意味で言ったわけではなかったのだが、スイの方も気まずくなって黙りがちになってしまった。

「ここまでで、いいよ」

チカがポツリと言った。

少し離れた所に、チカの家の灯りが見えている。

「そうか…じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


スイは体を反転させ、来た道を独りで引き返す。

スイを悩ませている重苦しい感情を一言で表すなら、後ろめたさ、となるだろうか。自分に好意を抱いて献身的に尽くしてくれるチカの想いに、いずれは応えねばならない。それが、いままでズルズルとチカに甘え続けてきた自分の責任である。

「なにやってるんだろうなぁ、俺」

自分でも馬鹿な事をしている自覚はある。誰に頼まれたわけでもないのに勝手に自分を痛めつけて、なにかをやり遂げたかのような独善的な自己満足に浸っている。

「でも、これが俺なんだよ。仕方ないだろ」

噛み締めるスイの手元では、月光花が冷たく光っていた。

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