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魔法使いは恋をしない  作者: 九用 赤雲斗
2/8

魔女の家と、その住人たち

中に入ると、ゴミの山の奥にドアが三つ並んでいるのが見えた。脚の踏み場も無いほどゴミが散乱した床には、得体の知れない物体が転がっていてもおかしくない。スイは足元を確認しながら、恐る恐るソラの後を追った。

中央の扉を開けると、そこはソラの研究室だった。やはり居間と同等か、それ以上に散らかっているが、壁際の椅子に一人の少女が座っている。

背丈から察するに、年齢は十歳前後だろうか。着ている服はモノトーンの落ち着いた色使いではあるが、細かな刺繍とレースが施されており、日常の衣服というよりはドレスや衣装といった趣に見える。この衣装に加えて微風に揺れる長い髪が更なる可憐さを演出しており、人形のような印象を受けた。

その少女が、たおやかに顔を動かして、スイをジッと見据える。

「ん、誰だい?」

見た目とは裏腹に、妙に男っぽく大人びた話し方だった。

「スイ君よ。弟子にするかもしれない」

ソラがスイに代わって応えると、少女はパチリと瞬きして長いまつ毛を揺らし、瞳に好奇心を滲ませた。

「ほう。これは一体、どういう風の吹き回しだい?ソラが弟子を取るなんてさ」

「いつ弟子を取ろうが、私の勝手でしょ」

「そりゃそうさ。でも、果たしてメイがなんていうかな」

「メイ?」

スイは初めて出た名前を反芻した。他の住人のことだろうか。

「なあ、君」

そうスイに話しかける少女の口ぶりからは、大人が子供に接するときのような自然な侮りに由来する馴れ馴れしさを感じた。だが少女の不思議な雰囲気のおかげで、不愉快ではなかった。

「ソラの弟子になるんだろう?私はニナだ。ここでソラの助手をしている。これからよろしく」

ソラが「まだ決定じゃないわ」と注釈したのを無視して、ニナと名乗った少女は不敵な笑みを浮かべた。言葉遣いだけでなく、細かな所作にも子供らしからぬ凄みを感じる。だから、スイは慣れない年下相手でも敬語を使うのに苦労せずに済んだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

ニナは鷹揚な手つきでスイの改まった態度を制した。

「礼儀正しくて結構だが、私にかしこまる必要は無い。私たちは仲間だ…気楽にいこうじゃないか」

「分かりました…いや、分かったよ。ニナ」

「うん。よろしい」

そして、にこやかに笑う。ようやく年相応な顔になったので、ついスイの引き締まっていた顔も綻ぶ。

「でもニナは凄いな。まだ子供なのに先生の助手なんてさ」

「ん?いや私は子供ではないよ。そもそも人間ですらない」

驚くスイの顔が可笑しかったのか、ニナは喉をクククと鳴らした。

「私は人形に憑依した妖精なんだよ」

「人形…?」

スイはぐっと顔をニナに近づけ、目を凝らす。それでもニナの体に人形らしい形質は読み取れなかった。瞳は複雑な模様を内側に湛え、肌はすべすべと滑らかで、華奢な両肩は息遣いと同期して上下している。

「なんだよ。まじまじと見つめないでくれよ。照れるじゃないか」

そんな言葉とは裏腹に全く照れる様子はない。

「人形なんて嘘だろ」

「ふふ。まあ、無理もない」

ニナは誇らしげに胸を張った。

「この体は一流の職人の作であるし、魔術的な隠蔽も施されている…素人目には本物の人間よりも人間らしく見えるはずだよ」

「そんなことがあるのか…」

驚いたが、それと同時にニナの持つ独特な空気感に説明が付いた気がして納得した。

「それにしても妖精、か」

そのときスイは森で助けた少女を思い出した。彼女もニナと同様に、子供らしからぬ神秘的な雰囲気を持っていた。

「ニナ?実は、ここに来る途中、こんなことがあったんだ…」

そしてスイの説明を聞くと、ニナは「それは妖精で間違いない」と断言した。

「妖精を助けるとは感心したよ。そのうち恩返ししてくれるかもしれないね」

ニナとスイの話が一段落したタイミングを見計らって、ソラが咳払いした。

「スイ君に大事なことを聞き忘れていたわ。なぜカーマが欲しいの?好きな娘でもいるのかしら?」

「おぉ!君はカーマが欲しくて弟子になったのか。是非に、私にも聞かせておくれ」

ニナが宙ぶらりんの足をバタバタさせて愉快そうに茶々を入れたが、ソラに睨まれたので首をすくめて口を噤んだ。

「で?カーマを何に使うつもり?」

気を取り直して、ソラが問い直す。スイは照れ笑いした。

「どうしても、言わなくちゃいけませんか?」

「ええ。聞かせて」

ソラは真剣だが、それでもスイは中々話そうとしない。沈黙が長引くほど、部屋の空気も重くなっていく。

「どうしたの?まさか、私に言えないような目的があるのかしら?」

ソラが苛立たしそうに床をトントンと鳴らす。するとニナがスイに助け船を出してくれた。

「まあまあ。恋だの愛だのというデリケートな問題を、会ったばかりの他人に伝えるのは抵抗があるだろうさ」

「ニナ…でも…」

ソラは渋っている。

「考えすぎなんだよ、ソラは」

ニナは椅子の上に立って、スイの肩に手を置いた。

「見てみなよ。こんな片田舎の少年が魔法薬を悪用するなんて、本気で考えているのかい?」

それでもソラは怪訝な顔で返事を躊躇っていたが、最終的には曖昧に頷いた。

「そうね…まあ、ニナが言うなら」

その時、ニナはこっそりスイに向かってウインクした。

「よし、スイ君。私は君を弟子にします」

「はい…ありがとうございます」

そして握手を交わす二人の横で、ニナが「実にめでたい」と一人で暢気に拍手していた。

「そして、あれが君のお目当てのカーマよ」

ソラが部屋の奥を指さし、スイも反射的にそちらを向くと、そこには透明な液体が洒落たガラス瓶に入っていた。

「あれが…」

思わず見惚れるスイに釘を刺すようにして、ソラは付け加えた。

「まだ未完成品だけどね。あれが君の物になるかは働き次第よ」

「分かりました。頑張ります」

我ながら現金なもので、実物を見せられると未来への不安が消え去って、その代わりに、なんとしてもカーマを入手してみせるというやる気がみなぎって来た。

「じゃ、とりあえず掃除しといて」

「え?」


スイをポイッと研究室の外に追いやると、ソラは奥の研究室に籠ってしまった。既知の事項ではあったが、改めて嵐が通り過ぎた後のような部屋を見回すと、自然とため息が零れる。

「マジか…」

早くも弟子入りを承諾したことを後悔しそうになるが、カーマを手に入れるためなら泣き言は吐けない。

「やるしかないな」

散乱した物品を元の位置に戻そうにも、スイは元の状態の部屋を知らない。考えても仕方ないので、スイは一番目立つ机から取り掛かることにした。部屋の中央に置かれた大きい机の上には、汚れた食器の山ができている。

「にしても、どうやったらこんなになるんだ」

スイの眼前に聳えているのは、芸術的に積みあがった食器のタワーだ。机と合わせればスイの背丈ほどもある塔の周囲を一周して、周辺を飛んでいるハエや住み着いたゴキブリなどがいないか調べたが、幸いなことに虫の類は見つからなかった。

「どうやら虫は湧いてないみたいだな」

馬鹿みたいな低レベルの安心をしつつ、スイは一枚の皿を掴んだ。


ズルっ…


正体不明のぬめり気のせいで、指が皿の上を滑った。

「っ…!」

指先から侵入した不快感が電流のように背骨を駆けあがり、その冷たい余波が鳥肌となって全身を包み込み、震わせた。反射的に手をひっこめそうになったが、下手に力を加えると食器タワーが崩壊してしまう。

スイは血の気の引いた顔で、動くに動けず、不自然な姿勢で硬直した。

「待て…落ち着け」

自分に言い聞かせる。

「これは汚いだけだ。毒じゃあるまいし、触ったって死にはしないさ」


でも病気くらいにはなりそうだ。


スイはブンブンと頭を振ってその雑音を掻き消すと、そこからは無心になって掃除に本腰を入れた。

汚れに抵抗があるのは初回だけで、二度目からは気にならなくなるものだ。パズルを解くときのような要領で注意深くタワーを解体し、部屋の隅に置かれている貯水花の中に片っ端からぶちこむ。

ちなみに貯水花とは、一抱えほどもある大きな花だ。肉厚な壺状の花の中には水が溜まっているのでシンクや風呂に使える。この水は遠くの水源に根差している親株からはるばる地下茎を伝って供給されているため、常に清潔さと一定の水量を保っている。言うまでも無く非常に人間に都合の良い植物で、これが無い生活は考えられない。

人伝に聞いた話だと貯水花が生息しない地域では、人が地下に巨大な水道網を掘って貯水花の代用にしているらしい。

「ごめんな。お前も嫌だろうけど、俺だって嫌なんだ。辛抱してくれよ」

汚れた食器を詰め込まれた貯水花は、苦しそうに膨らんだ。透明だった水は、食器が投入されるたびに絵筆を洗った水みたく様々な色が溶け合い、やがてドブのような暗緑色に変わった。

タワーの解体工事が一段落すると、そのドブの中に手を突っ込んで食器一つ一つを洗う作業が待っている。ここでもスイは、秘境の湖のような平静さを維持して…あるいは心を殺して、淡々と目の前の作業を消化していった。

「…ふぅ」

スイは仕事終了の合図として、一息ついた。窓の外を見れば、日が低くなって夕焼けの気配が漂い始めている。

「達成感は、あるな」

不本意そうにスイが言った。ここまで仕事してもマイナスがゼロに戻っただけなので、あまり喜ばしくない。だが、居間の中央にそびえていた塔が消えただけでも、大分見晴らしがよくなったのは確かだ。

「でも、まだ終わりじゃないんだよなぁ」

机の掃除が終わっても、床には物が散らばり、本棚は本来の役目を放棄している。

「明日中に終われば御の字、か」

そのとき、何の前触れも無く玄関のドアが開いた。

「誰よ。アンタ」

勝手に入って来た女の子は、開口一番に不機嫌そうに言った。

夜色の丸くて大きい瞳と、ほのかな桜色にそまる頬。短く細い髪が揺れ、すっと通った鼻筋と桃色の薄い唇が、小ぶりな顎に支えられた顔にきれいに配置されていた。ピンと長く伸びたまつ毛は可憐さだけでなく、しなやかな強さも感じさせる。

本来は愛嬌溢れる可愛らしい顔立ちであるはずだが、スイに向けられる目には露骨な敵意に染まっていた。

「俺はソラ先生の弟子だけど…君は?」

尋ねつつ、スイはさっきのニナとの会話を思い出した。たしかメイという名前が出たはずだから、この子がメイなのかもしれない。女の子は驚いたようで目を丸くして後ずさる。

「お母さんの弟子?アンタが?」

その拍子に女の子の背後にあった本の山にぶつかった。本の山が雪崩を起こして、白い埃を巻き上げる。

「なになに?どうしたの?」

物音を聞きつけたのか、今度こそソラが研究室から顔を出した。ソラは女の子を見ると「ああ。紹介するわ」とスイに向かって言った。

「メイよ。私の娘で、今年から十五歳」

スイの推測は当たっていたらしい。スイはメイに向かって会釈した。

「ちょっとお母さん!弟子って本当なの?」

ヒステリックな大声を上げるメイにもソラはひるまず「本当よ?」と平然と返す。

「で、こっちが今日から私の弟子になったスイ。二人とも仲良くね」

しかしソラの言葉通りにはいかず、メイは警戒心を解こうとしない。

「…」

相変わらず鋭い目をして、身動ぎせずにスイの出方を伺っている。そのピリリとした緊張の糸を切ったのは、スイの方だった。

「えっと、よろしく」

スイはソラと初めて出会ったときのような笑顔を作った。だがメイはフンと鼻を鳴らした。

「アンタなんかが、お母さんの跡を継げるわけないじゃない。私、認めないから」

吐き捨てるように言ってから、ツカツカと右奥のドアへ歩いて行った。

あの部屋がメイの自室らしい。ドアが外れそうなほど乱暴に開閉して、メイは自分の部屋に閉じこもってしまった。

「難しい年ごろってやつなのか?」

メイの尋常ではない態度に対して、怒りよりもむしろ驚きの方が勝った。

「ごめんなさいね。あの子、ちょっと気難しくて」

ソラはバツ悪そうに詫びてから、机の上の塔が消滅していることに気が付いた。

「真面目に掃除してくれたのね…今日はもう帰っていいわ。また明日いらっしゃい」

スイはソラの家を辞去し、暗くならないうちに自分の村に戻った。

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