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魔法使いは恋をしない  作者: 九用 赤雲斗
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弟子入り


五月雨の痕跡が若草の上で白く光っている。

名も知らぬ草花が淡い色の花で彩られた春色の森を、一人の少年が歩いていた。彼は十八歳で、名前はスイという。この魔法の森と呼ばれる森はスイが暮らす村から徒歩で約一時間の地点に位置しており、見た目には平和な森だが、危険な生物が闊歩する禁足地帯でもある。


大人ですら丸呑みにする大蛇、子供を言葉巧みに攫う邪悪な妖精、食べると獣に姿が変わってしまう呪いの果実。


そんな真偽も不明な恐ろしい話を、子供時代に大人たちから何度も繰り返し聞かされてきた。きっと多分に誇張を含んでいただろうが、幼き頃のスイは本気で恐れていた。流石に今の年齢になれば完全に信じ込んでいるわけではないが、それでも染みついた感覚はそう簡単には拭えない。それに、実際に魔法の森に行ったきり帰ってこない人も多いので、ここが危険な場所であることに変わりは無い。


人一人が通れる程度の細い道の両脇が生い茂る草木に覆われている。

スイは一人前の大人といえる年齢ではあるが、視界の悪い危険な森で一人ぼっちと言う状況は、やはり心臓の鼓動が早まるのを抑えられない。

「す、すぐそこから…化け物が襲い掛かってきたり…なんてな」

やせ我慢の結果、自分以外に誰も聞いていない軽口を叩いてみる。

途中で川を横切り、それからも独りで歩き続けていると突然、茂みがゴソゴソと揺れた。

「魔獣かッ!」

とうとう悪い想像が現実になったのだろうか。

腰を落とし、いつでも逃げ出せる態勢を取って茂みを睨む。しかし茂みから出て来たのは、精々手のひらほどの大きさのキノコだった。

「あ?なんだこれ?」

茂みから小さなキノコが次々と一列になって飛び出してきた。キノコはクネクネと体をくねらせながら踊るように歩いている。

呆気にとられるスイに構わず、キノコは行進を続け、やがて反対側の草むらに消えて行った。

「流石は魔法の森だ」

キノコが消えて行った方の茂みを見つつ「ハハハ…はぁ」と脱力した。

「ま、この程度なら可愛いもんだな」

森に入ってからずっと気を張っていたが、珍妙なキノコのおかげで警戒感が少し緩んだ。


足取りもゆったりしてきて、周囲を観察する余裕も生まれる。

「不思議な森だなぁ」

人の手が入っていない野生のままの森は、無秩序に拡大した木々の影のせいで薄暗くてジメッと不気味な雰囲気になるものだ。にも関わらず、スイの目の前に広がる森は絵本から出て来たかのように理想的な美しさを持っている。

柔らかそうな黄緑色の下草が土を覆い、所々で淡い色の小さな花々が可憐に咲いている。その上を、白い蝶が春風に揺さぶられながら、音も無く静かに飛んでいく。スイが踏みしめている道にも、黄緑色の若葉が茂る梢に春の柔らかな日差しが差し込んで白い斑点を作っていた。

「きれいだ…」

そのとき遠くから、何かの鳴き声がした。

「?」

すっかり弛んでいた神経を慌てて尖らせたスイは、身を固くして耳を澄ませた。

「なんだか小動物みたいな声だった気がするけど」

よく聞こえなかったが、少なくとも猛獣の唸り声などではなかった。胸騒ぎがしたのでスイは鳴き声の発生源に向かうことにした。


向かった先には、子供が地面にへたり込んでいた。

「こんなところに、子供が?」

相手もスイに気付いて、無言で見つめ合う。

まるでお互いに「なんでお前みたいな奴が、こんな場所にいるんだ?」とでも問うているような目を向け合う。


数秒が経過し、スイは我に返った。たしかに不思議ではあるが、今はそれどころではない。

「怪我、したの?」

スイが尋ね、近づこうとしたとき、少女が突然叫んだ。

「来ないで!」

可憐な外見からは想像もできない鋭い声に驚いて、足を止める。

「あの…足元を見て下さい」

少女は遠慮がちにスイの足元を指さす。

それにつられてスイも地面に目を落とすと、葉を放射状に広げた植物が生えていた。その葉には鋭く細い針がサメの歯のようにビッシリ並んでいる。

「なんだこれ」

見たことの無い危険そうな植物に驚くと、少女が答えた。

「それはグレイプニルです。踏めは瞬時に葉が閉じて、足に食らいつきます」

「そんなものがあるのか」

丈の長いスカートのせいで少女の足がよく見えなかったため気づかなかったが、少女はこの植物の罠に掛かってしまったらしい。

華奢な足に歯が深く食い込み、靴下には血が滲んでいる。

「よし…そっちに行くから動くなよ」

スイはつま先立ちになって慎重にグレイプニルを避けながら少女の傍らに辿り着くと、片膝を地面に着いて少女と自分の目線の位置を近づけた。

「どうすればいい?」

少女は足の苦痛に歪めながら答える。

「根を切って下さい。そうすれば葉は自動で開きますので」

少女は素手でドラウプニルの根を掘り返そうとしたらしく、小さくて丸っこい手が土で汚れていた。

そして、ドラウプニルの太い根が露出している。

「よし、任せろ」

スイは腰のナイフを取り出すと、刃を根に当てて引き抜いた。その瞬間、少女の足首を捕らえていた歯が脱力し、ゆっくり開いた。

「うっ…」

少女は歯が抜ける痛みで顔をしかめた。

「歩けそう?」

「平気です。どうもありがとう」

少女はスイの手を借りずに一人で立ち上がり、服に付着した土を払い落した。

「お礼をしなくてはいけませんね…今は持ち合わせが無いのでお礼はできませんけど」

「いらないよ」

応えつつスイも立ち上がる。

そして分かった事だが、彼女の背丈は精々、スイの腹までしかなかった。おそらく、まだ十歳にも満たないくらいの子供ではなかろうか。

しかし、少女は大人びた態度で首を振った。

「そういうわけにはいきません。いつか、必ずお礼します」

「分かったよ。ここは危ないから、もう帰りな」

「はい。貴方も、お気をつけて」

そう言い残すと、少女は怪我など忘れてしまったかのように軽やかな足取りで森の奥へ消えて行った。

「変な子だな」

そして、最初に浮かんだ疑問が再来する。やはり、こんな危険な森に子供が一人というのは不自然すぎる。

「もしかして、あの子は…」

一つの可能性が頭をよぎった。

スイは慌てて少女を呼び止めようとしたが、もう少女の姿はどこにも見えなかった。

「はぁ。魔女の家を知ってたかもしれないのにな」


まだ暑い季節ではないが、不慣れな野道を歩いているので疲れて来た。

「もうすぐのはずだけど」

汗が滲んだ額に張り付いた前髪が不快だ。

スイは足に絡みつく濡れ草をうっとおしく感じつつ目的地へ進むと、木々の隙間から二階建ての一軒家が見えて来た。

「あれが魔女の家か…」

白い漆喰の壁は長い年月のせいで若干の灰色にくすんでいる。

「でも思っていたより普通なんだな」

子供の絵本のように不気味な建物を想像していたので安心する反面、肩透かしを食らったような気分になった。あの家に住む魔女は、たびたびスイの村に不思議な薬を売りに来る。スイは事情があって、魔女から薬を買いに来たのだ。

家が平凡な外見をしているおかげで、スイは変に物怖じせずに済んだ。何気ない歩調で家に接近し、ドアを叩く。

「…」

反応があるまで少し時間がかかったが、やがてドアの向こう側から人が近づいて来る気配がした。

「チッ…なに?」

三十代くらいの女がドアの隙間から舌打ちしつつ現れた。不機嫌そうに寝ぐせの付いた頭を掻きつつ、薄い目を開けてスイを睨む。

魔女らしい黒装束にだらしなく身を包んだ彼女は、女でありながらスイに並ぶほど背が高い。長い髪は一見するとただの伸びっぱなしのようだが、よく見ると艶があって日頃の手入れを感じさせる。その顔には疲れが滲んでいるが、目鼻立ち自体は整っているようだ。

だが、何よりスイの注意を惹いたのは、扉を掴んでいる彼女の腕だ。腕全体に、まるで木の根のような放射状の白い痣が広がっていて、魔女という尋常の道から外れた存在の迫力がある。服に隠れて見えないだけで、もしかしたらあの痣は全身を覆っているのかもしれない。

「貴女が、色情の魔女ソラですか?」

”色情”の部分で女は眉根を寄せて、二度目の舌打ちをした。

「その名前嫌いなのよね…人のこと指して『色情』なんて失礼だと思わない?娼婦でもあるまいし…で、村の人でしょ?何の用?」

「薬を買いたいんです」

「あぁ…半月後にはまた村に行くから、そのときにね」

シッシッと野良猫でも追い払うような手つきでスイをあしらい、ソラは扉を閉めようとした。

そうはさせじ、とスイがすかさず靴を扉に差し込む。

「待ってください。まだ話は終わっていません」

「しつこいわね。急病人でも出た?」

ソラが忌々しそうにスイを横目でにらむ。

「そんなんじゃありません。欲しい薬ってのは、惚れ薬なんです」

「あぁ…カーマのことね」

なぜかソラは苦々しい顔をして、ドアノブを握る手に一層の力を込めた。足先の痛みでスイは一瞬顔をしかめたが、すぐに偽の笑顔を取り繕ってソラのご機嫌を取ろうとした。

「貴女は惚れ薬を作れる唯一の魔法使いでしょう?すばらしい」

しかし「チッ」と三度目の舌打ちが返って来た。どうやら逆効果だったらしい。

「喧嘩売ってるのかしら?カーマなんか作ったせいで、私は『色情』なんて不名誉な渾名を付けられたわ。まったく冗談じゃない」

「気を悪くされたなら謝ります。でも、俺にはそのカーマがどうしても必要なんです。お金も持ってきました」

スイが硬貨が詰まった革袋を片手にしつこく食い下がるので、ソラはため息を吐いた。

「カーマは私でも簡単には作れない貴重品よ?」

そして軽んじるような皮肉っぽい笑みを浮かべ、スイが持っている袋を一瞥した。

「神秘の愛を求める貴族たちが金に糸目をつけず群がる秘薬…王都に屋敷を立てられるほどの値が付くの。田舎者の君が買えるような安物じゃないわ」

「足りない分は、体で払います」

スイはドンと胸板を叩いた。

「な…なに言ってるのよ」

ソラはゲテモノ料理でも見たかのように、露骨に嫌な顔をする。

「雑用ならやれますよ…男手があると便利でしょう?」

「あぁ。そういうこと」

そしてスイは、ほっとした様子のソラから目線を逸らして、僅かな扉の隙間から薄暗い部屋を覗いた。


部屋に散らばったゴミ、机を占拠した食器たち、床に置かれた本の山…ゴミ屋敷と言って差し支えない。

一般的な家庭なら大地震の後でも、こうはなるまいという惨状だが吐き気を催す悪臭が漂っていないのが唯一の救いだ。

「男ですけど、掃除は得意なんですよ」

これは咄嗟に出た嘘だ。

スイは家事なんてろくにやったことがない。ただカーマが欲しい一心で、有利になりそうな単語を並べているだけだ。

「大きなお世話…」

しかし言葉とは裏腹に、ソラはドアノブから手を放した。

「おっ?」

もしや気が変わってくれたかと、期待を込めてソラの目を見る。ソラは呆けたように口をポカンと開けて、虚空を見つめていた。一体ソラが何を考えているのか、ちっとも読めないスイは無言のまま緊張した面持ちでソラの言葉を待った。

「そうね。まあ…あの子だって…」

独り言を数度呟いた後、グッとスイの鼻先まで顔を近づけた。そして吐息が掛かるほどの至近距離で目を合わせる。

「うん。使えそう…」

「使える?」

怪訝な顔をするスイに構わず、ソラは軽く咳払いした。

「ねえ君。私の弟子にならない?」

「弟子、ですか」

想定外の提案だったため、スイは鼻白んだ。

「もし君が私の弟子になって、ゆくゆくは後を継ぐというのなら…カーマの件も考えてあげる。どう?」

今まで一刻でも早くスイを追い払うことだけを考えていただろうソラが、初めて真面目な表情になっている。しかし、今のソラからは、まるで蛇のような狡猾さも感じた。

「俺が魔法使いの弟子に…」

スイは自分が魔法使いになる覚悟なんて全く持っていなかった。

だから、正直迷う。

「しばらく考えさせてくれ」と言いたいのが本音だが、そんな悠長な事を言えばソラに見限られかねない。

「分かりました。貴女の弟子になります」

威勢よく応えつつも、背筋が冷たくなる感覚があった。魔女を相手に安請け合いをするのは危険かもしれない。いずれ痛い目に遭うかもしれない。そんなことを考えていると、いつの間にかスイの視線は下がっていて、足元に落ちていた。

その様子を見たソラが言う。

「言っとくけど、私は厳しいわよ。半端な気持ちなら、オススメしない」

「いえ。俺は本気です」

たしかに躊躇う気持ちは残っているが、ようやく道筋が見えて来たカーマが遠ざかっていく方が耐えられない。

「やります。やらせてください」

スイは熱意を視線に乗せて、ソラを見つめた。

「フッ」

初めてソラが微笑んだ。愉快そうに口元に手を当て、相好を崩すとドアを開けてスイを招き入れた。

「入って?これから詳しく話しましょう」

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