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バッティングセンターの恋  作者: 結城柚月
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第7話「将来のこと」

 長かった少年野球生活も終わりを迎えた。最後の試合となった試合は初戦敗退となってしまった。悔いがなかった、と言えば嘘になる。だから中学の野球部に入ったらもっと上手くなりたい。負けて泣きはしなかったが、悔しさは胸の中に残った。

 最後のミーティングのスピーチは緊張してよく覚えていない。特に面白いコメントもできなかったような気がする。全部終わった、と松崎に報告しようとしたが、案の定バッティングセンターにはいなかった。今日はいいや、と小野寺はバッティングもせずに帰宅した。

 彼が松崎と会えたのはそれからおよそ1ヶ月が経った頃だった。


「うっはー、野球少年だ」

「やめてください」


 小野寺の坊主頭を見て、松崎はゲラゲラと腹を抱えた。どうやらツボだったらしい。笑いが止まらず、ひいひいと過呼吸を起こしている。彼女にこの頭を見せる前は緊張や恥ずかしさでいっぱいだったが、ここまで笑われるとそれを通り越して溜息しか出てこない。

 中学生になった小野寺は野球部に入り、同時に頭も丸めた。少年野球時代と比べて練習はハードだが、数日もすればすぐに慣れた。練習が終わってもいつものように帰りにバッティングセンターに寄れる体力が残っているのも少年野球時代の6年間の賜物だ。


「部活どう? 楽しい?」

「まあ、それなりに。松崎さんこそ、進路どうするんですか」

「中1の癖に生意気」


 コツンと小野寺の額を右手の中指ではじく。松崎のデコピンは他人のよりも破壊力があるから厄介だ。いったあ、と情けない声が出そうになったが必死で堪えた。


「まあこのお店継ぐかな。父さんいま入院中だし。この先も何かあったら大変だから」


 松崎の父親は数日前に胃潰瘍と診断され、現在病院に入院中である。命に別状はないようで、来週には退院らしい。彼女の母はこども園勤めで忙しく、無口な兄も大学進学のため上京中。そのため今は彼女が父親の代わりに店を経営している。と言ってもやっていることは今まで通りの店番ではあるが。

 そんな彼女もすっかり高校3年生だ。小学生の時から続けているポニーテールは相変わらずだが、顔つきや体つきはもう立派な大人で、成長期真っ盛りの小野寺でもまだ彼女の身長には数センチ届いていない。

 いつものように小野寺はコインを購入し、慣れた様子でバッティング練習を始める。一番右の初心者用ピッチングマシンは既に卒業し、その隣で作業のようにボールを打ち返す。球速は100キロ。一番右の機械でも設定すれば100キロは出るが、いちいち速度変更するのが面倒だ。

 中学生にもなればさすがにこの速度のボールにも対応できるようになった。むしろこの程度のボールをちゃんと打ち返せないとレギュラーは難しい。バットの芯にボールが当たり、打球は真っ直ぐしなやかに伸びる。しかしホームランの的に当たるまではまだまだだ。

 30球打ち終わった。手ごたえとしてはまずまずだ。何球か空振りしてしまったから次は全部当てたい。それにそろそろもっと速い球にも挑戦してみたいという欲も出てきた。


「小野寺くんってさ、進路とか考えてる?」


 カウンターのところへ戻ってくるやいなや、松崎は彼に問いかけてきた。急に尋ねられて、小野寺は足を止める。進路なんて3年生になって考えるものだと思っていた。それを1年である自分に尋ねるなんて、やっぱり大事なことなんだろう。でも松崎の表情はいつもと変わらない様子だったので、そこまで真面目な質問ではないのかもしれない。


「特には……でも松崎さんとこの高校には行きたいです」

「うち? あー、うちの野球部強いもんね。センバツも1回だけ出たことあるみたいだし。何年か前の話だけど」


 松崎の進学した高校は、地元でも野球が強いと有名な県立高校だ。この周辺の野球少年は皆一度はこの学校の入学を目標にしたがる。その人気の高さは工業高校などの一定の職種に特化した学校ではなく、さらに高すぎず低すぎない偏差値、という受験のしやすさと、夏の地区大会でも毎年トップ8には残るほどの実績だろう。昨年はベスト4まで登り詰めたと耳にした。

 彼女はカウンターから出ると、ドア横すぐに設置されている自販機に駆け寄った。


「奢るよ。何か飲みたいものある?」

「それじゃあ……サイダーください」


 ピ、と松崎はサイダーのボタンを押し、出てきたペットボトルを取り出しては小野寺に「はい」と投げた。彼女が投げたせいでサイダーの炭酸が蓋を外した時飛び出して来やしないかと身構えたが、そんなことは杞憂だった。炭酸が弾けて身体中に染み渡る。


「そういえばさ、小野寺くんって夢とかあったりするの?」

「夢、ですか」

「そ、夢。そういうのがあれば進路も見つけやすいかなーって。まあまだ1年だし早いかもしれないけど」


 彼女の問いに、ペットボトルの蓋を締める手が止まる。進路はもちろん、将来の夢なんてあまり深く考えたことがなかった。だけど完全にない訳ではない。こうなりたい、という未来予想図はぼんやりとだが描かれている。


「……今は、甲子園に出たい。それしか考えられない」


 思考を巡らせ、出た答えがそれだった。甲子園。それが今の小野寺の夢であり、目標でもあった。幼稚だろうか。しかしこれしか思いつかないのだ。

 小野寺の答えを聞いた松崎はにやけが止まらず、遂にはプッと吹き出してしまった。なんだか馬鹿にされた気分になって、小野寺はムッと頬を膨らませる。


「やっぱり変ですか」

「いいや、お兄ちゃんと同じこと言ってるから面白いなって」


 久しぶりに彼女の兄の話題になった。彼は妹と違ってあまり表情が変化せず、無口で、言ってしまえば不愛想だった。何度かあったことがあるが、その度に野球を教えてもらったことは覚えている。が、どんな声だったかは忘れてしまった。確か、とても優しい声だったような気がする。


「なんか私も久しぶりにやりたくなっちゃったな」


 そう言うと松崎はコインを購入した。


「勝負しようよ。私の方が安打数多かったら小野寺くんなにか奢ってよ。もし小野寺くんの方が多かったら私がなにかパシるから」


 松崎は得意げにニッと笑った。明らかに挑発している顔だ。きっと兄の表情筋は彼女が奪ってしまったのだろう。

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