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第1章 2

 伸ばした手が、止まった。

(今、なんて)

 耳を疑う。けれど、風はカティアの動揺を肯定するように、また言葉を運んできた。

「今さら何を言っているのかしら?」

「そうだ。まさか、嫌だとでも言う気か?」

 最初に聞こえてきたのは、幼さの残る少年の声だった。次の声は、高飛車な雰囲気の女性のもの。それを受けて少年を煽るように宣ったのは、いくらか年を重ねた男性の声だ。

(三人…?)

 少年と、女性と、男性。聞こえてきた声は三つだった。

 手燭を取るために伸ばしていた腕を、カティアはそろそろと引っ込める。地面に手を着き、枝葉の向こうを覗き込んだ。

「怖い、っていうか、その……。他にやり方はないのか、って、オレは思うんだよ。なにも、殺さなくても。怪我とか、病気じゃ、だめなのか、って」

 戸惑いを多分に含む少年の言葉に、女性と男性が溜め息を吐く。その気配さえも、カティアの元へ届いた。

「怪我だと、治ったらお終いだろうが」

「こう、うまい具合に怪我をさせて、利き手が一生使えないとか、歩けないとか、そういうのじゃ……」

「利き手が使えなくなっても、歩けなくなっても、頭は生きているわ。そうしたら、貴方は、なれてもお飾りの領主ね。実際の指揮は、あの男が執ることになる。……貴方、それでいいの?」

 月明かりを頼りに枝葉を透かし見れば、手燭から少し離れた所に人影がある。人数は、声と同じ三人。だが顔は、ちょうどこちら側に背を向けているから見えなかった。

「病気にしたって、それなら娘は予定通りレオと結婚するがな」

「……っ、なんで……! オレが領主になれば、ハンナと結婚させてくれるって」

「馬鹿を言うな! 儂の娘に、病気になった婚約者を見捨てた女、なんて謗りを受けさせる気か!? それぐらいなら、このままレオと結婚させるぞ。まあ、早く死んだなら、二番目の夫としてお前のところに嫁がせてもいいがな」

 ぐふふ、と喉を鳴らして笑う男性の声からは、性根の悪さが窺えた。

「これでわかったかしら? 貴方が名実共に領主となり、ハンナと結婚するためには、あの男が邪魔なの。殺すしか、ないのよ」

「殺す、しか……レオにいさんを……」

 呟く少年の声には、苦渋が浮かんでいた。

 カティアの存在に気づかぬまま、三人の話は不穏な方向へと進んでいく。

「……じゃあ。いつ、やるんだ」

 低く唸るような声に、カティアまで思わず息を詰めた。

(やる……? やる、って、もしかして)

「そうだな……。娘が結婚できるようになるまでには、あと三年あるが……」

「それまでに代替わりされたら面倒だわ。ただでさえ、跡継ぎとして既に王様に認められているのよ」

 地面に着いていた片手を持ち上げ、カティアは口元を覆う。濡れた土の匂いがしたが、そんなことは気にならなかった。

(もしかして、この人たちは)

 不穏な話をする三人が口にした言葉たち。その中の鍵になりそうな単語を拾っていけば、カティアにも話の中身がなんとなく察せられた。

 ――レオという名、領主、代替わり、跡継ぎ。殺す。

 カティアが生まれ育ち、住まうこの国は、各地域を治める領主と、それを束ねる王族からなる。そして、この辺り一帯はルヴェリエ領といい、現領主の息子はレオとかいったはずだ。

「実行に移すなら、年内に済ませてしまった方がいいだろう。あんまり時間をかけるより、さっさと終わらせた方が楽だ」

 男性の声がそう言い捨てて、鼻を鳴らす。その様子に、カティアはぞっと青ざめた。

(楽、だなんて……。ひとの命を、なんだと思ってるの?)

 他人の命を、そこら辺に落ちている石ころと同じだと考えているのだろうか。誰とも知らない三人に対し、彼女は恐怖と嫌悪をいだいた。

「それなら、あと半年ね。わたくしも機会を探ってみるわ」

「ああ、頼んだぞ。儂はどうやら、あの若造に警戒されているようでな……迂闊に近づけん」

 半年。あの三人の話が本気の計画なら、あと半年以内に、この地域の領主の息子は殺される。詳しい理由はわからないが、話を盗み聞いた限り、あの三人の身勝手な主張によるものだろう。

 ――ならば、どうする?

 カティアは思案する。今すぐあの三人の前に躍り出て、計画は聞かせてもらったと、自分勝手な理由で他人を殺めてはいけないと諭すか?だが、そんなことはなんの抑止にもならないだろうとわかる。領主の息子を狙うような奴らだ。カティアひとりの命ぐらい、この夜闇に紛れて奪うのは簡単である。

 ならば、領主に伝えるか?あなたの息子は、何者かに命を狙われていると、そう密告するか?だが、信じてもらえる保証は、どこにもない。

 それなら、どうすればいい?考えるが、カティアはすぐに思考を放棄した。だって、疲れていたのだ。

 狙われている本人には悪いが、領主の息子の暗殺計画など、一介の領民には関係のない話である。非情な話だが、悪政さえ敷かなければ、領主が誰になろうと日々は変わらないのだ。

 だから、カティアは忘れることにした。この話は聞かなかったことにして、さっさと帰り、寝てしまおう。そうだそうだ、それが一番いい。

 結論を出した彼女は、静かに立ち上がる。気づかれていない内に、この場から逃げ去ろう。月明かりを頼りに、そろそろと足を運ぶ。

 しかし、月が一瞬、雲に隠された。

「誰かいるのか!?」

「……っ」

 鋭い詰問が、夜闇を裂く。同時に、カティアは息を飲んだ。

 月が翳ったその一瞬、足元にあった枝を踏み折ってしまった。その音は、静かな夜闇に大きく響く。

「……っ、……ぁ」

 枝葉の向こうで、がさりと大きな音がした。続けて、下葉を踏み締める音が――足音が足早に近づいてくる。

「ぁ……ぁ……」

 体が震える。一刻も早くここから逃げ去らなければ、と思うのに、カティアの足は動かない。

 足音が近い。もうすぐ、あの三人の内の誰かが、彼女を見つけてしまうだろう。そうなる前に逃げなければ、殺される、怖い、と思うのに、カティアにできるのはかすれた声をもらすだけ。

「そこに、誰かいるのか?」

 詰問する声が近い。剣呑な響きのそれが、始めに聞いた少年のものだと、カティアは気づけなかった。

 枝葉の向こうに、人影が浮かぶ。ああ、もう間に合わない。諦念と、いっそうの恐怖が、カティアを支配した。

「うわっ……!」

 突如、突風が森の中を駆け抜ける。地面近くに置かれた手燭の火が、かき消された。

 その瞬間、ふつりとなにかが切れた。

 カティアは勢いよく身を翻し、脱兎の如く駆ける。足音がしてしまうとか、追いかけられるかもしれないとか、そんなことはどうでもよかった。一歩でも遠くへ、早くここから逃げてしまいたい。その一心で、カティアはひたすら走った。森を抜け、月明かりを受ける田畑には脇目も振らず、明かりの灯らない我が家まで。荒い息に錆の味が混ざるようになっても、彼女は走り続けた。

 眩しい月明かりの中。その後ろ姿を、少年が見ていたとも知らずに。

次の投稿予定日は9/10(金)です。

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